仏教を本気で学ぶ

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】18、十六学生の質問の結語

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経典翻訳『四諦経』『八正道経』

147年(中国)(後漢 建和元年)、安世高が洛陽にて経典翻訳『四諦経』『八正道経』等。<< 戻る
人物

カニシカ王 – 仏教を保護

カニシカ王とは、中央アジアからガンジス川流域を支配し、仏教を保護したクシャーナ朝の中で最も名の知られた王です。漢訳仏典では音写して迦膩色迦などと表記されます。在位は144年頃~171年頃と考えられています。この時代にガンダーラ美術がおこりました。カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されています。その伝説によれば、カシミール地方にシンハという王がいて、仏教に帰依してスダルシャナと称して出家し、カシミールで法を説いていました。カニシカ王は彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったといいます。各地に仏塔を建造したことが知られているほか、仏典の第四回結集(第三回とも)が...
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中国への仏教伝来

67年(中国)(後漢 永平10年)、中国への仏教伝来。明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話より。(諸説あり)<< 戻る
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『法華経』(ほけきょう)

法華経とは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)のことです。もともとの梵語(サンスクリット語)では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Pundarīka Sutra, 正しい教えである白蓮花の経典)であり、鳩摩羅什訳で「妙法蓮華経」となりました。「法華経」は「妙法蓮華経」の略称です。日本に仏教が538年か552年に伝来し、聖徳太子の法華経の注釈書「法華義疏」は615年に著されたので、日本では早い段階から重要な位置にあったはずです。中国では286年に竺法護が『正法華経』として漢訳しています。法華経はサンスクリット語の写本...
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大衆部枝末分裂/上座部枝末分裂

紀元前160年頃、大衆部枝末分裂。上座部枝末分裂。説一切有部、経量部等成立。アビダルマ仏教。論蔵の成立。<< 戻る
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ミリンダ王の問い

紀元前2世紀後半にアフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世(ミリンダ王/弥蘭王/弥蘭陀王)とインド仏教の長老であるナーガセーナ(那先/那伽犀那/龍軍)との間で紀元前160年頃に3日間行われた問答で、王は最後には仏教信者になる。パーリ語経典の『ミリンダ王の問い』、漢語経典の『那先比丘経』として伝えられている。初日はミリンダ王がナーガセーナを訪ね、2日目と3日目はナーガセーナが王宮を訪ね問答を行う。初日の問答の始まりはこんな感じです。あなたの名前を教えてください王よ、私はナーガセーナと世間に呼ばれているけど、それはあくまでも呼称・記号・通念・名称で...
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第三結集(だいさんけつじゅう)- アショーカ王の呼びかけ

(アショーカピラー/インド・ビハール州クムラハール)紀元前260年(インド)第三結集がマウリヤ王朝の都パータリプトラ(パトナ市)の郊外にある鶏園寺(クムラハール)において、マウリヤ王朝3代目アショーカ王の呼びかけで阿羅漢1000人が集まり経・律・論がまとめられる。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から235年後頃に行われた(上座部の伝承)。なお、紀元前244年開催説もある。<< 戻る
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アショーカ王即位

(アショーカ王レリーフ/より)紀元前268年(インド)、アショーカ王(阿育王)が即位し、治世9年目にインド亜大陸の東岸で勢力を振るったカリンガ国に戦を仕掛け征服するが、戦争の悲惨さを実感し仏教に帰依。アショーカ王が石柱や摩崖(岩)などに刻ませたアショーカ王碑文が多く残る。在位~紀元前232年頃の間、仏教がインド全体に普及。原始仏教聖典原型成立。『阿含経』『法句経』『ジャータカ』等。<< 戻る
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第二結集(だいにけつじゅう)- 上座部と大衆部に根本分裂

