仏教を本気で学ぶ

五観の偈(ごかんのげ)

ひとつには こうのたしょうをはかり、一には功の多少を計り、かのらいしょをはかる。彼の来処を量る。ふたつには おのれがとくぎょうの二には己が徳行のぜんけっとはかって くにおうず。全欠を忖って供に応ず。みつには しんをふせぎとがを三には心を防ぎ過をはなるることはとんとうをしゅうとす。離るることは貧等を宗とす。よつには まさにりょうやくをこととするは四には正に良薬を事とするはぎょうこをりょうぜんがためなり。形枯を療ぜんが為なり。いつつには じょうどうのためのゆえに五には成道の為の故にいまこのじきをうく今此の食を受く。これは五観の偈という食事に際して自分が反省すべき心得を箇条書にしたものです。禅宗寺院...
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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極楽浄土(ごくらくじょうど)

極楽浄土とは、阿弥陀如来が住む西方十万憶仏国土をすぎたところにあると言われる、苦しみのない安楽な世界です。梵語でスカーヴァティーといい「幸福のあるところ」「幸福にみちているところ」の意味があります。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音訳され、安楽、極楽、妙楽などと意訳されました。浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のことで、大乗仏教の世界観を表現する言葉として使われていますが、平安後期以降に浄土教が広まると、浄土と言えは阿弥陀如来の西方極楽浄土をさすことが多くなったようです。また、...
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五蘊(ごうん)

五蘊とは、五つの集まり、五種の群れを意味します。私たちの存在を含めて、あらゆる存在を五つの集まり(五蘊)の関係においてとらえる見方です。五陰(ごおん)ともいいます。名称と形態の観念との結びつき。三科の一つ。5蘊。五蘊は仏教で物質と精神とを五つに分類したものをいい、環境を含めての衆生の身心を五種に分類したものです。色・受・想・行・識の五つです。①色(しき)は物質一般、あるいは身体。身体および物質。②受(じゅ)は感受作用のことで、感覚・単純感情をいう。外からの刺激を受け入れる作用。③想(そう)は心に浮かぶ像で、表象作用のこと。④行(ぎょう)は意志、あるいは衝動的欲求に当たるべき心作用のこと。潜在的...
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京都の五山 ~五山制度と臨済宗~

1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。今回は京都五山を紹介します。合わせて、インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきましたのでご覧ください。南禅寺 (なんぜんじ)京都五山の上。亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)をむかえ、1291(正応4)年に離宮を禅寺にして開かれた寺院で、五山の上に置かれ、全ての禅寺の中で最高位の格式をもちます。天龍寺(てんりゅうじ)京都五山の第一位。室町幕府初代征夷代将軍足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため夢窓疎石をむかえ...
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劫(こう)

「劫」あるいは「一劫」とは、経典によって解説が違うものの測ることも数えることもできないほど途方もなく長い単位を表わす古代インドにおける最長の時間の単位です。梵語のカルパ (kalpa कल्प) の音写文字「劫波/劫簸(こうは)」を省略したものが「劫」です。例えば、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの期間とも、梵天の1日に等しいとも言われます。また、ヒンドゥーでは1劫を計算すると43億2000万年だったという結果もあります。<< 戻る
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五力(ごりき)

五力とは、悟りを得るための五つの力または五つのすぐれた働きのことです。巴語で、pañca balāni(パンチャ・バラーニ)といいます。信(信仰)・精進(努力)・念(憶念)・定(禅定)・慧(智慧)の五つ。<< 戻る
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金剛杵(こんごうしょ)

金剛杵とは、煩悩をも破砕すると言われる金属製の法具です。基本的には細長く、両端が広がっていて、真ん中がくびれ、手で握って使います。両端が尖っているものを独鈷杵(とっこしょ・どっこしょ)、両端が三又に分かれているものを三鈷杵(さんこしょ)、五つに分かれているものを五鈷杵(ごこしょ)といいます。梵語でヴァジュラといい、インド神話でインドラ神(帝釈天)の持つ雷の武器をさしていたことから、堅固なもの、力強いものを表すようになりました。寺院の山門内に安置される金剛力士像(仁王像)は梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味です。<< 戻る
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護法善神(ごほうぜんじん)

