buddhism

仏教を本気で学ぶ

五力(ごりき)

五力とは、悟りを得るための五つの力または五つのすぐれた働きのことです。巴語で、pañca balāni(パンチャ・バラーニ)といいます。信(信仰)・精進(努力)・念(憶念)・定(禅定)・慧(智慧)の五つ。<< 戻る
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日本では自灯明・法灯明の教えとして伝わっている部分です。灯と島が指し示す所は同じで意訳されたのでしょう。ちゃんとブッダ最後の旅を読む前は、もっと最終的な遺言で語られた部分なのかなと思っていましたが、旅の途中でアーナンダに語った部分でした。もしかすると、それまでにも何度も説いていた教えかもしれませんね。

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「今でも、また、わたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らを頼りとし、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所とし、他のものを拠り所としないでいる人々がいるならば、彼らは我が修行僧として最高の境地にあるであろう。」(『ブッダ最後の旅』【 第2章 】9、旅に病む – ベールヴァ村にて)

人物

TARAKO(たらこ)

TARAKOは、声優、ナレーター、女優、タレント、シンガーソングライター、脚本家、エッセイストとして活躍しました。1990年から放送されたTVアニメ『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子役を担当し、同作が国民的な大人気作になったことで独特な名前と声のTARAKOも知名度を上げました。生誕 1960年〈昭和35年〉12月17日命日 2024年〈令和6年〉3月4日<< 戻る
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3月は月遅れのお釈迦様の涅槃の日が3月15日。今年の春彼岸の中日は3月20日(水曜)「春分の日」です。

人物

鳥山明(とりやまあきら)

鳥山明は、漫画家やデザイナーとして活躍しました。代表的な漫画は『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』。また、キャラクターデザインを手がけた『ドラゴンクエスト』『クロノ・トリガー』も世代を超えて知られている。尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、幼少時には『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日描いていた。同じく、一番影響を受けたのはディズニーアニメで、『101匹わんちゃん大行進』のディフォルメに影響を受けて毎日模写をしていたという。生誕 1955年〈昭和30年〉4月5日命日 2024年〈令和6年〉3月1日<< 戻る
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お釈迦様が亡くなる直前に弟子からどのようにそのご遺体を処理すればよいか、修行完成者であるお釈迦様を正しく葬儀する方法を聞いていて、それに答える様は、2500年前の終活の起源を見るようです。

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明日、2月15日は涅槃会です。お釈迦様の亡くなった日。

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期間限定でメインタイトルにしていた「仏教で身体と心を整える」から本来のウェブサイトタイトルに戻しました。これでお釈迦様の涅槃の日を迎える準備は整いました。また、先日の新月をもって旧正月になったことで、新たな気持ちが満ちています。

便り

涅槃像の足の裏

この写真はインド・クシナガラの涅槃像(ねはんぞう)の足の裏を朝一番に撮影したものです。金色に輝く綺麗な足です。この涅槃像は頭部と足部だけが露出(他の部分は布で覆われている)しているのですが、足部に金箔を熱心に貼る人を多く見かけました。インドでは尊敬する人へ感謝を表す時に、尊敬する人の足を触ります。例えばガンジーさんが教科書を買えない貧しい子どもたちに無償で教科書を提供してくれたとします。そうすると子どもたちはガンジーさんの足にそっと触れ感謝を表します。国によって色いろな感謝の表し方があるのですね。
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清浄な罰(ブラフマ・ダンダ)

清浄な罰(ブラフマ・ダンダ)とは、『ブッダ最後の旅【 第6章 】23、臨終のことば』に登場する初期仏教教団にあった修行僧に対する罰で、罰を受ける者は、自分の欲することを何でも言ってもいい反面、その他の修行僧たちは、罰を受ける者に話しかけてはならないし、訓戒してはならないし、教えさとしてはならないというものです。上記出典先では、チャンナという修行僧は、気難しく、かたくなで、仏教教団の内部にあっても他人と協力せず、摩擦や抗争を起こしたことから、清浄な罰を受け、その後は人格も円熟したと言われています。清浄な罰の開始およびいつまで実施されるかは、本人や関わる範囲の修行僧たちに共有されたと考えられていま...
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四神足(しじんそく)