(ストゥーパとアショーカピラー/インド・ビハール州ヴァイシャリ)紀元前385年(インド)第二結集が毘舎離(ヴァイシャリ)において阿羅漢700人が集まり行われる。ヴィナヤ(律蔵)の10の要点について討議されたといわれている。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から100年後頃に行われた(上座部の伝承/説一切有部の伝承では入滅から110年後)。これにより上座部と大衆部に根本分裂。<< 戻る
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ゴータマ・シッダッタ

ゴータマ・シッダッタとは、お釈迦様の生家の性および名です。姓であるゴータマとは「最も優れた牛」という意味で、名のシッダッタとは「目的を達成した人」という意味です。以上の説明は巴語(パーリ語)によるもので、梵語(サンスクリット語)では、ガウタマ・シッダールタとなります。当ウェブサイトでは出典によって使い分けることがあります。梵語(サンスクリット語) Gautama Siddhārtha ガウタマ・シッダールタ巴語(パーリ語) Gotama Siddhattha ゴータマ・シッダッタ・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族(釈迦族)といいます。王さまよ。私はその家から出家したのです。欲...
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ゴータマ

ゴータマとは、お釈迦様の生家の性です。牛(go)に最上級の接尾辞がついた形で「最も優れた牛」という意味です。仏典ではこの姓によってお釈迦様のことを意味します。種族の名前が釈迦族といい、太陽の末裔と称していたことから、太陽崇拝の影響が見られます。ゴータマ・ブッダ。ゴータマ・シッダッタ。ガウタマ・シッダールタ。梵語(サンスクリット語) Gautama ガウタマ巴語(パーリ語) Gotama ゴータマ・「ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。」(スッタニパータ 301偈)・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族(釈迦族)といいます。王さまよ。私はそ...
人物

アトゥラ

アトゥラは、北方インドのサーヴァッティー市の在俗信者です。ある時、500人の信者に囲まれて、レーヴァタ長老のところに行って教えを聞こうとしましたが、この長老は一人静かに瞑想にふけっていたために、何も説いてくれませんでした。そこで彼は憤ってサーリプッタ長老のところへ行ったら、アビダルマに関する議論をやたらに聞かされました。「こんな難解な話を聞いて何の役に立つのか?」と憤ってしまいます。次にアーナンダ長老のところへ行ったところ、ほんの少しばかり教えを説いてくれました。そこでやはり憤って、最後に祇園精舎にいるブッダのところへ行ったところ、ブッダは次の詩を語ったということです。・「アトゥラよ。これは昔...
人物

シンハヌ王(師子頬王)- お釈迦様の祖父

シンハヌ王とは、釈迦族の王であり、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の祖父です。漢訳仏典では「師子頬王」(ししきょうおう)と訳されます。生誕 命日 << 戻る
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オッカーカ王(イクシュヴァーク王/甘蔗王)

オッカーカ王とは、インド古代の伝説的なアヨーディヤー王で、日種の祖であり、釈迦族の祖です。また、コーサラ国もこの王の末裔を自称しています。漢訳仏典では甘蔗王(かんしょおう)と呼ばれます。『リグ・ヴェーダ』にも登場する英雄王で、話しをするとその口からたいまつの光のような光線が射したとされています。・「むかしカピラヴァストゥの都から出て行った世界の指導者(ブッダ)がおられます。彼は甘蔗王の後裔であり、釈迦族の子で、世を照す。」(スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序 991偈)梵語(サンスクリット語) इक्ष्वाकु Ikṣvāku イクシュヴァーク巴語(パーリ語) Okkāka オ...
人物

マハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提)- お釈迦様の養母

マハー・パジャーパティーとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の養母であり叔母です。漢訳仏典では「摩訶波闍波提」(まかはじゃはだい)と訳されます。摩耶夫人(お釈迦様の実母)は姉だと伝えられ、共にスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)の妃となったといわれます。巴語でマハー・パジャーパティーといい、梵語でマハー・プラジャーパティーという表記もあります。史料により名前が違っていたり、家族構成などが違っているようで、正否がはっきりしない事柄も多いです。お釈迦様の異母兄弟に当たるとされるスンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)の母であもあり、お釈迦様が悟りを得て仏となった後に、最初の比丘尼になりました。梵語(サンス...
人物

スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)- お釈迦様の異母兄弟

スンダラ・ナンダとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の異母兄弟です。漢訳仏典では「孫陀羅難陀」(そんだらなんだ)や「難陀」と訳されます。父はスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)、母はマハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提/お釈迦様の養母)。お釈迦様の弟子になりました。1~2世紀の馬鳴は、スンダラ・ナンダをモデルにその回心を描いた詩『端正なる難陀』(サウンダラナンダ)を著述しています。梵語(サンスクリット語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ巴語(パーリ語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ生誕 命日 << 戻る
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ヤソーダラー(耶輸陀羅)- お釈迦様が出家する以前の妃

ヤソーダラーとは、お釈迦様が出家する以前、ゴータマ・シッダッタ太子だった時の妃です。結婚してラーフラ(羅睺羅/密行第一)を産みました。漢訳仏典では「耶輸陀羅」(やしゅだら)と訳されます。巴語でヤソーダラーといい、梵語でヤショーダラーという表記もあります。お釈迦様が悟りを得て仏となった後に、比丘尼になりました。史料により、家族構成などが違っているようで、正否がはっきりしない事柄も多いです。梵語(サンスクリット語) Yaśodharā ヤショーダラー巴語(パーリ語) Yasodharā ヤソーダラー生誕 命日 << 戻る
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デーヴァダッタ(提婆達多)

デーヴァダッタとは、お釈迦様の従兄弟で弟子になりましたが、驕慢の心を起こし、勝手な提案が受け入れられなかったので、分派して新しい教団・デーヴァダッタ派(提婆達多派)をつくりました。漢訳仏典では「提婆達多」(だいばだった)と訳される他、略して提婆、音写して調達、意訳して天授などの記述があります。お釈迦様の従兄弟でしたが、アーナンダ(阿難/多聞第一)の兄、もしくは、ヤソーダラー(耶輸陀羅/お釈迦様が出家する以前の妃)の兄弟とする説が多数を占めています。梵語(サンスクリット語) Devadatta デーヴァダッタ巴語(パーリ語) Devadatta デーヴァダッタ生誕 命日 << 戻る
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スッドーダナ王(浄飯王)- お釈迦様の父

スッドーダナ王とは、釈迦族の王であり、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の父親です。漢訳仏典では「浄飯王」(じょうぼんおう)と訳されます。また、スッドーダナ王の父親はシンハヌ王(師子頬王)です。巴語でスッドーダナといい、梵語でシュッドーダナという表記もあります。生誕 命日 << 戻る
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アシタ仙

アシタ仙人、阿私陀仙アシタという仙人(isi)は、スッドーダナ王(浄飯王)の父であるシンハヌ王(師子頬王)の宮廷僧でした。アシタ仙はスッドーダナ王がまだ王位に即いていない時にはその技芸の師となっていましたが、王位に即いた後には宮廷僧となりました。アシタ(Asita)とは「黒色」という意味で、仏典には同じく黒色の意味である「カンハ(kanha)」に続けて敬称の「シリ(sri)」を合わせた呼称「カンハシリ」とも呼ばれています。「結髪の仙人」と表現されているので、頭髪を束ねて縛っている螺髻(らけい)もしくは螺髪(らほつ)という、ほら貝のような形をした髪形で、当時の行者の姿です。スッドーダナ王に子ども...
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アジャータシャトル(阿闍世)

