仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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布薩(ふさつ)‐ ウポーサタ

布薩(ウポーサタ)とは、主要な行動を起こすために準備をすることが元々の意味です。布薩の日には、一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔します。布薩はウポーサタの音写です。伝説によると、仏教の初期において、ビンビサーラ王の勧めにより布薩の行事を取り入れ、時代によってその内容は変更を重ねています。▶ 布薩法要(満月/新月に実施)出家者の布薩は半月に1回、満月と新月の日に行いましたが、最も主要なものは満月の日に行いました。一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔します。在家信者の布薩は半月に3回、行いました。その日に八つの戒めを守り、説法を聞き、断食し、出家者に食物を給します。(詳細は下記にて)以上の布...
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お盆(盂蘭盆会)

お盆(ぼん)、盂蘭盆会(うらぼんえ)とは日本で夏に行われるの祖先の霊を祀る行事です。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した特色があります。現在、太陽暦の8月15日を中心とした期間に行われる(旧盆、月遅れのお盆、旧のお盆)ことが多いですが、都心部など地域によっては、太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われていた名残で、現在でも7月15日を中心とした期間に行われています(新盆、新のお盆)。様々な都合により、場合によっては寺院の都合で、同じ地域であっても別々の日に「お盆を迎える」ということも珍しくありません。お盆はいつ?お盆の期間は?8月13日、盆入りの夕方には迎え火を先祖の霊が迷わないように焚きます...
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烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)

烏芻沙摩明王はこの世の一切の汚れを焼きつくす神力を持つとされ、禅宗や密教では古くから東司(とうす。三黙道場の一つ。トイレ)の守護神とされ祀られている寺院は珍しくありません。そのため、烏芻沙摩明王は一般的にもトイレの守り神として有名でした。烏芻沙摩明王に祈りを捧げる時に唱える真言は「オン クロダノ ウンジャク ソワカ」です。「烏枢沙摩明王」等、違う表記もあります。近年、その名を広く若い世代にまで浸透させるきっかけをつくったのは、植村花菜さんの作詞作曲で、彼女の幼き日におばあさんから教わった言葉が、大人になっても忘れられないという「トイレの神様」という歌が人気になったからではないでしょうか。烏芻沙...
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ヴァイシャリ – ブッダ最後の旅の出発地(毘舎離)

ヴァイシャリはブッダの最後の旅の出発地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。古代インドの十六大国の1つヴァッジ国内にあった商業都市です。仏教僧団を意味する「サンガ」(僧伽)という言葉は、元々はこの地域に発生した商工業者の同業組合や共和制を意味する言葉でした。ヴェーサーリ、ヴェーサーリーという表記もここを指します。ブッダが最後の旅立ちが近づいたことを示唆する説法を始めて行われた場所には、ブッダのために猿が掘ったと言われる沐浴池ラーマ・クンドがあります。そのそばにはアショーカ王石柱があり、完全な姿のまま残っています。そこで第二結集も行われました。ブッダが最後の旅立ちに出発するとき、ケサリヤとい...
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裏打ち(バックビート・間打ち)- 木魚

浄土宗では、「南無阿弥陀仏」の念仏を邪魔しないために裏打ち(バックビート)、間打ち(まうち)で木魚を打つ慣わしがあります。その打ち方は発声と発声の間に叩きます。対する表打ち(頭打ち)の打ち方は発声と同時に叩きます。次の例を参考にして下さい。(裏打ち例)如 是 我 聞 一 時 仏 在 舎 衛 国(木魚)   〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇(表打ち例)如 是 我 聞 一 時 仏 在 舎 衛 国(木魚)  〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇読経の時に打つ木魚は隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が江戸時代の1654年に来日してから日本の各宗派に広まったものです。宗派によっては、当初、...
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吽(うん)

吽とは、サンスクリットを表す悉曇(しったん)表記における書記素の最後の字、およびそれによって表される音です。密教では、全ての教法がこの一字に集約されていると説きます。悉曇では「阿」字は諸法の初めを表し、「吽」字は口を閉じた最後の音で、諸法の終わりを表すことから、世界は「阿」で始まり「吽」で終わるという考え方を表しています。804年、空海が仏教を学ぶために唐(中国)に行く以前まで、日本には「ん」「ン」だけを表記する「文字」がなかったそうです。そこで、遣唐使として唐に行った空海は、悉曇文字で書かれた仏典を学び、「ん」「ン」を書き表せる文字を持ち帰りました。それが「吽」です。<< 戻る
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ヴァーセッタ青年

