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『坐禅用心記』108

ここにおいて 此に於て このふしりょうていをしりょうす、 箇の不思量底を思量す、 いかんがしりょうせん、 如何が思量せん、 いわくひしりょう 謂く非思量 これすなわちざぜんのようほうなり。 此れ即ち坐 ...

『坐禅用心記』107

つぎにすべからくざじょうして 次に須らく坐定して みをうごかすことしちはちどして、 身を揺すこと七八度して、 そよりさいにいたって 麁より細に至って ごつごつとしてたんざすべし。 兀々として端坐すべし ...

『坐禅用心記』105

みみとかたとはなとほぞと 耳と肩と鼻と臍と かならずともにあいたいし、 必ず倶に相対し、 したうえのあぎとをささえ、 舌上の腭を拄え、 いきははなよりつうず。 息は鼻より通ず。 ▶ 次に ...

『坐禅用心記』106

しんしあいつけ、 唇歯相い著け、 めはすべからくまさにひらくべし。 眼は須らく正に開くべし。 はらずほそめず 張らず微めず かくのごとくちょうしんし、 是の如く調身し、 すでにかんきしてあんそくす。 ...

『坐禅用心記』104

しょうしんたんざしてひだりにそばだち、 正身端坐して左に側ち、 みぎにかたむき、 右に傾き、 まえにくぐまり、 前に躬まり、 うしろにあおぐことをえざれ。 後に仰ぐことを得ざれ。 ▶ 次 ...

『坐禅用心記』103

つぎにみぎのてをもって 次に右の手を以て ひだりのあしのうえにあんじ、 左の足の上に安じ、 ひだりのてをもって 左の手を以て みぎのてのうえにあんず。 右の手の上に安ず。 りょうしゅのだいしあいささえ ...

『坐禅用心記』102

けっかのほうはまず 結跏の法は先ず みぎのあしをもって 右の足を以て ひだりのもものうえにおき、 左の䏶の上に置き、 ひだりのあしをもって 左の足を以て みぎのもものうえにおき、 右の䏶の上に置き、 ...

『坐禅用心記』101

ふとんはまったく 蒲団は全く ふざをささうるにあらず。 趺坐を支うるに非ず。 (経亘一尺二寸、周囲三尺六寸) かふのなかばよりして 跏趺の半ばよりして うしろにせきこつのしたにいたる、 後ろに脊骨の下 ...

『坐禅用心記』100

たいていざぜんのときは 大抵坐禅の時は けさをかくべし、 袈裟を搭くべし、 (開定の前、後夜と晡時とを除き) りゃくすることなかれ。 略すること莫れ。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...

『坐禅用心記』99

しょうこう、らいはい、ねんぶつ、 焼香、礼拝、念仏、 しゅうさん、かんきん、じかをもちいず 修懺、看経、持課を用いず しかんたざしてはじめてえんと。 只管打坐して始めて得んと。 ▶ 次に ...

『坐禅用心記』98

にょらいのたんざ、 如来の端坐、 しょうりんのめんぺき、 少林の面壁、 たじょういっぺんにしてすべてたじなし。 打成一片にて都て他事無し。 せきそうこぼくにぎし、 石霜枯木に擬し、 たいはくざすいをせ ...

『坐禅用心記』97

しんいしきをほうしゃし、 心意識を放捨し、 ねんそうかんをきゅうそくして、 念想観を休息して、 さぶっとはかることなかれ、 作仏を図ること勿れ、 ぜひをかんすることなかれ。 是非を管すること勿れ。 こ ...

『坐禅用心記』96

ざしょはまさにひるあきらかならず、 坐処は当に昼明らかならず、 よるくらからず、 夜は暗からず、 ふゆあたたかに、なつひややかなるべし、 冬暖かに、夏冷かなるべし、 これそのじゅつなり。 是れ其術なり ...

『坐禅用心記』95

せきじん、こんごうざにざし、 昔人、金剛座に坐し、 ばんじゃくのうえにざするの 盤石の上に坐するの しょうせきありといえども、 蹤跡有りと雖も、 またざもつあらざることなし。 亦坐物有らざることなし。 ...

『坐禅用心記』94

ふうえんをして 風煙をして いらしむることなかれ、 入らしむること勿れ、 うろをして 雨露をして おかさしむることなかれ、 侵さしむること勿れ、 ひざをいるるのちをごじして、 膝を容るるの地を護持して ...

『坐禅用心記』93

ざぜんせんとはっせば 坐禅せんと欲せば まずじょうしょよろしく 先ず静処宜しく いんにくすべからくあつくしくべし、 茵褥須らく厚く敷くべし、 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る & ...