四神足とは、超自然の神通力を得るための四種の基で、不思議に境界を変現する通力のことで、「欲神足」「勤神足」「心神足」「観神足」。これらは悟りを得るための実践修行法の一つです。巴語(パーリ語)でcattarro iddhipada 、四つの自在力を得る根拠という意味です。①欲神足(よくじんそく)とは、すぐれた瞑想を得ようと願うこと。意欲。②勤神足(ごんじんそく)とは、すぐれた瞑想を得ようと努力すること。努力。③心神足(しんじんそく)とは、心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとすること。思念。④観神足(かんじんそく)とは、智慧をもって思惟観察してすぐれた瞑想を得ること。考察。<< 戻る
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ブッダ最後の旅を2月15日の涅槃の日に向けて写経(入力)しながら読んでいますが、感動的な話です。何回も読んでいるはずですが、今読むとまた違って感じるのは不思議です。合掌

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「苦しみというすぐれた真理が悟られ、通達された。苦しみの起こるもとという尊い真理が悟られ、通達された。苦しみの止滅という尊い真理が悟られ、通達された。苦しみの止滅に導く道という尊い真理が悟られ、通達された。生存に対する妄執はすでに断たれた。生存に導く妄執はすでに滅びてしまった。もはや再び迷いの生存を受けるということはない」(ブッダ最後の旅 – 大パリニッバーナ経 第2章より)

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三結(さんけつ)

三結とは、四向四果の内の預流果を得る人の断ずべき三種の煩悩のことで、「見結」「戒取結」「疑結」のこと。「結」は煩悩の異名です。巴語(パーリ語)でtini samyojanani 、三つの束縛という意味です。①見結(けんけつ)とは、我有りと見なす見解のこと。我見。②戒取結(かいしゅけつ)とは、誤った戒律を行ずることを解脱の因と見なすこと。③疑結(ぎけつ)とは、正しい道理を疑うこと。<< 戻る
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様々な角度から読み返すと改善点や訂正箇所が見つかります。どんな文章も公開しているのならたまには目立つ場所に持ってくると、見直さなきゃという意識が上がって良い。

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お経を唱えた時にお布施を頂くという行為は初期仏教では避けられていたようですね。バラモン教にそのような習慣があり、それを批判的にお経(真言/マントラ)を唱えてお金を貰う行為に何の意味があるのか(意味はない)というのがお釈迦様の考えだったようです。

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「詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)の決まりである。詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。バラモンよ。この決まりが存するのであるから、これが目ざめた人々、諸仏の行いの実践法である。」(スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ 480偈より)

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お釈迦様は栄える国の在り方まで説いていました。「わたくしはヴァッジ人に衰亡を来たさないための法を説いた。この七つがヴァッジ人の間に存し、またヴァッジ人がこの七つを守っているのが見られる限りは、ヴァッジ人に繫栄が期待せられ、衰亡は無いであろう。」(ブッダ最後の旅 – 大パリニッバーナ経 第1章より)

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『ブッダ最後の旅』を少しずつ公開していこうかなと考えています。お釈迦様の涅槃の日は2月15日、旧暦に合わせると3月15日で、その頃までを目標に全文公開できれば。

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現在、掲載人物数は1041名です(個別ページで紹介しているもの)。最近増えたのはお釈迦様の時代の方々です。新たな情報が入ってきた際に、今あるページに追記していく形式で更新していきます。

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寺の跡取りの主人公が禅宗寺院で修行生活を送る模様を描いている映画『ファンシイダンス』を初めて見ました。1989年の映画なので、何度も見るチャンスはあったと思いますが、修行前に見なくて良かったかな!?主な撮影地の寺院はもちろん当ページにも掲載しています。

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鹿子母講堂(ろくしもこうどう)