ヴァーセッタ青年は『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内に登場するお釈迦様の弟子です。バラモンの家に生まれ、バラモンの師であるポッカラサーティについて学び、ヴェーダの語句と文法とに精通していましたが、コーサラ国のイッチャーナンガラ村においてバーラドヴァージャ青年とのやりとりから、「生まれによってバラモンとなるのか、それとも行いによってバラモンになるのか」をお釈迦様に質問します。<< 戻る
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ヴィサーカー(毘舎佉)

ヴィサーカーは『スッタニパータ【第3 大いなる章】12、二種の観察』内に登場する鹿子母講堂の施主で、夫であるミガーラと共にお釈迦様の在家信者です。ミガーラと結婚した時に「我が母のようだ」と讃嘆されたことから、この夫人のことを「鹿子の母」「鹿子母」と呼ぶようになり、鹿子母講堂の名前になっています。<< 戻る
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学生ウバシーヴァ

学生ウバシーヴァは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】7、学生ウバシーヴァの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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学生ウダヤ

学生ウダヤは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】14、学生ウダヤの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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牛飼いダニヤ

『スッタニパータ【第1 蛇の章】2、ダニヤ』に登場する。当時の牛飼いは一つの村に定住せず、雨期の4か月は高地に住み、その他の時期には草を追って遊牧する。ブッダの信者であるダニヤは雨期の始まる頃に、雨期を過ごす準備を済ませたため、「神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」と、このように言う。<< 戻る
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最勝音仏(さいしょうおんぶつ)

最勝音仏とは、その音があまねく鳴り響いている者という意味の北方の現在仏です。梵語では Vaisvanaranirghosa(ヴァイシヴァーナラ・ゴーシャ)といいます。また、最勝音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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ヴァッサカーラ・バラモン

ヴァッサカーラ・バラモンは『ブッダ最後の旅【第1章】1、鷲の峰にて、および、2、修行僧たちに教える、4、パータリ村にて』内に登場します。マガダの大臣で、マガダ国王アジャータシャトル(阿闍世)の命令によりお釈迦様の所へ行きます。<< 戻る
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ウッダカ・ラーマプッタ(優頭藍子)

ウッダカ・ラーマプッタは、古代インドの思想家で、お釈迦様が出家直後、悟りを得る前に師事した人物の1人です。出家直後はじめに師事したアーラーラ・カーラーマのもとを去り、次にウッダカ・ラーマプッタのもとを訪れ「非想非非想処(Naivasaṃjñānasaṃjnayatana)」の教えを聞くと、間もなくその境地を証得したので、ウッダカ・ラーマプッタはお釈迦様が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子を共に率いていくことを要請しました。しかしお釈迦様はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、ウッダカ・ラーマプッタのもとを去り、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)へ行き6年間の修行が始まります。<< ...
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ウパヴァーナ(優波摩那)

ウパヴァーナは、『ブッダ最後の旅【 第5章 】18、病い重し』に登場するお釈迦様の侍者です。<< 戻る
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梅宮辰夫(うめみやたつお)

俳優・タレント・司会者・実業家。身長174cm、血液型はA型。所属事務所は株式会社グッデイ。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。愛称は「辰兄」「辰っちゃん」。東映ニューフェイスとしてデビュー。生誕 1938年3月11日命日 2019年12月12日浄海院和譽辰照居士<< 戻る
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内田裕也(うちだゆうや)

ミュージシャン、俳優。本名は内田雄也(読み同じ)。兵庫県西宮市に生まれ、1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。以降、内田裕也とザ・フラワーズのヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活動し映画出演や映画監督なども手掛ける。口癖は「ロケンロール」(Rock'n Roll)。生誕 1939年11月17日命日 2019年3月17日和響天裕居士<< 戻る
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薄拘羅(はくら/ヴァックラ)

薄拘羅はお釈迦様の弟子です。病をしなかったことから、無病第一、また、伝承によると160歳まで長く生きたため長寿第一と称されます。巴語でBākula,Bakkula,Vakkula(バックラ、ヴァックラ)、梵語でDvākula(ヴァックラ)ということから音写して、薄拘羅、摩倶羅、婆拘羅、婆駒羅、薄拘櫨などと記述されます。意訳では、善容、偉形、重姓、仁姓、類親などの記述があります。テーラガーター(長老偈経)に伝えられるところによると、ヴァンサ国、コーサンビーの長者の子として生まれ両親から寵愛されましたが、ある日、実母がヤムナー河で彼を抱き沐浴していたところ、誤って落ちてしまい大魚に呑まれてしまいま...
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宇津井健(うついけん)