『坐禅用心記』92

ごうま、じょうどう、 降魔、成道、 てんりん、ねはん、 転輪、涅槃、 みなこのちからにより、 皆此力に依り、 じんずうみょうゆう、ほうこうせっぽう、 神通妙用、放光説法、 ことごとくたざにあり。 尽く ...

『坐禅用心記』91

しょぶつのきょうもんいちだいの 諸仏の教門一代の しょせつはかいじょうえのなかに 所説は戒定慧の中に すべおさめざることなし。 総べ収めざることなし。 いまのざぜんは 今の坐禅は かいとしてたもたざる ...

『坐禅用心記』90

あきらかにぶっしょうをみて 明らかに仏性を見て もとめいわくせず、 本と迷惑せず、 いこんをざだんし 意根を坐断し かくねんとしてけいてつす。 廓然として瑩徹す。 これえにしてえそうなし、 是慧にして ...

『坐禅用心記』89

えはこれけんじゃくかくりょうなり。 慧は是れ簡択覚了也。 ざぜんはしょちおのずからめっし 坐禅は所知自ら滅し しんしきながくぼうず。 心識永く忘ず。 つうしんえげんけんかくあることなし。 通身慧眼簡覚 ...

『坐禅用心記』88

ちのごとく、ごつのごとく、 痴の如く、兀の如く、 やまのごとく、うみのごとくにして、 山の如く、海の如くにして、 どうじょうのにそう 動静の二相 りょうねんとしてしょうぜず、 了然として生せず、 じょ ...

『坐禅用心記』87

じょうはこれかんそうむよ、 定は是れ観想無余、 ざぜんはしんじんをだつらくし、 坐禅は身心を脱落し、 めいごをしゃりして、 迷悟を捨離して、 ふへんふどう、ふいふまい、 不変不動、不為不昧、  ...

『坐禅用心記』86

どうじょう、せじょうならべぼうじて 道情、世情双べ忘じて ぜひもなくぜんあくもなし、 是非もなく善悪もなし、 なんのぼうしかこれあらんや。 何の防止か之れあらんや。 これはこれしんちむそうのかいなり。 ...

『坐禅用心記』85

いわくかいはこれぼうひしあくなり。 謂く戒は是れ防非止悪なり。 ざぜんはこたいむにをかんじ、 坐禅は挙体無二を観じ、 ばんじをほうげし 万事を抛下し しょえんをきゅうそくし、 諸縁を休息し、 ぶっぽう ...

『坐禅用心記』84

またざぜんは、 又坐禅は、 かいじょうえにあずかるにあらざれども、 戒定慧に干るに非ざれども、 しかもこのさんがくをかねたり。 而も此三学を兼ねたり。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...

『坐禅用心記』83

しょうぼんのかくしきをこえ、 聖凡の格式を越え、 めいごのじょうりょうをいず、 迷悟の情量を出ず、 これあにほんぬだいがくのしょう 是豈本有大覚の証 にあらざらんや。 にあらざらんや。 ▶ ...

『坐禅用心記』82

これざんまいおうざんまい、 是三昧王三昧、 むしょうちほつげんざんまい、 無生智発現三昧、 いっさいちほつげんざんまい、 一切智発現三昧、 じねんちほつげんざんまい、 自然智発現三昧、 にょらいのちえ ...

『坐禅用心記』81

これ、あにぶっそじんみょうの 是、豈仏祖深妙の ぎょうにあらざらんや。 行にあらざらんや。 あるいはしょうをとくといえども、 或は証を説くと雖も、 むしょうにしてしょうす。 無証にして証す。  ...

『坐禅用心記』80

ただ、しょぶつのじじゅゆうざんまいに 只、諸仏の自受用三昧に あんじゅうし、 安住し、 ぼさつのしあんらくぎょうにゆげす。 菩薩の四安楽行に遊戯す。 ▶ 次に進む ◀ 前に ...

『坐禅用心記』79

いわくみにしょさなく、 謂く身に所作なく、 くちにみつじゅなく、 口に密誦なく、 こころにじんしなく、 心に尋思なく、 ろっこんおのずからしょうじょうにして 六根自ら清浄にして いっさいぜんなせず、 ...

『坐禅用心記』78

しごうもいまだこようせず、 糸毫も未だ挙揚せず、 これあに 是れ豈に ぶっそしんしょうの 仏祖真正の きょうにあらざらんや。 教にあらざらんや。 あるいはぎょうをだんずといえども、 或は行を談ずと雖も ...

『坐禅用心記』77

ぜんちゅうたといきょうをたつるとも、 禅中たとい教を立つるとも、 しかもよのつねのきょうにあらず、 而も居常の教に非ず、 いわくじきしたんでんのどう、 謂く直指単伝の道、 こたいまったく 挙体全く せ ...



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