仏教を本気で学ぶ

二十三回忌法要(にじゅうさんかいき)

二十三回忌とは、お亡くなりになってから22年後、同じ月、同じ日の祥月命日に行う法要です。様々な都合により、現在では祥月命日に行えないことも多くなっています。23回忌。23回忌無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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二十七回忌法要(にじゅうしちかいき)

二十七回忌とは、お亡くなりになってから22年後、同じ月、同じ日の祥月命日に行う法要です。様々な都合により、現在では祥月命日に行えないことも多くなっています。27回忌。27回忌無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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七回忌法要(しちかいき)

七回忌とは、お亡くなりになってから6年後、同じ月、同じ日の祥月命日に行う法要です。様々な都合により、現在では祥月命日に行えないことも多くなっています。無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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『自我偈』(じがげ)

妙法蓮華経如来寿量品偈。通称、自我偈です。妙法蓮華経(法華経)の16番目の経典で、「自我得仏来」の言葉からはじまるので、自我偈と呼ばれています。釈迦牟尼仏の命は永遠であることが語られ、仏は迷い苦しむ人々に死を示して心を目覚めさせることにより仏の道を歩むよう説いています。宗派によってお経の読み方・読み癖が異なる場合があります。①ルビ(読経の発音による かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話また、人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりお経の解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈としてご覧ください。なお、『自我偈』の全文にはない部分も原典より補完して講話に...
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四十九日法要(しじゅうくにち)- 満中陰、大練忌

四十九日法要とは、別名、満中陰(まんちゅういん)、大練忌(だいれんき)、尽中陰(じんちゅういん)、七七日(なななのか)ともいい、お亡くなりになられた当日を含めて49日目の日というのが一般的です。現在、様々な事情から葬儀告別式当日に「繰上四十九日法要」「式中四十九日法要」として行うことや、35日目に行ったり、四十九日前後の休みの日に行うことが多くなっています。また、関西ではお逮夜を重視して48日目にする場合があります。七七日の本尊は薬師如来です。この日で忌明けとなります。つまり遺族が日常生活に復帰する日です。この日に遺骨をお墓に納骨する場合が多く、親戚や知人を呼んで法要を営みます。また、四十九日...
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初七日(しょなのか)- 初願忌

初七日とは、お亡くなりになられた当日を含めて7日目というのが一般的です。現在、葬儀告別式当日に「繰上初七日」「式中初七日」として行うことが多くなっています。初七日の次は二七日、三七日と続き七七日の四十九日まで続きます。初七日のことを初願忌(しょがんき)とも言います。関西では初七日の前夜を「お逮夜」といい、この日に法要を行なう場合があります。最近では諸事情により、葬儀後に初七日を同日にすることが一般的になりました。また、葬儀に一区切りつけるという意味でも重要です。初七日~七七日(四十九日)まではインドで行なわれていた仏教の法事でもあり、大乗仏教経典にも記載されています。とても大切な法要です。ここ...
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『妙法蓮華経如来神力品』(みょうほうれんげきょうにょらいじんりきぼん)

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十八界(じゅうはっかい)

十八界とは、人間存在の十八構成要素です。六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの知覚機官)と六境(色・声・香・味・触・法の対象の世界)と六識(眼・耳・鼻・舌・身・意の認識作用)とを合わせて十八となります。これらが個人存在を構成しています。三科の一つ。18界。十二処の内の六つの内的な場(六入処)における識別作用をそれぞれ別に数えて、それらの間における対応関係を明示したものです。①眼と色・かたちと資格②耳と音声と聴覚③鼻と香りと嗅覚④舌と味と味覚⑤皮膚と触れられるべきものと触覚⑥心と考えられるものと心の識別作用・眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意界・色界・声界・香界・味界・触界・法界・眼識界・耳識界・鼻...
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四向四果(しこうしか)

四向四果とは、初期の仏教での聖者の位を、預流(よる)、一来(いちらい)、不還(ふげん)、阿羅漢(あらかん)という四つの聖位に分けられており(四双/しそう)、その一つ一つの位について向と果がありました。向とは修行の目標として進みつつある位、また、果は到達した境地を示します。それにより八つの位に分けられることから八輩(はっぱい)、四双八輩(しそうはっぱい)ともいいます。修行の目標として進みつつある位四向(しこう)とは、預流向(よるこう)、一来向(いちらいこう)、不還向(ふげんこう)、阿羅漢向(あらかんこう)のことです。また、到達した境地を示す四果(しか)は、預流果(よるか)、一来果(いちらいか)、...
人物

塩月弥栄子(しおつきやえこ)

茶道家、冠婚葬祭評論家。茶名は宗芯(そうしん)。茶道裏千家的伝名誉教授、淡交会顧問を務めた。旧姓は千(せん)、父は裏千家14世家元碩叟宗室。庶民の着物とは異なる補正や道具などを多用する着付けの方法や着付け教室やその免状システムを戦後広めた人物であるとされる。塩月弥栄子の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓域には五輪塔と「夢」と刻まれた墓があり、左横に墓誌が建つ。生誕 1918年4月4日命日 2015年3月8日陽和院温光弥栄大姉<< 戻る
人物