護法善神とは、仏法および仏教徒を守護する主に天部の神・鬼神のことです。梵天 (ぼんてん) ・帝釈天 (たいしゃくてん) ・四天王・十二神将・十六善神・二十八部衆などに含まれる神・鬼神のことをさします。護法神(ごほうしん)、諸天善神(しょてんぜんしん)ともいいます。<< 戻る
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金堂(こんどう)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂と呼び、その中でも中心となる場所を金堂といいます。一般的に本堂とも呼ばれ、仏殿(ぶつでん)とも呼ばれます。他にも、仏堂は寺院境内に多数建立される場合も多く、安置する仏像の名称などによって、仏殿、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂、観音堂、文殊堂、地蔵堂など様々な名称で呼ばれます。寺院境内の配置から見ると、中心に建てられる場合の他に、塔の背後または横に建てられる場合が多くあります。基本的には一寺院で一つの金堂を持ちますが、奈良時代に創建された寺院では、一寺院で複数の金堂を併置した例もあります。法隆寺の金堂は、現存する木造建築では世界最古と言...
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香典(こうでん)- 香奠

香典とは、葬儀の際に亡くなった方の霊前などに供える金品、もしくは法事の際に仏前に供える金品をいいます。「香」の字が入っているのは、香・線香の代わりに供えるという意味と香・線香を貸していただくという意味があります。本来、抹香や線香は供えるために自分で用意する物(自香)でした。会場の「香」を使う場合は借香といい、香を借りますという意味があります。「典」「奠」とは霊前に供える金品の意味で使われます。香典の言葉の意味は以上の通りですが、実際には亡くなった方のご遺族が葬儀や法事を行うための費用を、故人に縁のある方が援助する為に出し合う金品との理解で間違いないと考えられます。ただし、地域や寺院の方針でこれ...
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欣求浄土(ごんぐじょうど)

欣求浄土とは、心から喜んで浄土に往生することを願い求めることです。源信の『往生要集』には、大文第一を厭離穢土(おんりえど)、第二を欣求浄土とし、この思想を浄土信仰の基本としています。その中では、穢土の内容を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と規定して、浄土での十楽を願い、穢土をいとい離れることをすすめています。また、戦国時代、徳川家康の馬印に「厭離穢土欣求浄土」が使われていました。松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説きました。以後、戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土欣求浄...
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講堂(こうどう)

講堂とは、仏教寺院において住持や講義僧が修行僧に仏教経典の講読や説法を行い、指導にあたる主要な建物で、法会、儀式を行うところをいいます。境内の位置関係としては、金堂の後方などに建てられることが多いようです。禅宗では法堂と呼ばれます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(講堂・円教寺)<< 戻る
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金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士とは、寺院の山門内で二体一対で境内を守る仁王像のことです。梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味で、手に金剛杵を持ち、忿怒相に表現されます。外敵を退け、仏法を守護する神で、執金剛神、金剛神などともいわれます。須弥壇の左右に安置されることもあります。(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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広目天(こうもくてん)

広目天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、龍神(りゅうじん)、富単那(ふたんな)といった眷属(けんぞく)を従えて西方を守護する四天王として知られています。梵語名はヴィルーパークシャといい、毘楼博叉(びるばくしゃ)と音写されます。「尋常でない眼」「特殊な力を持った眼」との意味を持つことから、千里眼と拡大解釈され「広目天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には筆や巻物を持つ場合や三鈷戟(さんこげき)や羂索(けんさく)などの武具を持つ場合など、表現は様々です。(広目天・東寺)<< 戻る
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九つの孔

九つの孔(あな)とは、両目の孔、両耳の孔、鼻の二つの孔、口、排泄の道、生殖の道のこと。・「またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、」(スッタニパータ 197偈)<< 戻る
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呉音(ごおん)

呉音(ごおん)とは、漢字音の1つのことです。古代中国の呉・越地方の発音によったもので、仏教用語に多く使われています。例えば、「正」を「ショウ」、「行」を「ギョウ」と読むなど。<< 戻る
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五重塔(ごじゅうのとう)

五重塔(ごじゅうのとう)とは、仏教寺院の五重の屋根をもつ塔のことです。元来は仏舎利(ぶっしゃり・お釈迦様の遺骨)を安置するためのもので、インドのストゥーパが起源です。我が国最古は法隆寺のもの、京都市にある東寺のものは高さ約57mで最も高いものです。<< 戻る
人物

コーカーリヤ

コーカーリヤは『スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ』内に登場するお釈迦様の弟子です。ある時、お釈迦様が祇園精舎にいましたが、コーカーリヤは「サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求に捕らわれています。」と再三訴えました。それに対して再三「温良な性の人たちだから信じなさい」と諫められたものの、コーカーリヤは、サーリプッタおよびモッガラーナに対して敵意をいだいていたので、死んだ後、紅蓮地獄に生まれたことが記されています。<< 戻る
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香上仏(こうじょうぶつ)

香上仏とは、最上の香りある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhottama(ガンドゥーツタマ)といいます。また、香上如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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香光仏(こうこうぶつ)

香光仏とは、香りの光輝ある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhaprabhasa(ガンダ・プラバーサ)といいます。また、香光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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五蓋(ごがい)

