buddhism

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西念寺の門前掲示板より

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仏教を本気で学ぶ

世間(せけん)

「世間体が悪い」「世間の物笑いになる」「世間に顔向けできない」「渡る世間に鬼は無し」などのように一般的に使われている「世間」という言葉は、地域や国、社会というような範囲を指して、それを肯定する意味合いで使われる場合が多いようです。世間は、諸行無常という言葉通り、常に変化しているものであり、迷いの世界、仮の世界とも呼ばれます。ここからここまでが世間だという境界もありませんから、人間がつくった境界のある地域や国、社会も、先の意味では世間とは言えません。世間は世界全体のことを指します。そして、常に変化しているものですから、世間を絶対的に肯定することは仏教の本来の意味とは異なります。「世間」という言葉...
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成道寺の門前掲示板より

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眷属(けんぞく)

仏教用語で使われる場合の眷属とは、仏・菩薩・天・明王などを取り巻くもののことをいいます。大乗仏教の世界で様々な仏・菩薩・天・明王などが登場するようになると、それぞれの場所で主となる仏・菩薩・天・明王を中心とした、親族のような関係性ができあがり、眷属となりました。薬師如来の十二神将、不動明王の八大童子、千手観音菩薩の二十八部衆、四天王の八部鬼衆などです。また、その眷属に、さらに眷属がいる場合もあります。例えば、十二神将にはそれぞれ7000の眷属が、二十八部衆にはそれぞれ500の眷属がいるとされています。<< 戻る
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釈迦堂(しゃかどう)

釈迦堂とは、釈迦如来を本尊とする仏堂のことです。また、その全てを釈迦堂というわけではなく、宗派や、伽藍が整備された年代、寺院規模などにより呼び方の違いがあります。釈迦堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。比叡山延暦寺の座主円澄が9世紀初め西塔に建立したのが初めとされています。その他、京都の清涼寺の嵯峨釈迦堂や大報恩寺の千本釈迦堂などが有名です。(釈迦堂 比叡山延暦寺)<< 戻る
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楽運寺の門前掲示板より

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八部鬼衆(はちぶきしゅう)

八部鬼衆とは、四天王に仕え仏法を守護する8種族の鬼神です。乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)、鳩槃荼(くばんだ) 、薜茘多(へいれいた)、那伽(ナーガ、龍神)、富單那(ふたんな) 、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)。もとは古代インドの鬼神でしたが、仏教に帰依して仏法の守護神となりました。また、どれも集団の名であり、個別の神をさすものではありません。<< 戻る
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妙福寺の門前掲示板より

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霊鷲山(りょうじゅせん)

霊鷲山とは、インド・ビハール州のラージギルから北東へ5キロ程のところにある小高い岩山です。この場所でブッダが弟子たちに多くの説法をしたところとして知られています。この岩山の頂上には大きな岩の説法台があり、現在もブッダの聖地として多くの巡礼者が訪れます。また、『法華経』や『観無量寿経』などの大乗経典の多くは霊鷲山で説いた教えであると伝えられています。梵語でグリドラクータ、巴語でギッジャクータといい、山頂が鷲の姿に見えることから、鷲の峰という意味で「霊鷲山」「鷲峰山」(じゅぶせん)と呼ばれます。略して、「霊山」(りょうぜん)ということも多いです。音訳では「耆闍崛山」(ぎしゃくっせん、ぎじゃくっせん...
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夜叉(やしゃ)

夜叉とは、元々は神的存在、霊的存在を意味しており、一般名詞であり、個別の神をさすものではありません。インド神話においては夜叉には男と女があり、梵語で男はヤクシャ、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれます。また、巴語ではヤッカといいます。後代、八部衆の一つに数えられ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、薬叉(やくしゃ)ともいい、勇健鬼(ゆうけんき)という訳名があります。また、捷疾鬼(しょうしつき)という異名もあります。顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神として表されるようになりました。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類があり、地夜叉以外は飛行します。大乗仏典では薬師如来の十二神将や、...
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巴語(パーリ語)

巴語(パーリ語)とは、南伝上座部仏教(Theravada Buddhism)の経典(『パーリ語経典』)で主に使用される言語です(⇔北伝・梵語)。「パーリ」とはもともと「外耳」「線」「列」などの意味でしたが、後に「三蔵経(経蔵・律蔵・論蔵)」を意味する言葉となりました。音写されて「巴利語」となり、さらに省略して「巴語」となりました。巴語の経典やその註釈は、上座部仏教が伝わった地域において、すでに普及していたシンハラ文字、モン文字、ビルマ文字、シャム(タイ)文字、クメール文字、ラオス文字などを使用して書かれました。つまり、巴語という1つの言語に地域により異なる文字があります。なお、大乗仏典にもいえ...
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圓乗寺の門前掲示板より

