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ブッダ最後の旅【 第2章 】9、旅に病む - ベールヴァ村にて

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第2章 】

9、旅に病む - ベールヴァ村にて

21 そこで尊師は、アンバパリーのマンゴー林に心ゆくまでとどまった後に、若き人アーナンダに告げた。

「さあ、アーナンダよ。ベールヴァ村に行こう」と。
「かしこまりました」と若き人アーナンダ尊師に答えた。
そこで尊師は多くの修行僧の群れと共にベールヴァ村に赴いた。そこで尊師はベールヴァ村に住された。


(2004年 管理人撮影/インドの農村)

22 そこで尊師修行僧たちに告げられた。
「さあ、あなたたち修行僧よ。ヴァイシャリのあたりで、友人を頼り、知人を頼り、親友を頼って、雨期の定住(雨安居)に入れ。わたしもまたここベールヴァ村で雨期の定住に入ろう」と。
「かしこまりました」と、その修行僧たちは尊師に答えて、ヴァイシャリのあたりで、友人を頼り、知人を頼り、親友を頼って、雨期の定住に入った。尊師もまたこのベールヴァ村で雨期の定住に入られた。

23 さて、尊師が雨期の定住に入られた時、恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった。しかし、尊師は心に念じて、よく気を付けて、悩まされることなく、苦痛を耐え忍んだ。
その時、尊師は次のように思った。「わたしが侍者たちに告げないで、修行僧たちに別れを告げないで、ニルヴァーナに入ることは、わたしには相応しくない。さあ、わたしは元気を出してこの病苦をこらえて、寿命のもとを留めて住することにしよう」と。」
そこで尊師は、元気を出してその病苦をこらえて、寿命のもとを留めて住していた。すると、尊師のその病苦は静まった。

24 次いで、尊師は病から回復された。病から回復されると間もなく、住居から外へ出て、住居の陰に設けられた座席に坐した。そこで、若き人アーナンダ尊師のいますところに近づいた。近づいてから、尊師に敬礼して一方に坐した。一方に坐した若き人アーナンダは、尊師に次のように言った。

「尊い方よ。尊師は快適でいらっしゃるようにお見受けします。尊師が健やかになられるのをわたくしは拝見しました。わたくしの身体はいささか堅くこわばっているようです。呆然自失して諸々の方角さえも、わたくしにははっきりと分かりませんでした。諸々の教えもわたくしには明らかではありませんでした。それは尊師の病の故でした。ところが今は尊師修行僧たちについて何ごとか教えを述べられない間は、ニルヴァーナに入られることは無いであろうというある安心感がわたくしに起こりました」と。

25 「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしにことごとく理法を説いた。完全な人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握りこぶしは存在しない。『わたくしは修行僧の仲間を導くであろう』とか、あるいは『修行僧の仲間はわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧の集いに関して何ごとかを語るであろう。しかし、向上につとめた人は『わたくしは修行僧の仲間を導くであろう』とか、あるいは『修行僧の仲間はわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧の集いに関して何を語るであろうか。

アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢を重ね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。我が齢は八十となった。たとえば、古ぼけた車が革ひもの助けによって、やっと動いて行くように。恐らくわたしの身体も革ひもの助けによってもっているのだ。

しかし、向上につとめた人が一切の相を心にとどめることなく、一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまる時、その時、彼の身体は健全(快適)なのである。

26 それ故に、この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ。では、修行僧が自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所としないでいるということは、どうして起こるのであるか?

アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気を付けて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

感受について感受を観察し、熱心に、よく気を付けて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

心について心を観察し、熱心に、よく気を付けて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気を付けて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。

アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所としないでいるのである。

アーナンダよ。今でも、また、わたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らを頼りとし、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所とし、他のものを拠り所としないでいる人々がいるならば、彼らは我が修行僧として最高の境地にあるであろう。誰でも学ぼうと望む人々は。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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