【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第八祖。仏陀難提尊者。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第八祖。仏陀難提尊者。値七祖婆須密多尊者曰。今来与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。若擬論義終非義論。師知尊者義勝。悟無生理。

【機縁】

師者迦摩羅国之人也。姓瞿曇氏。頂上有肉髻。弁捷無礙。第七祖婆須密多尊者。行化至迦摩羅国。広興仏事。師於宝座前。自謂。我名仏陀難提。今与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。

【拈提】

実に夫れ真実の義は論ずべきにあらず。真実の論はまた義を帯せず。ゆへに論あり。義あるはこれ義にあらず。論にあらず。ゆへにいふ。若擬論義終非義論。ついに一法の義とすべきなく。一法の論とすべきなし。然も仏に二種の語なし。故に仏語をみるは仏身を見るなり。仏身を見ば仏舌を証する也。然れば縦ひ心境不二と説も。猶是れ真実の論にあらず。設ひ変易せずといふとも。猶是れ義にあらず。故に言ののぶべきなく。理のあらはすべきなしといふとも。猶是れ義通ずるにあらず。性はすなはち真なり。心はすなはち正なりと説も。又是れ何の論ぞ。然も光境ともに亡ずといふも。猶是れ真実の論にあらず。光境ともに亡ぜざるも。又是れ義にあらず。然れば賓と説き。主と説き一と説き同と説くも。かさねて是れ義の論にあらず。こヽにいたりて。文殊大士無言無説と説くも。是れ真実の宣にあらず。維摩大士拠座黙然せしも。又是れ義の論にあらず。此の処に到りて。文殊猶見錯り。維摩猶云錯と。なに況や智恵第一の舍利弗。神通第一の目犍連。此の義を見ること未夢見。あだか生盲の物色をみざるがごとし。然も仏の言。仏性は声聞縁覚の夢にも未だしらざるところなり。大般涅槃経卷八如来性品第四之五云。善男子如是仏性唯仏能知。非諸声聞縁覚所及十住の菩薩猶とほく鶴をみて。是れ水なるかこれ鶴なるかとあやまる。且く計較思惟して。良是鶴なりと見るといへども。猶是れ決定ならず。同経同品云。善男子。譬如渇人行於曠野。是人渇逼遍行求水。見有叢樹。樹有白鶴。是人迷閟不能分別是水是樹諦観不已。乃是白鶴乃以叢樹。善男子。十住菩薩於如来性知見少分。亦復如是然も十住の菩薩猶是見仏性不明了同経同品云十住菩薩雖於己身見如来性。亦復如是不大明了。然も少しく如来の所説によりて。自性あることをしりて。歓喜して曰く。我れ無量劫生死の間だに流転して。この常住なることをわきまへざりしことは。無我の為に惑乱せられてなり同経同品云。十住猶未能見所有仏性。如来既説。即便少見。是菩薩摩訶薩既得見。已咸作是言。甚奇也。世尊。我等流転無量生死。常為無我之所惑乱然も見聞を絶し。身心を忘じ。迷悟をさけ。染浄を離れたりといふとも。この義を見ること夢にも又見ること不得。故に空中に向ひて求むることなかれ。色中におきて求むること勿れ。何況や仏に求め祖に求めんや。然も諸人者曠大劫より以来今日にいたるまで。幾回か生死を経歴し。幾回か身心を起滅し来或ひはおもふべし。此の生死去来は夢幻妄想なりと。殊に笑べし。これ何の説話ぞ。抑も生死去来するものあるか。なにを真実の人体といはんや。なにを夢幻妄想なりといはん故に虚妄とも会すべからず。真実とも会すべからず。もし虚妄と会し真実と会せば。此の処にいたりて始終不是なり。故に此の一段の事。子細に須く参徹して始てえん。謾に空を擬し正を擬してもて。恁麼のところとおもふことなかれ。たとひ平坦の水の如く。清潔清浄なりとあきらめて。虚空染浄なきが如くなりといふとも。卒に未だ此のところを明らめえんや。洞山和尚潙山雲巌に参じて。たちまち万法と同参し。全身説法すといふとも。猶是れ不具なることありき。これによりて。雲巌重て慰めて曰。這事を承当せんこと子細にすべしと。此れによりて疑ひ猶のこることありて。暫く雲巌を辞し。他所へゆきしに。水を渡る時影をみて。速かに此事をえて。説偈曰。切忌随他覓。迢迢与我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会。方得契如如。如是解して。卒に雲巌の嫡子として。洞宗の根本たり。然も全身説法を会するのみにあらず。露柱灯籠塵塵爾り。刹刹爾り。法法爾り。三世一切説を会すといふとも。猶不至処ありて慰めき。なに況や。今人知見の中に会して。心是れ仏と会し。身これ仏と会し。或は仏道如何なるべしとも会せず。ただ春の華開くをみ。秋の葉散るをみ。法住法位とおもへり。是れわらふにたへたるものなり。仏法如是ならば。何によりて釈迦出世し。達磨西来せん。然るに上釈尊より唐土以来の祖師。仏祖位中に別なし。誰か是れ大悟せざりつる。人ことに依文解義もて義とし論とせば。いくそばくの仏祖かあらん。故にかれをなげすて。このところを参徹して。自ら仏祖なることをえん。故に祖師の道殊に大悟大徹せずんば。其の人にあらず。故に純清絶点にもとどまらず。虚空明白にもとどまらず。故に船子和尚曰。直須蔵身処沒蹤迹。沒蹤跡処莫蔵身。吾三十年在薬山祇明斯事。純清絶点是非蔵身処也。光境共に忘ずといふとも。猶このところに蔵身することなかれといふ。更に古今と説くべきところなし。迷悟と論ずべきことなし。恁麼に参徹する時。十方壁落なく。四面又門なし。処処脱白露浄なり。故に大須子細。卒爾なることなかれ。今朝此の因縁を説破せんとするに。卑頌あり。要聞麼。

【頒古】

善吉維摩談未到 目連鶖子見如盲 若人親欲会這意 鹽味何時不的当。

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