「 し 」 一覧
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『典座教訓』16、自他の境をとりはずす
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月05日, し, その時その時を大事にする, 中国の寺院の様子, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 洞山良价, 目の前の人のために出来ることをするこの投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『典座教訓』14、修行は日々の足下にある
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
08月03日, し, どんな言葉で話せばいいか, 何を基準に物事を見ているか, 典座教訓, 心を整えるのは難しいこと, 物質的に豊かではない事のメリット, 百丈懐海この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『典座教訓』7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
1237/08/13 -仏教を本気で学ぶ
07月27日, し, ただ一つの事に向き合う, 世間の物差しで考えない, 典座教訓この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』43、真実内徳無うして人に貴びらるべからず
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月18日, し, 外見でその人を判断してはいけない, 徳が外にあらわれるということ, 正法眼蔵随聞記この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』55、治世の法は上天子より
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月30日, し, そのままを理解する, その時その時を大事にする, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月04日, し, どんな言葉で話せばいいか, 仏祖になった人の生き方, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てるこの投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』102、春秋に云く
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『正法眼蔵随聞記』94、奘問うて云く、叢林の勤学の行履と云うは
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月07日, し, ただ一つの事に向き合う, ひたすら坐禅することの重要性, 正法眼蔵随聞記この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞう ずいもんき)
『正法眼蔵随聞記』は鎌倉時代の法語集。道元禅師の法語を、その2歳年長の弟子で、永平寺2世となった孤雲懐奘(こうん えじょう)が記した語録書。嘉禎年間(1235~1238年)の成立。懐奘没後に弟子たちが ...
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島津忠久(しまづただひさ)
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。鎌倉幕府御家人。島津氏の祖。正式な名乗りは惟宗忠久という。出自・生年については諸説ある。治承3年(1179年)2月8日、春日祭使の行列に供奉し ...
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慈円(じえん)
1225/09/25 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
04月15日, 09月25日, 1225年, し, 天台宗, 天台宗の出来事, 比叡山延暦寺-滋賀県大津市, 鎌倉時代, (命日)09月25日, (生誕)04月15日平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧侶。歴史書『愚管抄』を記したことで知られます。諡号は慈鎮和尚、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されています。 父は摂政関 ...
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七箇条制誡
元久元(1204)年11月、法然上人は七箇条制誡(しちかじょうせいかい)をつくり門弟を誡め、門弟百九十名の署名をとり、別に誓状をそえて座主に送りました。 1.天台・真言の教説を破し諸仏菩薩をそしらぬこ ...
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俊寛(しゅんかん)
平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。 村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局。姉妹に大納言局。 後 ...
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立教開宗(浄土宗)
承安5(1175)年の春、法然上人は宇治で『 観経疏 (かんぎょうしょ) 』『散善義』と出会い、称名往生に関する確信を得て専修念仏に帰す。比叡山の西塔黒谷を出て西山広谷に移り、しばらくして東山大谷に住 ...
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宏智正覚(わんししょうがく)
中国・宋時代の禅僧。隰州隰川県の出身。天童正覚(てんどうしょうがく)とも記述されます。丹霞子淳に就いて嗣法。弟子には自得慧暉がいる。 多くの弟子を輩出したことから宏智派の祖とされています。臨済宗楊岐派 ...
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丹霞子淳(たんかしじゅん)
中国・宋時代の禅僧。芙蓉道楷に就いて嗣法。弟子には長蘆清了、宏智正覚がいる。 生誕 1064年 命日 1117年 << 戻る
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保寧仁勇(ほねいじんゆう)
中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧。楊岐方会禅師に就いて嗣法。弟子には寿圣智渊、寿圣楚文、宝积宗映、景福日余など多数。保寧の勇禅師。 ・「保寧仁勇禅師頌曰、 我仏親見賓頭盧、 眉長髪短雙眉麁。 ...
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『釈氏要覧』 (しゃくしようらん)
1019/01/01 -仏教を本気で学ぶ, 年表
1019年, し, 仏教(中国)の出来事1019年(天禧3年)、宋(中国)の道誠(どうせい)が編纂した全3巻から成る仏教の故実や名目の簡潔な解説書です。 << 戻る
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祈親上人定誉、高野山復興に着手
1016/01/01 -仏教を本気で学ぶ, 年表
1016年, き, し, 平安時代, 真言宗の出来事, 興福寺-奈良県奈良市, 高野山金剛峯寺-和歌山県伊都郡落雷からの火災で荒廃した高野山を再興したのは、法華経の持経者(聖)だった興福寺の定誉(958-1047)です。長和5年(1016年)、観音像のお告げで高野山に登った定誉は、冬の寒さを防ぐ方法を編み出し ...
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聖宝(しょうほう)
三論宗の中興の祖とされる聖宝は、元興寺流の出身です。 三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)です。空を唱え ...
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真済(しんぜい)
平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護 ...
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空海上人、綜芸種智院を開設
天長5(828)年、空海上人は東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受け、一般の人たちが誰でも勉強できるように私立の教育施設「綜芸種智院」を開設しました。 << 戻る
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勝道(しょうどう)
0817/03/01 -人物, 年表
03月01日, 04月21日, 817年, し, 平安時代, (命日)03月01日, (生誕)04月21日奈良時代から平安時代初期にかけての僧。勝道上人と称されることが多い。俗姓は若田氏。幼名は藤糸丸。下野(しもつけ)の人。日光山を開き、中禅寺を建てたと伝えられる。桓武天皇より上野(こうずけ ...
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真言宗の開宗
弘仁元(810)年、空海上人は嵯峨天皇から書を奉り、「真言宗」という宗旨を開く許しを得ました。 << 戻る
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成実宗が伝わる
成実宗(じょうじつしゅう)は、百済の道蔵が日本へ伝えました。延暦25年(806年)の太政官符によれば、三論業3名のうち、1名には成実論を読ませた、とあります。俗諦と真諦とを対立させ、俗諦の存在を認める ...
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空海上人、真言密教の第八祖に
永貞元(延暦24、805)年2月、長安の西明寺に滞在し、まず醴泉寺の印度僧般若三蔵に学び、梵語の経本や新訳経典を与えられる。5月より、正統の真言密教を継がれた第七祖である青龍寺東塔院(しょうりゅうじと ...
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荷沢神会(かたくじんね)
中国唐の時代の禅僧。襄州襄陽県の出身。はじめ大通神秀(北宗)のもとで学び、後にその弟弟子の大鑑慧能(南宗)のもとで学ぶ。大鑑慧能が亡くなると、今度は南陽へと北上し、そこで北宗の僧らと論争 ...
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正倉院ができる
756年、東大寺の宝庫、正倉院ができる。聖武天皇の遺品などを保存、校倉造り。 << 戻る
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大通神秀(だいつうじんしゅう)
中国唐の時代。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)出身。中国禅宗の六祖で北宗としては開祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には普寂がいる。諡は大通禅師。 彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であ ...
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聖徳太子(しょうとくたいし)
0622/02/22 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
01月01日, 02月22日, 622年, し, 飛鳥時代, (命日)02月22日, (生誕)01月01日厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)とも呼ばれ、飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。「聖徳太子」は後世の尊称な ...
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『勝鬘経義疏』(しょうまんきょうぎしょ)
『勝鬘経義疏』は聖徳太子によって推古天皇19年(611年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。 << 戻る
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十七条の憲法を定める
604年、十七条の憲法を定める。朝廷に仕える役人の心得。 << 戻る