アジャータシャトル、クーニカ・アジャータシャトル Kunika Ajātashatru、阿闍世(あじゃせ)、未生怨(みしょうおん)古い時代の仏典には「ヴィデーハ国王の女(むすめ)の子」という表現もあります。つまり、ヴィデーハ国から来た妃の子をこのように表現するのは、古代インドの習慣から来るもので、母系家族制の影響だと考えられています。アジャータシャトルは古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。父王ビンビサーラを殺害して王位を得た。しかし、アジャータシャトル自身も息子によって殺害されたと伝えられている。父王ビンビサーラを殺害したが改心しブッダに帰依するようになっていたため、ブッダ...
人物

パセーナディ(波斯匿王)

パセーナディ Pasenadi(巴)、波斯匿王(はしのくおう)、プラセーナジット Prasenajit(梵)パセーナディは古代インドに栄えたコーサラ国(拘薩羅国)(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州辺り)の王。ブッダの教えを聞き帰依したため、仏典にも登場する。パセナーディ、パーセナディ、パセーナディとも表記され、音写で鉢羅犀那逝多、鉢邏犀那待多、波匿、卑先匿、不梨先泥、意訳で、勝光、勝軍、明光、和悦などの記述もあります。パセーナディの妃の数ははっきりしませんが、パセーナディの子どものうち、マッリカー(末利夫人)の間に産まれたヴィドゥーダバ(瑠璃王)、祇園精舎の施主であるジェータ(祇陀)、娘...
人物

マッリカー(末利夫人)

マッリカー Mallikā、末利夫人(まりぶにん)マッリカーは、コーサラ国(拘薩羅国)のパセーナディ(波斯匿王)の妃であり、子にはヴィドゥーダバ(瑠璃王)がいます。マッリカーとの結婚までの経緯として、パセーナディ王は釈迦族から妃を迎えたいと要請しました。断わった場合、釈迦族を攻めるつもりだったといわれます。釈迦族は他の民族とは婚姻しないという伝統があったともいわれ、その血筋の誇り高さから一計を案じ、釈迦族の王族で大臣の一人と言われるマハーナーマが召使に生ませた娘を妃として差し出すことにしました。その娘がマッリカーでした。<< 戻る
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ヴィドゥーダバ(瑠璃王)

ヴィドゥーダバ Viḍūḍabha(巴)、瑠璃王(るりおう)、毘瑠璃王(びるりおう)、琉璃王(るりおう)、ヴィルーダカ Virūḍhaka(梵)ヴィドゥーダバの父はコーサラ国(拘薩羅国)のパセーナディ(波斯匿王)、母はマッリカー(末利夫人)で、お釈迦様が生きていた時代に釈迦族を殲滅させた王として知られています。釈迦族を殲滅させるまでの経緯として、パセーナディ王は釈迦族から妃を迎えたいと要請しました。断わった場合、釈迦族を攻めるつもりだったといわれます。釈迦族は他の民族とは婚姻しないという伝統があったともいわれ、その血筋の誇り高さから一計を案じ、釈迦族の王族で大臣の一人と言われるマハーナーマが召...
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ジェータ(祇陀)

ジェータ Jeta、祇陀(ぎだ)、ジェータ太子、祇陀太子ジェータは、コーサラ国のパセーナディ(波斯匿王)の太子です。『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・」の書き出しで日本でも広く知られている祇園精舎をスダッタ長者(須達多/給孤独)と共に寄進しました。舎衛城に精舎を建立する願を立てたスダッタがジェータ太子の所有していた林苑を譲ってほしいと頼んできたので、冗談で「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と言ったのですが、スダッタは本当に金貨を敷き詰め始めたためジェータ太子は驚いて、土地を素直に譲り、自らも進んで樹木を提供し精舎建設を援助しました。この精舎はジェータ太...
人物

シュリーマーラー(勝鬘夫人)