周富徳(しゅうとみとく)

広東料理の料理人。神奈川県横浜市中区山下町の横浜中華街出身。愛称は「炎の料理人」。生誕 1943年3月11日命日 2014年4月8日<< 戻る
人物

島倉千代子(しまくらちよこ)

演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。『人生いろいろ』生誕 1938年(昭和13年)3月30日命日 2013年(平成25年)11月8日寳婕院千代歌愛大姉(東海寺大山墓地)<< 戻る
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信仰(しんこう)

巴語(パーリ語) saddha サッダー信仰(saddha)とは、正しいことを信じるということです。仏教における「信」の特質とされます。・「老いた日に至るまで戒しめをたもつことは楽しい。信仰が確立していることは楽しい。明らかな知慧を体得することは楽しい。諸々の悪事をなさないことは楽しい。」(ダンマパダ 333偈)<< 戻る
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師僧(しそう)

師僧とは、師と仰がれる僧のこと、師弟関係における師匠のことです。また、和尚さん、お坊さんという程度で使われる場合もあります。・「時に奘云く、真実求法の為には、有漏の父母師僧の障縁をすつべき道理、然るべし。」(『正法眼蔵随聞記』96、先師全和尚入宋せんとせし時)<< 戻る
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十二処(じゅうにしょ)

十二処とは、主観に属する六つの機官である六根と、客観に属する六種の対象である六境のことです。主観面である内的な六つの場と、客観面である外的な六つの場とに、対応関係があるのをまとめたもの。三科の一つ。12処。①眼と色・形との対立関係②耳と音声との対立関係③鼻と香りとの対立関係④舌と味との対立関係⑤皮膚と触れられるものとの対立関係⑥心と考えられるものとの対立関係見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・知り思う、の六種の心の働きを起こす側と、それらの働きの起こされる対象である次の、見られるもの・聞かれるもの・嗅がれるもの・味わわれるもの・触れられるもの・知られ思われるもの、とをいいます。・「妄愛という母と...
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『伝光録』第二十四祖。師子尊者。

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『伝光録』第三祖。商那和修尊者。

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『伝光録』第二十祖。闍夜多尊者。

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人物

白井義男(しらいよしお)

プロボクサー。東京市荒川区出身。元世界フライ級王者である。日本人として初めての世界王者となり、平成世代の現在とは違い、当時は世界王座までの距離が比べ物にならないほど遠かった時代のチャンピオンとしても高い評価を得ている。生誕 1923年11月23日命日 2003年12月26日<< 戻る
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衆寮(しゅりょう)/看読寮(かんどくりょう)

衆寮とは、禅宗寺院の境内にある僧堂とは別にある学問所のことで、雲水はそこで経典や語録を読み心を磨きます。看読寮、看読所ともいいます。(總持寺-神奈川県横浜市鶴見区の衆寮/扁額「古教照心」は、祖師方の教えの光によって心を照らせ、心をみがけ、という意味。現在は一般参禅者の坐禅堂として利用されている。)・「爾時寛元二年甲辰二月十五日在越州吉田県吉峰精舎示衆 弘安二年六月廿三日在永平禅寺衆寮書写之」(「正法眼蔵」如来全身)※正法眼蔵が永平寺の衆寮で書写されていたことが分かる記述で、学問所として機能していたことが分かります。・「ある禅師の会に一僧あり。金像の仏と、また仏舎利とを崇め用いて、衆寮等にも有っ...
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直歳(しっすい)

直歳とは、寺の修理、器物の整備などの労務を担います。六知事の一つ。・「いわゆる知事とは、都寺、監寺、副寺、維那、典座、直歳あり。味数議定し了らば、方丈衆寮等の厳浄牌に書呈せよ。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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真言八祖(しんごんはっそ)

真言八祖とは、真言密教における8人の祖師のことです。付法の八祖、伝持の八祖という真言密教には2つの八祖があります。いずれの系譜も日本真言宗の宗祖となる空海に帰結します。付法の八祖は、教えの系譜として、①大日如来、②金剛薩埵、③龍猛、④龍智、⑤金剛智、⑥不空、⑦恵果、⑧空海伝持の八祖は、日本に伝わるまでの歴史に関わった系譜として、①龍猛、②龍智、③金剛智、④不空、⑤善無畏、⑥一行、⑦恵果、⑧空海<< 戻る
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釈迦族(しゃかぞく)

釈迦族とは、お釈迦様の出身種族の名前です。釈迦とは、シャーキヤ族、またはその領国のシャーキヤ国を指す名称でもあります。釈迦はシャーキヤを音写したものです。釈迦牟尼。釋迦族。梵語(サンスクリット語) Śākya シャーキヤ शाक्य巴語(パーリ語)・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族といいます。王さまよ。私はその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。」(スッタニパータ 423偈)<< 戻る
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七覚支(しちかくし)

