
buddhism


年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年)
年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。年回忌は一般的に行われることが多いものを赤字で表示しています。それ以外の場合も祥月命日法要を行ったり、年回忌として行ったりする場合があります。年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年) ⇒ ご逝去年毎・年回忌表和暦没年 西暦没年 年回忌令和7年 2025年 (亡くなられた時が1回目の命日⇒中陰からの忌日表を確認する)令和6年 2024年 1周忌(2回目の命日)令和5年 2023年 3回忌(3回目の命日)令和4年 2022年 4令和3年 2021年 5令和2年 2020年 6令和元年/平成31年 2019年 7回忌平成30年...

12月の出来事/有名人の誕生日・命日

会員証「仏教徒之証」Buddhist Certificate
🪷 仏教ファンクラブ寺院センターのメンバー登録後、会員証「仏教徒之証」Buddhist Certificate のオンライン証書をお渡ししています。

親鸞聖人・浄土真宗本願寺派・本願寺歴代宗主関連系譜(お西)
第1代 藤原鎌足 【614~669年】第2代 藤原不比等 【659~720年】第3代 藤原房前 【681~737年】第4代 藤原真楯 【715~766年】第5代 藤原内麿 【756~812年】第6代 藤原真夏 【774~830年】第7代 藤原浜雄 【不詳~840年】第8代 藤原家宗 【817~877年】第9代 藤原弘蔭 【不詳~904年】第10代 藤原繁時 【不詳~943年】第11代 藤原輔道 【不詳】第12代 藤原有国 【943~1011年】第13代 日野資業 【988~1070年】第14代 日野実綱 【1012~1082年】第15代 日野有信 【1039~1099年】第16代 日野有範 【...

親鸞聖人・浄土真宗本願寺派・本願寺歴代宗主関連系譜(お東)
第1代 藤原鎌足 【614~669年】第2代 藤原不比等 【659~720年】第3代 藤原房前 【681~737年】第4代 藤原真楯 【715~766年】第5代 藤原内麿 【756~812年】第6代 藤原真夏 【774~830年】第7代 藤原浜雄 【不詳~840年】第8代 藤原家宗 【817~877年】第9代 藤原弘蔭 【不詳~904年】第10代 藤原繁時 【不詳~943年】第11代 藤原輔道 【不詳】第12代 藤原有国 【943~1011年】第13代 日野資業 【988~1070年】第14代 日野実綱 【1012~1082年】第15代 日野有信 【1039~1099年】第16代 日野有範 【...

浄土信仰(じょうどしんこう)
浄土信仰とは、阿弥陀仏の救いを信じ、死後、この世の穢土(えど・けがれた世界)を去って、仏の住む西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)に往生(おうじょう)することを願う信仰。浄土三部経(じょうどさんぶきょう)で説く教えをもとに中国で発達し、日本でも平安時代後期に末法思想が強まると、貴族や庶民の間で広まりました。法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、一遍が時宗を確立、法華信仰と共に日本仏教思想の大きな流れを形成しています。<< 戻る

七高僧(しちこうそう)
七高僧とは、親鸞聖人が尊敬していたインド、中国、日本の七人の高僧のことです。①龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ/ナーガールジュナ) 【150~250年】②天親菩薩(てんじんぼさつ/世親/ヴァスバンドゥ) 【400~480年】③曇鸞大師(どんらんだいし) 【476~572年】④道綽禅師(どうしゃくぜんじ) 【562~645年】⑤善導大師(ぜんどうだいし) 【613~681年】⑥源信和尚(げんしんかしょう) 【942~1017年】⑦源空聖人(げんくうしょうにん/法然) 【1133~1212年】<< 戻る

各種月例法要は目標期限内に想定需要を超えることが出来なかったため、今月をもって受付を終了しました。日々、研鑽、工夫が必要だなと感じるばかりです。現在受付中の法要をご検討いただければ幸いです。合掌

樹木葬(じゅもくそう)
樹木葬とは、シンボルツリーを中心にした墓地や多くの木を植樹した樹林墓地に納骨・埋蔵する方法か、粉骨した遺骨を土に撒いて埋葬する方法などを採用した墓地形態の一つです。現在、一般的に言われる墓地との違いは、墓石に遺骨を納骨しないということです。ただし、納骨・埋蔵した場所にメモリアルボードが設置されるものもあります。樹木葬は比較的新しい納骨・埋蔵方法として認知されていますが、墓石が一般的になる前には樹木葬と似たような埋葬法であったのではないかという想像は出来ます。しかし、それとの大きな違いとして考えられるのは、樹木葬としてしっかりと区画整理されているという点でしょう。問題点があるとすれば、いつか墓石...