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荼毘(だび)- 火葬

荼毘とは、現代日本では一般的な葬法である火葬のことです。また、火葬することを「荼毘に付す」といいます。その語源とされるのは、梵語でディヤーパヤティ、巴語ではジャーペーティで、「燃やす」という意味があり、その音訳だと考えられます。お釈迦様(ブッダ)がクシナガラで入滅し、荼毘に付された場所には荼毘塚(ラーマバール塚)があります。その際の仏舎利は分けられ、各地に仏塔が建てられるようになりました。日本では『続日本紀』によると、700年に道昭が荼毘に付されたのが最初といい、天皇では703年に荼毘に付された持統天皇が最初だということです。(ラーマバール塚・荼毘塚・クシナガラ)<< 戻る
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仏舎利(ぶっしゃり)- ブッダの遺骨の分配

仏舎利とは、お釈迦様(ブッダ)がクシナガラで入滅し荼毘(だび)に付された際の遺骨のことです。また、その際に出た灰をも含まれる場合があります。舎利は梵語ではシャリーラといい「遺骨」「遺体」「肉体」を意味します。荼毘に付された後、その遺骨を分けて欲しいと7種族が申し出ました。しかし、クシナガラに住むマッラ族は「我々の住む土地でブッダはお亡くなりになられたのだから、一部分をも分け与えない」と言いました。それに対して、ドーナ・バラモン(コーリヤ族)が次のようなことを言いました。「我らのブッダは耐え忍ぶことを説くかたでありました。最上の人の遺骨を分配する為に争うのはよくありません。我らはともに喜び合って...
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永明寺の門前掲示板より

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護法善神(ごほうぜんじん)

護法善神とは、仏法および仏教徒を守護する主に天部の神・鬼神のことです。梵天 (ぼんてん) ・帝釈天 (たいしゃくてん) ・四天王・十二神将・十六善神・二十八部衆などに含まれる神・鬼神のことをさします。護法神(ごほうしん)、諸天善神(しょてんぜんしん)ともいいます。<< 戻る
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西蓮寺の門前掲示板より

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三門・山門(さんもん)

仏教寺院において正式な入口のことを三門または山門といいます。空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無作門(むさもん)の三境地を通って境内に入るという意味で三解脱門(さんげだつもん)とも呼ばれます。他にも、貪・瞋・痴の三毒を解脱する境界の門という意味を持たせるもの、声聞・縁覚・菩薩の三乗が通る門という意味を持たせるものもあります。また、実際に三つの門がある場合と、一つの門の場合とがあります。山門とも書かれるのは、山に建立された寺院が多くあったことによります。平地に境内があっても山号がついている寺院が多くあるのもこの理由です。三門か、山門か、どちらで呼ぶかは寺院によります。また、どちらもあるとい...
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安住寺の門前掲示板より

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都道府県一覧

神奈川県の寺院情報

この欄の タグ にある市区町村や(  )内の宗派名を選んで寺院情報を確認出来ます。寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。横浜市鶴見区 | 横浜市神奈川区 | 横浜市西区 | 横浜市中区 | 横浜市南区 | 横浜市保土ヶ谷区 | 横浜市磯子区 | 横浜市金沢区 | 横浜市港北区 | 横浜市戸塚区 | 横浜市港南区 | 横浜市旭区 | 横浜市緑区 | 横浜市瀬谷区 | 横浜市栄区 | 横浜市泉区 | 横浜市青葉区 | 横浜市都筑区 | 川崎市川崎区 | 川崎市幸区 | 川崎市中原区 | 川崎市高津区 | 川崎市多摩区 | 川崎市宮前区 | 川崎市麻生区 | 相模原市緑区 | 相...
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長勝寺の門前掲示板より

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経蔵(きょうぞう)- 仏教建築

経蔵とは、仏教寺院において経典や仏教に関する書物を収蔵する主要な建物です。経堂・経庫などともいわれます。また、経蔵の中央に輪蔵(りんぞう)が設置されている場合、中心軸に沿って回転させることが可能な書架が設けられています。そこには大蔵経などが収納されており、これを回転させることによって、納められた経文を全てを読んたのと同じ功徳を得るという信仰があります。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(経蔵内部・總持寺祖院)<< 戻る
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不動明王(ふどうみょうおう)

不動明王とは、梵語ではアチャラ・ナータと呼ばれ、アチャラとは山のように動かないこと、ナータとは守護者・尊のことで、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味を持ちます。五大明王・八大明王の一つに数えられ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊ともいいます。また、ヒンドゥー教のシヴァ神の別名でもあり、大日如来の化身とされます。姿は肥満した童子形で憤怒相を示し、身色は赤・黄・青黒色のいずれかです(写真の不動明王は青不動)。右手に宝剣、利剣、三鈷剣などを持ち、左手に羅索(けんさく)を持つものが多いようです。頭頂を七莎髻(ななしゃけい)に結び、頂上に八葉の蓮花をのせ、左肩に一弁髪を下げ、牙を出していま...
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御影堂(みえいどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを御影堂といいます。宗派によって、開山堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。真言宗の御影堂などでは、伽藍の中心から外れて建てられることが多いですが、日蓮宗では本堂と並ぶことが多く、浄土宗では御影堂が本堂であり、浄土真宗・真宗では本堂である阿弥陀堂と並んで建てられることが多くあります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。御影堂であるからこの形で建てられているという見分けは、宗派を超えて見る場合は判断出来ません。ちなみに、例にあげた東本願寺の御影堂は、木...
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天蓋(てんがい)