シュリーマーラー Śrīmālā、勝鬘夫人(しょうまんぶにん)シュリーマーラーは、古代インドの在家の女性信者。シュリーマーラーは「素晴らしい花輪」という意味で、勝鬘はそれを漢訳したもの。父はコーサラ国王であるパセーナディ(波斯匿王)、母はマッリカー(末利夫人)。アヨーディヤー国に嫁いだとされています。『勝鬘経』には主人公として登場しており、お釈迦様に帰依していた父母は、シュリーマーラーの知恵が優れていることから、お釈迦様と会うことを勧めました。シュリーマーラーがお釈迦様を称え救いを請うと、その姿を現して説法し、彼女もそれに応え誓願と説法を述べたと伝わります。<< 戻る
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スダッタ(須達多/給孤独)

スダッタ Sudatta、須達多(すだつた)、須達(すだつ)、善施(ぜんせ)、給孤独(ぎっこどく/アナータピンディカ、Anathapindadasya)、シュダッタという記述もあり。スダッタは、コーサラ国の商人であり長者、富豪です。『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・」の書き出しで日本でも広く知られている祇園精舎をジェータ太子(祇陀)と共に寄進しました。また、よく孤独な貧者に食物などを施したので、給孤独と呼ばれていました。ある日、マガダ国の竹林精舎でお釈迦様の説法を聞くと深く敬信の心を生じたので、舎衛城へも来てほしいと請い願ったのでした。舎衛城に精舎を建立する願を立てると...
人物

マハーナーマ(摩訶男)- 釈迦族

マハーナーマ Mahānāma(巴) 摩訶男(まかなん) マハーナーマン Mahānāman(梵) 仏典には同名別人と考えられる人物がいくつか存在し混同されやすいです。マハーナーマは、釈迦族のドロノダーナ(斛飯王)、あるいはアムリトダーナ(甘露飯)のどちらかの太子で、兄弟にアニルッダ(阿那律)がいます。お釈迦様とは親類で従兄弟です。またお釈迦様が成道した後は在家の弟子になりました。ある日、パセーナディ王は釈迦族から妃を迎えたいと要請しました。断わった場合、釈迦族を攻めるつもりだったといわれます。釈迦族は他の民族とは婚姻しないという伝統があったともいわれ、その血筋の誇り高さから一計を案じ、マハー...
人物

ビンビサーラ(頻婆娑羅)

ビンビサーラ Bimbisara、頻婆娑羅(びんばしゃら)ビンビサーラは古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。マガダ国の勢力を大きく拡大した。ブッダの教えを聞き帰依したため、仏典にも登場する。ブッダより5歳年少であったという。15歳にして父王ボーディサの跡を継いでマガダ王となる。・「目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の首都・山に囲まれた王舎城に行った。すぐれた相好にみちた目ざめた人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。マガダ王ビンビサーラは高殿の上に進み出て、彼を見た。すぐれた相好にみちた目ざめた人を見て、侍臣にこのことを語った。」(スッタニパータ 408-409偈、この続きもあり...
人物

ヴァンギーサ(婆耆舎、婆耆沙)

ブッダの弟子の一人で「弁舌第一」といわれています。・「ヴァンギーサ長老は座から起ち上がって、衣を一つの肩にかけ右肩をあらわして、師(ブッダ)のおられる方に合掌して、師に告げて言った、「ふと思い出すことがあります!幸せな方よ」と。「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。そこでヴァンギーサ長老は師の面前で、相応しい詩を以て師をほめ称えた。451 自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである。452 好ましい言葉のみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられる言葉である。感じの悪い言葉を避けて、他人の気に入る言葉のみを語るのである。453 真実は実に不滅の...
人物

スバーフ(蘇婆呼)

スバーフ Subāhu(梵)・(巴) 蘇婆呼(そばこ)、意訳で善臂とも記述されます。スバーフは、バラナシ(ベナレス)出身のお釈迦様の弟子です。五比丘の初転法輪に次いでお釈迦様の6番目の弟子となったヤシャス(耶舎)の4人の親友の一人で、ヤシャスの出家を聞き他の3人(ガバンパティー(憍梵波提)、ヴィマラ(毘摩羅)、プンナジ(富蘭那迦))と共に出家しました。<< 戻る