【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」法性(ほっしょう)

投稿日:1243年12月1日 更新日:

あるいは経巻にしたがひ、あるいは知識に従うて参学するに、無師独悟するなり。無師独悟は、法性の施為なり。たとひ生知なりとも、かならず尋師訪道すべし。たとひ無生知なりとも、かならず功夫弁道すべし。いづれの箇々か生知にあらざらん。仏果菩提にいたるまでも、経巻知識にしたがふなり。

しるべし、経巻知識にあうて法性三昧をうるを、法性三昧にあうて法性三昧をうる生知といふ。これ宿住智をうるなり、三明をうるなり。これ阿耨菩提を証するなり。生知にあうて生知を習学するなり。

無師智自然智にあうて、無師智自然智を正伝するなり。もし生知にあらざれば、経巻知識にあふといへども、法性をきくことをえず、法性を証することをえざるなり。

大道は、如人飲水、冷暖自知の道理にはあらざるなり。一切諸仏および一切菩薩、一切衆生は、みな生知のちからにて、一切法性の大道をあきらむるなり。経巻知識にしたがひて法性の大道をあきらむるを、みづから法性をあきらむるとす。

経巻これ法性なり、自己なり。知識これ法性なり、自己なり。法性これ知識なり、法性これ自己なり。法性自己なるがゆゑに、外道魔儻の邪計せる自己にはあらざるなり。法性には外道魔儻なし。ただ喫粥来、喫来、点茶来のみなり。

しかあるに三二十年の久学と自称するもの、法性の談を見聞するとき、茫然のなかに一生を蹉過す。飽叢林と自称して、曲木の床にのぼるもの、法性の声をきき、法性の色をみるに、身心依正、よの常に紛然の窟坑に昇降するのみなり。

そのていたらくは、いま見聞する三界十方撲落してのち、さらに法性あらはるべし。かの法性は、いまの万象森羅にあらずと邪計するなり。法性の道理、それかくのごとくなるべからず。この森羅万象と法性と、はるかに同異の論を超越せり。離即の談を超越せり。過現当来にあらず。断常にあらず。色受想行識にあらざるゆゑに法性なり。

洪州江西馬祖大寂禅師云、一切衆生、従無量劫来、不出法性三昧。長在法性三昧中、著衣喫飯、言談祗対。六根運用、一切施為、尽是法性(一切衆生、無量よりこのかた、法性三昧を出でず。長く法性三昧中に在つて、著衣喫飯、言談祗対す。六根の運用、一切の施為、尽く是れ法性なり)。

馬祖道の法性は、法性道法性なり。馬祖と同参す、法性と同参なり。すでに聞著あり、なんぞ道著なからん。法性騎馬祖なり。人喫飯、飯喫人なり。法性よりこのかた、かつて法性三昧をいでず。法性よりのち、法性をいでず。法性よりさき、法性をいでず。法性とならびに無量は、これ法性三昧なり。法性を無量といふ。

しかあれば、即今の遮裏は法性なり。法性は即今の遮裡なり。著衣喫飯は、法性三昧の著衣喫飯なり。衣法性現成なり、飯法性現成なり。喫法性現成なり、著法性現成なり。もし著衣喫飯せず、言談祗対せず、六根運用せず、一切施為せざるは、法性三昧にあらず。不入法性なり。

即今の道現成は、諸仏相授して釈迦牟尼仏にいたり、諸祖正伝して馬祖にいたれり。仏々祖々、正伝授手して法性三昧に正伝せり。仏々祖々、不入にして法性を活驋々ならしむ。文字の法師たとひ法性の言ありとも、馬祖道の法性にはあらず。不出法性の衆生、さらに法性にあらざらんと擬するちから、たとひ得処ありとも、あらたにこれ法性の三四枚なり。法性にあらざらんと言談祗対、運用施為する、これ法性なるべきなり。

無量の日月は、法性の経歴なり。現在未来もまたかくのごとし。身心の量を身心の量として、法性にとほしと思量するこの思量、これ法性なり。身心量を身心量とせずして、法性にあらずと思量するこの思量、これ法性なり。思量不思量、ともに法性なり。性といひぬれば、水も流通すべからず、樹も栄枯なかるべしと学するは外道なり。

釈迦牟尼仏道、如是相、如是性。
しかあれば、開花葉落、これ如是性なり。しかあるに、愚人おもはくは、法性界には開花葉落あるべからず。しばらく他人に疑問すべからず、なんぢが疑著を道著に依模すべし。他人の説著のごとく挙して、三復参究すべし。

さきより脱出あらん向来の思量、それ邪思量なるにあらず、ただあきらめざるときの思量なり。あきらめんとき、この思量をして失せしむるにあらず。開花葉落、おのれづから開花葉落なり。法性に開花葉落あるべからずと思量せらるる思量、これ法性なり。依模脱落しきたれる思量なり。このゆゑに如法性の思量なり。思量法性の渾思量、かくのごとくの面目なり。

馬祖道の尽是法性、まことに八九成の道なりといへども、馬祖いまだ道取せざるところおほし。いはゆる一切法性不出法性といはず、一切法性尽是法性といはず、一切衆生不出衆生といはず、一切衆生法性之少分といはず、一切衆生一切衆生之少分といはず、一切法性是衆生之五分といはず、半箇衆生半箇法性といはず、無衆生是法性といはず、法性不是衆生といはず、法性脱出法性といはず、衆生脱落衆生といはず、ただ衆生は法性三昧をいでずとのみきこゆ。法性は衆生三昧をいづべからずといはず、法性三昧の衆生三昧に出入する道著なし。いはんや法性の成仏きこえず、衆生証法性きこえず、法性証法性きこえず、無情不出法性の道なし。

しばらく馬祖にとふべし、なにをよんでか衆生とする。もし法性よんで衆生とせば、是什麼物恁麼来なり。もし衆生をよんで衆生とせば、説似一物即不中なり。速道速道。

正法眼蔵法性第四十八

于時寛元元年癸卯孟冬在越吉峰古精舎示衆

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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