天蓋とは、仏像や住職が座っている上部にかざされる長方形・六角形・八角形・円形など笠状の仏具です。寺院の本堂などの諸堂に祀られている仏像の上部には「仏天蓋」が、住職が座っている位置の上部には「人天蓋」が飾られいて、彫刻や装飾が施され堂内の荘厳具となっています。儀式などで僧侶に差しかけられる番傘も天蓋です。天蓋は梵語で「チャトラ」といい、天に懸けられた蓋(かさ)のことです。もともとは、インドで強い日差しを避けるためにクシャトリヤ(王族・戦士階級)が使っていた傘蓋(さんがい)が元となっていて、帝釈天が常に天蓋を差し掛けてブッダに従ったという伝説が残されています。初期仏教では仏舎利(ブッダの遺骨)への...
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福祐寺の門前掲示板より

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仏足石(ぶっそくせき)

ブッダが涅槃に入ってから、何を信仰対象にすればいいか人々は考えました。ブッダの教えに対する信仰はあったのですが、より分かりやすく伝えるためにはどうしたらいいのか?ブッダの教えで「自燈明、法燈明」があり、その言葉は「私が亡くなった後は自分自身にある仏法を拠り所にしなさい」と言いましたが、実際に残された人々は次第に迷い、悩み、救いを求めるようになったのです。そして、仏法への理解を助けるためにも、出来ることなら形で見える信仰対象が欲しいと求めたのでした。初期仏教では仏舎利(ブッダの遺骨)への信仰が中心でしたが、次第にブッダの足型を刻んだ仏足石【写真】、法輪(ほうりん)、ストゥーパ(塔)、菩提樹(ぼだ...
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旦那(だんな・檀那)

旦那とは、もともと仏教の言葉です。古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ダーナ」の音写で、檀那とも書かれます。檀家という言葉も、布施という言葉も、ダーナから生まれました。意味は、与えること、贈ることです。妻が夫のことを呼ぶ時に、古くは商家の主人のことを呼ぶ時に、「旦那」という言葉を使うことが多いようです。また、「若旦那」という言葉も時代劇にはよく出てきますし、お祭りを経済的に支えたり、街や村を経済的に支えたり、料亭などのお店をひいきにしてくれる客を「旦那衆」と呼んでいました。<< 戻る
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仁王像(におうぞう)

仁王像とは、寺院の山門内で本堂を背に正面を向き境内を守っている二体一対の金剛力士像のことです。二王と表記される場合もあります。向かって右が口を大きく開け金剛杵(こんごうしょ)を持っている金剛像(阿形像・あぎょうぞう)、左が口を閉じている力士像(吽形像・うんぎょうぞう)です。ただし、明確に分類しない場合もあり、左右が逆の場合もあります。東大寺南大門の仁王像の安置方法は先の例とは違い、門内で向きあって安置されている上、左右逆になっています。「仁王立ち」「阿吽の呼吸」(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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警策(けいさく/きょうさく)

警策とは、注意や自覚を促し戒め励ますことで、「警策を与える」という意味から、修行者の肩や背中を打つ棒そのものが警策と呼ばれるようになりました。臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と読みます。警策の起源は、中国の明王朝末期~清王朝初期の1600年代頃から使用されはじめた「香板(こうばん)」または「香版(こうばん)」という法具です。日本へは黄檗僧によって伝えられ、警策という意味を込めて呼ばれるようになりました。形状としては、宗派などによって違いがあり、長さが約1~1.5メートル、樫・栗・桜・檜などでつくられています。 手に持つ部分は、四隅の角を削って握りやすく、修行者の肩や背中に当たる...
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如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)

如意輪観音菩薩は、如意輪菩薩、如意輪観世音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、チンターマニチャクラ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チンターマニとは「全ての願いを叶える如意宝珠」、チャクラとは「煩悩を破壊する仏法の象徴である法輪」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像または半跏像で、片膝を立てる六臂の坐像とする姿が多いようですが、二臂の半跏像もあります。六観音の1つでも表さ...
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大丈夫(だいじょうぶ)

普段何気なく使う「大丈夫」は、もともとは仏教で使われていた言葉です。大丈夫とは、インドの古い言葉(サンスクリット語)で、マハー・プルシャと言いました。マハーは「偉大な」、プルシャは「人間」「男性」という意味です。偉大な人間、偉大な男性のことをいうことから、仏や菩薩のことを指すようになったといわれます。菩薩とは、人々を救う為に、悟りを得ようとしている修行者のことで、観音菩薩や地蔵菩薩など信仰の対象でもあります。仏典に出てくる例としては、『北本涅槃経』巻三十三には仏の異名を列ねて、「亦は大丈夫と名付く」とあり、『大無量寿経』の異訳である『無量寿如来会』には仏の働きを讃じて、「世尊今日大寂定に入りて...