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あらゆる場合に
以下の偈において「あらゆる場合に」とは、与える前、与えつつあるとき、与え終わった後、その3つの時期をいいます。与える前には心楽しく、与えつつある時には心を清浄ならしめ、与え終わっては心喜ばしめると解釈 ...
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福徳(ふくとく)
福徳(punna)とは、恩返し、良いこと、名声、などの意味があります。功徳とも訳される。 ・「尊い師は答えた、「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を求め福徳を目指して供物をささげる人が、この ...
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第七の仙人
お釈迦様(ブッダ)が世に出る以前、過去に六人のブッダが出て、お釈迦様は第七人目にあたります。ここで仙人とはブッダのことを指しています。(過去七仏) << 戻る
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過去七仏(かこしちぶつ)
過去七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)まで ...
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五人の修行者
2019/10/02 -仏教を本気で学ぶ
ブッダが悟りを開いたあと、ベナレス郊外の鹿野苑で最初に説法したとき、教えを聞いた五人の修行者。ブッダは彼らにとっての上首であると考えられていたのであろう表現が経典には残っています。 ・「師は答えた、「 ...
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第八の生存
2019/10/02 -仏教を本気で学ぶ
第八の生存とは、仏教の修行につとめた聖者(預流果を得た人)は、たとえ死後に生存を繰り返すことがあっても、第七回目の生存までにニルヴァーナを得て、第八回目の生存に至ることはないという。 ・「深い智慧ある ...
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お寺ヨガ
「お寺でヨガやってるよ」 と聞くと、檀家さんを対象とした催しか、新たな人をお寺に呼びたいための催しか、だいたいこの2通りです。私たち一般人にとっては、ヨガがやりたいのであれば宗派・宗旨なんてどうでもい ...
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アンドロイド観音について
アンドロイド観音とは、仏教になじみのない人にも触れてもらおうと、1年半をかけて高台寺と大阪大学大学院基礎工学研究科の小川浩平研究チームが総事業費1億円をかけて開発しました。 2019年2月23日アンド ...
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六十三種の異説
六十三種の異説とは、梵網経に説かれた六十二の異端説に、自己の身体が実在すると見なす見解(身見)を加えて六十三としています。 ・「智慧豊かな方よ。諸々の道の人の論争に捕らわれた、名称と文字と表象とにもと ...
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地蔵札(じぞうふだ)
地蔵札(じぞうふだ)というお札を街中や寺院にあるお地蔵さんにを貼る習慣があります。亡くなった時、お彼岸など、全国各地にも地蔵菩薩信仰に基づく似たような習慣があり、その由来についても諸説ありますが、六道 ...
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無我(むが)
”私”と認識されるものには永遠なる実体がないことを無我と言います。全ての物事に実体がないことを諸法無我と言います。常に変化する世界で、例えば、私の細胞は常に生き死にしています。水分を飲んで、食事して栄 ...
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五戒(ごかい)
仏教には、人間が生きていくために守った方が良いもの、全ての仏教者が守るべきものをまとめた五戒(ごかい)があります。 この5つの戒が五戒です。 一見、「大丈夫そう」とか「あれさえ注意すれば大丈夫だろう」 ...
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苦(く)
仏教で言うところの「苦」は、思い通りにならないということです。現世では生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるという真理を説いたものです。 「一切皆苦」「 ...
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恒河沙(ごうがしゃ)
恒河沙(ごうがしゃ)はサンスクリット語「ガンガー(गंगा、Gaṅgā)」に相当する音写です。恒河沙とはガンジス川にある無数の砂の意味であり、もともと無限の数量の単位、例えとして仏典で用 ...
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刹那(せつな)
刹那(せつな)はサンスクリット語「クシャナ(ksana)」に相当する音写で、漢訳では「念」と表されています。刹那は仏教の時間の概念の1つで、きわめて短い時間、瞬間を意味し、最も短い時間の ...
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魚鼓(ぎょく)
「魚鼓(ぎょく)」は「ほう(ぎょほう:ほうは「木」へんに「邦」)」とも言われ、仏具の一種、あるいは打楽器の一種として使われています。中国では北宋(960~1127年)の頃に魚形のものが現れていたようで ...
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木魚(もくぎょ)
木魚は仏具の一種、あるいは打楽器の一種として使われています。中国では北宋(960~1127年)の頃に魚形のものが現れていたようです。魚はまぶたがありませんね。ですから、その目は閉じることが出来ません。 ...
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脚下照顧(きゃっかしょうこ)
寺院の玄関を入ると脚下照顧(きゃっかしょうこ)と書かれた単牌が置かれているのを見かけます。「自分の足元を見なさい」という意味です。玄関に置いていますから、履き物を揃えましょうということを示しています。 ...
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クシナガラについて
インド北部のヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれた場所にガンガーの流れる広大なヒンドゥスタン平原があり、そこにウッタル・プラデーシュ州(UP州)があります。この州はインド最大の人口を持ち、古くから農村地帯 ...
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『妙法蓮華経普賢菩薩勧発品』(みょうほうれんげきょうふげんぼさつかんぼつぼん)
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愚痴(ぐち)
愚痴とは、言ってもしかたのないような不平不満を言って嘆くことです。もともとの意味は、仏の智恵に暗いこと、物事の真実を知らないこと、智恵や真実を知ろうとしないことを愚痴といいます。愚痴は、貪・瞋・癡(と ...
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醍醐(だいご)- カルピスと 七夕
醍醐とは、『大般涅槃経』では五味として順に「乳」「酪」「生酥(しょうそ)」「熟酥(じゅくそ)」「醍醐」という牛乳の発酵精製の段階で一番美味しいものとして例えられます。また、『涅槃経』では、最後で最上の ...
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無常(むじょう)
常に変化していることを無常と言います。全ての物事が常に変化していることを諸行無常と言います。これを聞いて、多くの人は「当たり前だな」と思うわけですが、私たちは同時に大切なもの、大切な人、大切な活動、大 ...