末法思想(まっぽうしそう)
末法思想(まっぽうしそう)とは、ブッダが説いた正しい教えが世で行われ修行して悟りを得る者がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟りを得る者がいない時代(像法)が来て、その次にはブッダの教えのみあって修行する者も悟りを得る者もいない時代(末法)が来るとする歴史観のことです。正法・像法・末法を三時(さんじ)といい、その長さのとらえ方には諸説あり、一説には、正法1000年、像法1000年、末法1万年とされ、日本では『末法燈明記』(まっぽうとうみょうき/最澄の著作とされていましたが偽書説があります)を根拠に、1052年(永承7年)に末法に入ったとされています。ど...

仏塔(ぶっとう)- ストゥーパ
仏塔とは、仏教寺院においてお釈迦様の遺骨である仏舎利を納めるために建造された塔のことです。世界最古の木造塔は法隆寺の五重塔ですが、その基壇中央部にある心柱の基部には仏舎利容器が納められています。仏舎利は瑠璃の小壷に納められ、これを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて銅碗の中に置き、瑠璃小玉葡萄鏡と共に孔中に安置し、銅板のふたがされています。これは仏舎利についての一例ですが、詳細が分からないことが多い中で貴重な例だと考えられます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。仏塔のことを梵語ではストゥーパといい「塚」を意味します。「塔」の名は、ストゥーパを音訳した卒塔婆(そとば)・塔婆(とうば)を略したもの...

サールナート – ブッダが教えを説き始めた地(鹿野苑)
サールナートはブッダが教えを説き始めた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。その教えを説いた相手は五比丘だと伝えられています。サールナートのうち鹿野苑(ろくやおん)だったとされる場所は現在、インド政府によって整理され遺跡公園になっています。そこには、ブッダの初転法輪(しょてんぼうりん)の地に立つダーメーク・ストゥーパがあり(写真)、4頭の獅子像があしらわれているアショーカ王の石柱も出土し、インドの国章となっています。また、バラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置します。「スッタニパータ」には「仙人のあつまる所という名の林」という名で出てきます。・「生きとし生ける者の最上者...

中道(ちゅうどう)
中道とは、二つの対立するものを離れていることです。原始仏教では厳しい苦行と快楽主義の両極端を退けた考え方ですが、単に二つの中間をとるというのではなく、二つの極端から離れた自由な立場を表しているので、矛盾や対立を超越していることになります。ブッダ(お釈迦様)は厳しい苦行と何不自由がない生活を体験した上で、中道こそが真理へ到る修行方法だと気付いたのでした。出家をする前のブッダはシッダッタという名前で、釈迦族の王子でした。地方の統治者の王子として恵まれて育ったシッダッタは、望まなくとも何不自由がない中で生活していたと考えられています。その後、真理(悟り)を求めるために出家の決意を決めたシッダッタは、...

往生(おうじょう)
往生とは、この世を去り、極楽浄土に往(い)って生まれることです。日常的には「亡くなる」や「困る」ことをさして使われています。 「大往生」「立ち往生」「往生しまっせ」「往生要集」往生の意味は、仏の国に往って生まれることなので、ただ極楽浄土に往くのではなく、仏になることです。往生とは極楽往生、浄土往生と言われるように、死んで仏の国に生まれるのだから、死後の往生の意味です。往生するその世界は仏の世界なので、そこに生まれることは成仏することだといわれます。一般的に、往生とは仏になることだと考えられ、さらに、死んだら仏になるという考え方が広まりました。特に老衰などの自然死によりなくなることを大往生と呼ぶ...

11月の出来事/有名人の誕生日・命日

ひと雨毎に朝晩の寒さが増すのを実感しています。今日は月末、心と身体を整えて11月を迎えましょう!