俳優。俳優座を経て、新東宝に入社。若手映画スターの一人として活躍。新東宝倒産後は大映に移籍、大映倒産後はフリーとなる。大映在籍時からテレビドラマにも進出し、以来60年近くに渡り第一線で活躍した。代表作は『スーパージャイアンツ』シリーズ、『ザ・ガードマン』、『新幹線大爆破』、『赤いシリーズ』、『さすらい刑事旅情編』、『信長 KING OF ZIPANGU』、『渡る世間は鬼ばかり』など。生誕 1931年(昭和6年)10月24日命日 2014年(平成26年)3月14日聚光院正受禅悟居士<< 戻る
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海原しおり(うなばらしおり)

漫才師。漫才コンビ海原さおり・しおり。ケーエープロダクション→よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属。生誕 1955年1月26日命日 2014年1月3日<< 戻る
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植木等(うえきひとし)

俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。仲間内での愛称は「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。生誕 1926年(昭和元年)12月25日命日 2007年(平成19年)3月27日宝楽院釋等照<< 戻る
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『伝光録』第四祖。優婆毱多尊者。

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『伝光録』第三十七祖。雲巌無住大師。

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『伝光録』第三十九祖。雲居弘覚大師。

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有漏(うろ)

有漏とは、人間の肉体的に外に漏れ出る不浄物があることです。また、人間の精神的に煩悩のけがれがあることをいいます。汚れのあること、煩悩のあることをいいます。無漏の対。「ウロウロする」という言葉は、どうしてよいのか分からずに、あちこちと動き回る様が煩悩に惑わされているように見えたことから「有漏有漏」→「ウロウロする」となりました。梵語(サンスクリット語) sāsrava サースラバ巴語(パーリ語) ・「時に奘云く、真実求法の為には、有漏の父母師僧の障縁をすつべき道理、然るべし。」(『正法眼蔵随聞記』96、先師全和尚入宋せんとせし時)<< 戻る
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有為(うい)

有為とは、つくられたものということです。因縁によってつくられた生滅変化するもののことです。⇔無為。・「虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、道の人ではない。造り出された現象が常住であることは有り得ない。真理を悟った人々(ブッダ)は、動揺することがない。」(ダンマパダ 255偈)<< 戻る
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ヴェーダ

ヴェーダ(梵語(サンスクリット語): वेद、Veda)とは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称です。 「ヴェーダ」は「知識」を意味し、バラモン教およびヒンドゥーの聖典とされています。長い時間をかけて口伝で伝えられて来たものが後世になって書き留められ、記録されたものです。また、個別の文書を指すのではなく、「実践的な認識」のことを「ヴェーダ」と表現することがあります。・「彼は三ヴェーダの奥義に達し、語彙論・活用論・音韻論・語源論(第四のアタルヴァ・ヴェーダと)第五としての史詩に達し、語句と文法に通じ、順世論や偉人の観相に通達し、三百人の少年にヴェ...
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ブッダ最後の旅【 第2章 】7、商業都市ヴァイシャリ

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梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)

日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。1914年(大正3年)までは梅原 良三郎(うめはら りょうざぶろう)を名乗った。ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。生誕 1888年(明治21年)3月9日命日 1986年(昭和61年)1月16日<< 戻る
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植村直己(うえむらなおみ)

登山家、冒険家。兵庫県出身。 1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリーに世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。生誕 1941年(昭和16年)2月12日命日 1984年(昭和59年)2月13日乾坤院直心不撓居士<< 戻る
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宇田新太郎(うだしんたろう)

工学者。東北大学教授。 専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られる。(八木秀次)下新川郡舟見町(現入善町)に生まれ、教職にあった両親の転勤で小学校3年の時から魚津に移り住む。魚津尋常高等小学校(現大町小学校)、魚津中学(現魚津高校)、広島高等師範学校(現広島大学教育学部)を経て、中学で教鞭をとりましたが、研究への熱意から大正10年東北帝国大学(現東北大学)工学部電気工学科に入学。卒業後も大学に残って研究生活に入り、昭和2年同大学部助教授、昭和11年に教授となる。その間、昭和6年に光学博士の学位を得、翌年から2年余、欧米に留学。数多くの研究の中で最も有名なものは通称「八...