七覚支とは、悟りを得るために役立つ7つの事柄を示しています。「七等覚支」(しちとうがくし)、「七菩提分」(しちぼだいぶん)ともいいます。①択法(ちゃくほう) 教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てること。②精進(しょうじん) 一心に努力すること。③喜(き) 真実の教えを実行する喜びを感じること。④軽安(きょうあん) 身心からを軽やかに快適にすること。⑤捨(しゃ) 対象への捕ら我を捨てること。⑥定(じょう) 心を集中して乱さないこと。⑦念(ねん) その時その時の思いを穏やかにすること。<< 戻る
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初転法輪(しょてんぼうりん)

初転法輪とは、仏(ブッダ)が成道後、はじめて教えを説いた時のことをいいます。その場所は、インドのバラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置するサールナートの鹿野苑で、その教えを聞いたのは五比丘だと伝えられています。また、仏が説法することを転法輪といいます。ブッダはブッダガヤでの成道後、最初に法を説く相手として、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)で共に6年間の修行を行なった五比丘のいる鹿野苑を訪れました。当初、五比丘は、修行を捨てたブッダが遠くから来るのを見て、軽蔑の念をも抱き歓迎を拒みましたが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱いたことから、自然と座に迎えたといわれます。ブッダ自らが阿羅漢で...
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四諦/四聖諦(したい/ししょうたい)

四諦とはブッダの説いた4つの真理「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」のことです。この四諦において、生きていることは「苦」であるという考えを具体的に示し、「苦」からの解放を説いています。「四諦」の「諦」という字の語源は「道理を明らかにする」という意味であって、「真理」や「悟り」を表しています。四聖諦ともいいます。ブッダの初転法輪(最初の説法)はベナレス(バラナシ)の近郊にある鹿野苑(ろくやおん:サールナート)で五比丘(5人の修行の仲間)に4つの聖なる真実、つまり四諦を説いたと伝えられています。「苦諦」(くたい)は、苦しみの真理のことで、この世は苦しみであるということ。生・老・病・死の四苦と、愛別離苦...
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空(くう)

空とは、膨れ上がって中がうつろであるという前提があり、転じて、無い、欠けたという意味を持ちます。また、インド数学では0(零)を指す言葉です。諸々の物事は因縁によって生じたものであって、固定的実体がないということです。つまり、固定的実体がないということを因果関係の側面からとらえた縁起と同様なことを意味します。空を「何も存在しないこと」と誤って理解してはいけません。また、三解脱門の1つに数えられます。梵語(サンスクリット語) śūnya シューニャ、 śūnyatā シューニャター巴語(パーリ語) suññatā スンニャター初期仏教・「諸々の生存状態の内に堅固なものを見いださない」(スッタニパー...
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修行者(しゅぎょうしゃ)- 比丘

修行者は巴語で bhikkhu といい、「乞う者」を意味します。漢訳では「比丘」と音写します。お釈迦様の存命した当時、インドの諸宗教では家を出た全ての修行者は托鉢によって食べ物を得ていたので「乞う者」といいます。在家の人々は修行者に最上の敬意を示して食べ物を捧げますが、修行者は平然とこれを受け、挨拶やお礼を返さないのが作法です。出家者、修行僧ともいいます。また、女性の修行者のことを「比丘尼」といいます。<< 戻る
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此岸(しがん)

此岸とは、迷いの世界、生死の世界のことです。完全な理想の境地の彼岸に対して、このようにいわれます。梵語(サンスクリット語) 巴語(パーリ語) apāra・「彼岸もなく、此岸もなく、彼岸・此岸なるものもなく、恐れもなく、束縛もない人、彼を我はバラモンと呼ぶ。」(ダンマパダ 385偈)<< 戻る
人物

ジャンボ鶴田(ジャンボつるた)

プロレスラー、スポーツ科学研究者。本名及び旧リングネーム:鶴田 友美。 全日本プロレスで活躍した。三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初のAWA世界ヘビー級王者。生誕 1951年3月25日命日 2000年5月13日大勝院光岳常照居士<< 戻る
人物

塩沢兼人(しおざわかねと)

声優、俳優。『機動戦士ガンダム』のマ・クベ役、『うる星やつら 完結篇』、『1ポンドの福音』、『らんま1/2 中国寝崑崙大決戦! 掟やぶりの激闘篇!!』などの声優。生誕 1954年1月28日命日 2000年5月10日碧海院法優日敏信士<< 戻る
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商量(しょうりょう)

商量とは、商も量もはかるという意味で、商人が物品を売買する時にその値をはかり合って決めることです。そのことから、よくはかり考えることという意味で使われます。師家と修行者、あるいは修行者の間で、問答往来して審議、相談、議論することです。・「次に諸の知事、庫堂に在って商量すらく、明日なんの味を喫し、なんの菜を喫し、なんの粥等を設くと。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)・「これすなはち正業道支なり。あやまりて仏法の商量すれば、眉鬚墮落し、面目破顔するなり。」(「正法眼蔵」三十七品菩提分法)<< 戻る