【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】4、清浄についての八つの詩句

投稿日:0202年5月28日 更新日:

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、見解を、最上の境地に達し得る智慧であると理解する。

789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩に捕らわれている人が正しい道以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。

790 真のバラモンは、正しい道のほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想の内のどれによっても清らかになるとは説かない。彼は禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において禍福の因をつくることがない。

791 前の師などを捨てて後の師などに頼り、煩悩の動揺に従っている人々は、執著を乗り越えることがない。彼らは、捕らえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。

792 みずから誓戒を保つ人は、思いにふけって、種々多様なことをしようとする。しかし智慧豊かな人は、ヴェーダ(実践的認識)によって知り、真理を理解して、種々多様なことをしようとしない。

793 彼は一切の事物について、見たり学んだり思索したことを制し、支配している。このように観じ、覆われることなしに振る舞う人を、この世でどうして妄想分別させることができようか。

794 彼は計らいを為すことなく、何物かを特に重んずることもなく、「これこそ究極の清らかなことだ」と語ることもない。結ばれた執著のきずなを捨て去って、世間の何ものについても願望を起こすことがない。

795 真のバラモンは、煩悩の範囲を乗り越えていてる。彼が何ものかを知りあるいは見ても、執著することがない。彼は欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。彼はこの世ではこれが最上のものであると固執することもない。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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