鹿子母講堂とは、お釈迦様のいた時代にあった精舎の一つです。東園鹿子母講堂、東園鹿子堂など記述に差異があります。コーサラ国(拘薩羅国)のミガーラ(鹿子)長者夫人であるヴィサーカーという女性の在家信者が寄進して建立された精舎です。ミガーラ長者と結婚した時に「我が母のようだ」と讃嘆されたことから、この夫人のことを「鹿子の母」「鹿子母」と呼ぶようになり、この精舎の名前になっています。舎衛城外の東部、祇園精舎の東に建立したことから東園鹿子母講堂、東園鹿子堂などというようになりました。・「わたしが聞いたところによると、ある時、尊師は、サーヴァッティー郊外の東園にあるミガーラ長者の母の宮殿の内にとどまってお...
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二次避難について「 影響の大きいアカウントだから正しいとは限りません。」と首相が注意喚起していますね。その通りで、大抵は誤情報を発信しておいて「見たくなければ見なければいい」と開き直るのですが、刺激的な情報は「一人歩き」して元々の発信者の手の届かない所に行くこともあります。「その時の責任は?」と考えると情報は慎重に確認して発信しなければいけません。

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六師外道(ろくしげどう)

六師外道とは、お釈迦様とほぼ同時代にマガダ国(摩訶陀国)周辺で活躍した6名の思想家を仏教の側から見て異端だと見なし、まとめて指すための呼称です。『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に記されています。・プーラナ・カッサパ(不蘭那迦葉)・マッカリ・ゴーサーラ(末迦梨瞿舎利)・アジタ・ケーサカンバリ(阿耆多翅舎欽婆羅)・パクダ・カッチャーヤナ(迦羅鳩馱迦旃延)・サンジャヤ・ベーラッティプッタ(刪闍耶毘羅胝子)・ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ/尼乾陀若提子/大勇)以上が六師外道に当たる思想家です。その時代、インドの都市部では、商工業者たちが貨幣経済によって栄えるようになり、それまで...
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篠山紀信さんがお亡くなりになられご冥福をお祈りいたします。篠山紀信さんとジャニー喜多川さんは共に真言宗寺院の次男で、エンタメで活躍し、性に関する問題で注目を浴びたという3点で共通点があるのが興味深いです。

人物

篠山紀信(しのやまきしん)

写真家の篠山紀信は篠山明信円照寺住職の次男。1944年、4歳の時、篠山明信住職が戦死してしまいますが、高校時代まで生家の円照寺で過ごしました。三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口百恵さんら、60年以上にわたって時代を象徴する人物や物事を撮影し、「激写」シリーズなどで知られる写真家です。主な作品篠山紀信と28人のおんなたち (1968)篠山紀信集・NUDE (1970) - 「死の谷」「TWINS」オレレ・オララ (1971) - 大林宣彦が「オレレ・オララ」制作時に撮影されたリオのカーニバルの写真を16ミリムービーカメラで再撮して映画化している女形・玉三郎 (1972)スター...
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總持寺祖院(石川県輪島市)の地震被害の状況

最近はなかなか行けていなかった總持寺祖院ですが、今すぐにでも駆けつけたい状況です。近年、何度もこのように境内で地震による倒壊があり、これ以上の被害が出ないようにまずは祈るのみです。同安居からの輪島近隣の写真を転載します。總持寺祖院、被害も酷いようです。これは心配です。(一部訂正) pic.twitter.com/AfAPntHWr3— 傑岑寺(けっしんじ) (@kessinzi) January 2, 2024
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現在、富山にいますが、地震の影響で普段と違う動き、各方面への応援活動を優先します。ウェブサイトの更新をお休みする機会が増えそうです。

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スッタニパータ – ブッダの言葉

かの尊き師・尊き人、覚った人に礼したてまつる。【 第1 蛇の章 】1、蛇1 身体に蛇の毒がひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。2 池の蓮華を水にもぐって折り取るように、愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。3 流れる妄執の水をからし尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去...