お寺に行ったら清々しく、坐禅をしたらスッキリした気分になる、でも、そこから離れた途端に普段に戻ってしまう。それも仏教の一次的な効果と言えますが、行く先々が清々しく、すること為すこと全てがスッキリした気分になり、そんなあなたに会った人も清々しく、スッキリした気分になる。そういった関係が仏教の実践だと感じています。

梵鐘(ぼんしょう)
梵鐘とは、仏教寺院において時を告げるために朝・昼・夕に打たれ、撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らされます。その梵鐘により音色は様々ですが、重く余韻のある響きが特徴で、一般には除夜の鐘で知られます。<< 戻る

きっと、上手くなる
小学校から中学、高校、大学、専門学校、と教育機関は様々ありますが、誰もがそのような教育を受けてきたと思います。その時、どのように覚えましたか?繰り返し書いたり、声に出したり、身体を動かしたり、反復練習をしていたと思います。大人になって、新しいことを始める時も同じです。何となくやっても上手く行きません。良いなと思ったことは繰り返してみましょう。昨日より今日、今日より明日、きっと、上手くなります。<< 戻る

僧堂(そうどう)
仏教寺院において、修行者が集団生活を行いながら仏道修行に励むところを僧堂といいます。雲水僧が集まり来るという意味で雲堂、仏祖を選出する道場の意から選佛場、古木然として兀坐を行じているので古木堂、禅堂とも呼ばれます。修行道場では、朝の坐禅から夜の就寝・開枕まで、僧堂を中心に展開されます。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、中央には僧形文殊菩薩や摩訶迦葉が聖僧(しょうそう)として祀られています。(僧堂 總持寺大僧堂)<< 戻る

十二因縁(じゅうにいんねん)
十二因縁とは、人間の苦しみ、悩みがいかにして成立するかということを考察し、その原因を追究して十二の項目(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)の系列を立てたものです。存在の基本的構造の十二区分。縁起の理法を十二の項目に分けて説いたもの。また、後代の解釈によると、衆生が過去の業によって現世の果報を受け、また現世の業によって未来の果報を受ける因果の関係性を十二に分類して説いたもの。十二縁起。十二縁法。十二縁門。十二支縁起。十二輪。①無明(むみょう)とは無知のこと。煩悩の根本。迷いの中にいること。②行(ぎょう)とは、生活作用、潜在的形成力、志向作用。物事がそのようになる力のこと。③...

「あなたは悪くないよ」と悩んでいる人へ伝えたい。心の整理、身体の整理をしながら解決方法を探しましょう。

サンカーシャ – ブッダ三道宝階降下の地(僧伽舎)
サンカーシャはブッダ三道宝階降下の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。音訳して僧伽舎(そうぎゃしゃ)とも書かれます。サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)からブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をブッダが、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃...

ネットで連絡をいただいて、初めてご自宅や墓前に出向いて法要を行なうという経験は当然多いのですが、初対面ではお互いに緊張するものです。法要を終え「次回もお願いします」と言っていただけると「安心していただけたのかな」と安堵するというのが正直なところです。僧侶側が選り好みすることはないですが、依頼者にとってみれば相性が良いかどうかは重要なところですからね。

物事の見方というのは異なるものです。100円でも高いと思うことがある一方、5万円でも安いと思うことがあるのが人間です。大抵その価値は誰かが決めたことを物差しにして判断するのですが、自分にとって必要なものかどうか、自分にとって必要な経験になるかどうか、そういったところも加味して判断したいものです。

達磨忌(だるまき)
達磨忌とは、菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)の命日が10月5日であることから、特に禅宗の臨済宗や曹洞宗、黄檗宗では達磨大師の遺徳をしのぶ法要や坐禅会が行われます。年代は伝承に矛盾する点が多く、はっきりしないのですが、6世紀頃、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。<< 戻る

「他人から言葉で警告された時には、心を落ちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善い言葉を発せよ。その時に相応しくない言葉を発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。」(スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】16、サーリプッタ)

「最上の幸福を説いて下さい。」という願いに対してお釈迦様は列挙する中で「尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。」と答えています。(スッタニパータ【第2 小なる章】4、こよなき幸せ)

何をするにも人と人との関わりからは逃れられません。苦手意識があっても、感謝と敬意があれば、あなたと相手を傷つけることはないでしょう。

10月の出来事/有名人の誕生日・命日

大山のぶ代(おおやまのぶよ)
テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当した。女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。71歳だった2005年3月に他の主要キャストと共に『ドラえもん』の声優から勇退。26年間務めた役を次の世代に託した。最後のアフレコを終え、「ドラえもんは私の子供というか、身内。ドラえもんは私の中にいつもいますから、寂しさはあまり感じていません」と語るなど、子供のいなかった大山さんにとってドラえもんは愛するわが子同然だったようです。生誕 1933年〈昭和8年〉10月16日命日 2024年〈令和6年〉9月29日<< 戻る