【仏教用語/人物集 索引】

五戒(ごかい)

投稿日:2018年8月15日 更新日:

仏教には、人間が生きていくために守った方が良いもの、全ての仏教者が守るべきものをまとめた五戒(ごかい)があります。
不殺生戒(ふせっしょうかい)不偸盗戒(ふちゅうとうかい)不邪婬戒(ふじゃいんかい)不妄語戒(ふもうごかい)不飲酒戒(ふおんじゅかい)

この5つの戒が五戒です。
一見、「大丈夫そう」とか「あれさえ注意すれば大丈夫だろう」とか思われた方もいるかもしれませんね。健康で安定した状態では大丈夫でも、不健康で不安定な状態になった時に守れないようでは困ります。

誰が困るのか?自分です。

五戒はお釈迦様との約束でもなく、僧侶との約束でもなく、誰かとの約束事ではなく、幸せになるための自分自身との約束です。本能のままの生き方が良いのか、どうか?漠然と生きていれば陥りやすい5つのポイントを五戒としてまとめられています。五戒を意識して生きてみませんか?
それでは順に詳細を確認していきましょう。

不殺生戒(ふせっしょうかい) 殺すなかれ

殺生とは、生き物を殺すこと。人間以外の動物や鳥類、魚類、爬虫類、昆虫類などをまず見ていくと、生きるために獲物を捕まえ食べます。ミミズは小鳥に食べられ、小鳥は蛇に食べられ、蛇は鷹に食べられというような食物連鎖があり、逆に鷹は蛇を食べ、蛇は小鳥を食べ、小鳥はミミズを食べるとも言えますが、自分の命を守りたいという生存欲と共に、いつ捕食されるか分からないという恐怖心も持って毎日生きています。つまり、他の生物を殺して食べることは生きるために必要なことで生き物の本能です。

人間も動物ですから遺伝子的に他の生物を殺して食べるという本能を持っています。人間は現在確認できている他の生物の脳よりも発達していますが、恐怖心や生存欲から他の生物と同じように他の生物を殺してしまおうという反応が起きます。その反応とは、相手を五感を持って脳が認識し、危険か・危険でないか・食べられるかなどを脳が判断し、本能でもって脳が行動することです。

その反応がもし、生き物を殺すことであったならば、切り替えて、殺さずに他の方法を考えて行動すると自分で決めておくというのが不殺生戒です。本能的には殺そうと思った(反応した)けれど、結局、殺さなかったということで、不殺生戒は守られます。

不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗むなかれ

偸盗とは、自分のものでないものを盗むこと。観光地などでサルに食べ物を取られることが問題になったりしますが、サルは自分に必要なものを本能でとっているだけです。威嚇して怖がるような、弱そうな生物(人間)からとればサルのものです。人間とサルとの間に窃盗罪の取り決めはないので、強いものが勝つことになります。ここでいう「強いもの」「弱いもの」は状況によって逆転する場合もあると思いますので、結果として強かったものが勝つという意味で捉えてください。


(インド・ケララ州 バーフバリの滝のロケ地の近くにいたアイスクリームを食べるサル/2018年)

人間も遺伝子的に強いものは弱いものから奪うという本能を持っています。恐怖心や生存欲から他の生物と同じように強いものは弱いものから奪うという反応が起きます。その反応とは、相手を五感を持って脳が認識し、弱いか・強いかなどを脳が判断し、本能でもって脳が行動することです。

その反応がもし、弱いものから盗むことであったならば、切り替えて、盗まずに、必要なものは働いて得たり、他人に助けてもらったり、他の方法を考えて行動すると自分で決めておくというのが不偸盗戒です。本能的には盗もうと思った(反応した)けれど、結局、盗まなかったということで、不偸盗戒は守られます。

不邪婬戒(ふじゃいんかい) 邪な行為をするなかれ

これまで繋がってきた生命は、これからも生命を残そうとする本能があります。動植物共通でそのような仕組みになっているのですから仕方がありません。植物なら風任せ、虫任せで次の生命を残せるかもしれません。爬虫類や魚類、昆虫類なら卵を産みっぱなしでも生命を残せるかもしれません。鳥類や動物になると子育てが必要になってきますので、脳の何らかの進化があったはずです。自分たちで産んだ子どもは自分たちで育てなければ、同類社会で生きていけないし、他人は育ててくれません。鳥類や動物でも、他人(鳥、動物)任せにしている生命は繋がらないでしょう。

全生命に共通するような生殖本能は人間にもあります。それが分かった上で、生命が進化して人間として産まれてきたからには、風任せ、他人任せにはできないということを意識して、性行為は、合法的に、他の五戒にも接触しないように行うことで不邪婬戒は守られます。

不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をつくなかれ

妄語とは、嘘をつくことです。人間の身体と脳が発達し、現在ではコミュニケーションをとるために言葉をしゃべる能力が高まっています。現在の人間が繁栄しているのは自由に言葉を使い、細かいところまで意思疎通ができるようになったからだと言われています。

しかし、「嘘も方便」と言って「良い嘘」「悪い嘘」は誰が決めているんでしょう?みんなそれぞれに勝手に決めているのが現実なのではないでしょうか。例えば、子育てで体験することでは、幼児が思い付きで発する言葉や想像力を膨らまして発する言葉、どうして良いか分からずにとっさに発する言葉を親は「嘘をついてはいけません」と叱ります。幼児は言語的にも発達途上で、もしかしたら「嘘」という認識がないままかもしれません。大人も同様に、自分で確かめずに発するような言葉は、確かめた人からすれば嘘に成りえるのでしょう。

さらに、騙し、ののしり、けなし、二枚舌、うわさ話、無駄話などは嘘がつきものです。自分で事実を確かめるよりも、想像で話す方が楽なので、人間の脳は嘘をつくという楽な方に働きます。よって、頭で嘘を思いついても、切り替えて、嘘をつかないように意識するのが不妄語戒です。本能的には嘘が思い浮かんだ(反応した)けれど、結局、嘘をつかなかったということで、不妄語戒は守られます。

不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒などの心を乱すものを使用するなかれ

飲酒とは、酒を飲むことを象徴として、麻薬類、不法薬物などの使用をすることです。「私は飲んでも、使っても心が乱れません!」という人がいれば、それが判断基準、心が乱れている証拠です。酒、麻薬類、不法薬物などは依存性があります。普段の生活が出来ない状態になるものに依存してしまってからでは、いくら意識して、理性を保とうとしても、他の五戒を保つことができなくなります。「不飲酒戒だけ守れてないな」という人は他も危うい状態だと考えられます。

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