【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第九祖。伏駄密多尊者。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第九祖。伏駄密多尊者。聞仏陀難提説汝言与心親。父母非可比。汝行与道合。諸仏心即是。外求有相仏。与汝不相似。欲識汝本心。非合亦非離。師乃大悟。

【機縁】

師者提伽国人也。姓毘舍羅。仏陀難提行化至提伽国城毘舍羅家。見舍上有白光上騰。謂其徒曰。此家当有聖人。口無言説。真大乗器。足不蹈地。知触穢耳。則是吾嗣。言訖。長者出投礼問。何所須。尊者曰。我求侍者。長者曰。我有一子。年已五十。口未会言。足未会履。尊者曰。如汝所説真吾弟子。尊者見之如是云を聞。師即遽起礼拝。而説偈相問曰。父母非我親。誰是最親者。諸仏非我道。誰是最道者。尊者以偈答曰。汝言与心親乃至非合非離。時師聞妙偈。即行七歩。尊者曰。此子昔会値仏悲願広大。慮父母愛情難捨故。不言不履耳云云。

【拈提】

実に父母非我親。諸仏非我道。故に正く親きことをしらんと思はば。父母に比すべきにあらず。正く道なることをしらんとをもはば。諸仏に学すべきにあらず。所以者何となれば。汝が見聞卒に他の耳目をからず。汝が手足他の動静を不用。衆生も恁麼なり。諸仏も恁麼なり。かれ是れを学び。是れかれを学ぶは。卒に是れ親きにあらず。あに道とすべけんや。恁麼の道理を護持保任する。故に口にものいはず。足ふまず。やヽ五十年をへたり。実に是れ大乗の器。触穢中にあらざらまくのみ。父母我親にあらずといふ。即是れ汝が言なり。これまさに汝が心としたしし。諸仏吾が道にあらずといひて。足遂にふまず。即汝が行なり。道に合す。然れば外に有相の仏を求むる。卒に是れ非行。此れによりて祖師門下。不立文字直指単伝して。見性成仏しもてゆく故に。人をして直指なることをしらしめんとして。単伝せしむるに他の榜樣なし。ただ人をして直に意根下を坐断して。口辺に白醭を生ぜしめもてゆく。是れ言を忌むにあらず。黙をよみするにあらず。汝が心恁麼なることをしらしめんとなり。清水の如く虚空の如し。純白清潔にして和融無礙也。故に自心の外にあらはるヽ一物なく。己霊の上に繊塵の遮るべきなし。全体明瑩にして珠玉に列せず。日月の光明をもて自己の光明に比することなかれ。火珠の光明をもて自己の眼睛に比することなかれ。不見道。人々一段の光明あきらかなること。千日並び照すが如し。くらきものは内に向ひて覓め。明かなるものは外に向ひて存せず。しづかにをもふべし。内をもて親きとすることなく。外をもて疎とすることなしと。古往今来如是なりといへとも。自倒自起し来ることなかれ。故に祖師親切に相見す。只恁麼に相逢。更に無多子。適来の因縁をもてあきらめつべし。必ずしも修証によりていたるべしといはず。三学によりて窮むべしといはず。只汝が心全く汝と親し。汝まさにこれ道なりといふ。此の外に有相の仏も求めず。無相の仏も求めず。実にしりぬ。汝ぢ誰れにか合せん。誰とか離せん。卒に合にあらず離にあらず。たとひ是れ身と説もこれ離にあらす。たとひ是れ心と説も亦これ合にあらず。恁麼の田地に到るといへども。身の外に心を覓むることなかれ。たとひ生死去来すれども。身心の作にあらず。諸仏も恁麼に保任して。三世に常に証し。諸祖も恁麼に保任して。三国にあらはれきたる。諸人者も恁麼に保任して。更に分外にすることなかれ。十二時中卒にいまだ相錯ることなし。十二因縁却てこれ転法輪なり。此の田地にいたる時。五道の輪転自ら大乗の翻軸なり。四生の受業まさに是れ自己の活計。たとひ情と説き非情と説くも。恰も眼目の異名なり。たとひ衆生といふとも。心意の別称也。心を勝れたりとして意を劣れりとすることなかれ。あに眼をいやしみて目を貴とせんや。這箇の田地卒に根塵の境界なく。心法の所見なし。故に人人悉く是れ道なり。事事すべて心ならざることなし今朝又此の因縁を指説せんとするに。卑語あり。大衆要聞麼。

【頒古】

莫言語黙渉離微。豈有根塵染自性。

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