五蓋とは、貪欲、いかり、心のしずむこと、心のそわそわすること、疑い、この5つの煩悩の総称をいう。蓋は巴語で nīvaraṇa /ニーヴァラナといい、認識を覆う障害のこと。瞑想(禅定)を邪魔する5つの障害を意味する。これらは心の明らかな働きを覆いかくして蓋(かさ)のようになり、善を生ぜしめない五つの覆いとなっています。①貪欲、むさぼり、情欲②いかり、瞋恚③心のしずむこと、心くらく身も重く、眠り込んだようなものうい状態④心のそわそわすること、心がざわざわして高ぶる働き、心を悩ませる後悔⑤疑いためらうこと・「五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをと...
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五戒(ごかい)

仏教には、人間が生きていくために守った方が良いもの、全ての仏教者が守るべきものをまとめた五戒(ごかい)があります。この5つの戒が五戒です。一見、「大丈夫そう」とか「あれさえ注意すれば大丈夫だろう」とか思われた方もいるかもしれませんね。健康で安定した状態では大丈夫でも、不健康で不安定な状態になった時に守れないようでは困ります。誰が困るのか?自分です。五戒はお釈迦様との約束でもなく、僧侶との約束でもなく、誰かとの約束事ではなく、幸せになるための自分自身との約束です。本能のままの生き方が良いのか、どうか?漠然と生きていれば陥りやすい5つのポイントを五戒としてまとめられています。五戒を意識して生きてみ...
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恒河沙(ごうがしゃ)

恒河沙(ごうがしゃ)はサンスクリット語「ガンガー(गंगा、Gaṅgā)」に相当する音写です。恒河沙とはガンジス川にある無数の砂の意味であり、もともと無限の数量の単位、例えとして仏典で用いられていました。日本でも平安時代には非常に大きな数を表す概念として、中国から仏典と共に「恒河沙」という語が伝えられていたようです。平安時代後期に成立した説話集である『今昔物語』に、「数え切れないくらい多くの国」の例えで「無量無辺不可思議那由他恒河沙の国土を過ぎ行きて」といった用例が見られます。<< 戻る
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行雲流水(こううんりゅうすい)

4月、5月の春から夏に向けて、だんだんと温かくなる季節は、気持ちいい晴天かと思うと、どこからか厚い雲が広がってきて、雨が降り出すという天気がしばしばある。そんな雨が新緑を一層際立たせる。晴れの日ばかりでなく、突然の雨も自然の中では必然のことなのだろう。自然は上手くできている。そんな自然を悟りの姿として見ることがある。行雲流水(こううんりゅうすい)と言って、こだわりのない空の雲、地を流れる水を表す言葉。福井県の永平寺や神奈川県横浜鶴見の總持寺などの修行僧、彼らをさして雲水(うんすい)ともいう。この言葉は雲の如く水の如く修行する姿を表し、行雲流水をもじった言葉だといわれている。<< 戻る
人物

劫賓那(こうひんな/カッピナ)

劫賓那はお釈迦様の弟子です。知星宿第一と言われています。尊称して摩訶劫賓那と呼ばれます。巴語でKapphina(カッピナ)、梵語でKalpina、Kamphilla(カンピラ)ということから音写して、劫賓那、劫賓寧、金毘羅、掲質などと記述されます。<< 戻る
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『妙法蓮華経五百弟子受記品』(みょうほうれんげきょうごひゃくでしじゅきぼん)

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人物

小林秀雄(こばやしひでお)

文芸評論家、編集者、作家。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以 下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。生誕 1902年(明治35年)4月11日命日 1983年(昭和58年)3月1日華厳院評林文秀居士<< 戻る
人物

後藤浩輝(ごとうひろき)

騎手。日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属。芸能活動のためオスカープロモーションにも所属。初免許年: 1992年重賞勝利: 53勝(JRA)G1級勝利: 5勝(JRA)通算勝利: 1510勝(うち地方競馬63勝)生誕 1974年3月19日命日 2015年2月27日<< 戻る
人物

小林カツ代(こばやしかつよ)

料理研究家・エッセイストである。神楽坂女声合唱団創設者、団長。生誕 1937年(昭和12年)10月24日命日 2014年(平成26年)1月23日<< 戻る
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高士(こうし)

高士とは、すぐれた人のことをいいます。また、菩薩の旧約でもあります。・「上古有道の高士、自ら手ずから精しく至り、之を修することこの如し。」(『典座教訓』4、心を他のことに移さない)<< 戻る
人物

児玉清(こだまきよし)

俳優、タレント、司会者、作家。本名は、北川清。出生名=旧姓及び旧芸名は、小玉清(こだま きよし)。東宝映画を経て1967(昭和42)年フリーに。NHK大河ドラマ「龍馬伝」、日本テレビ「花は花よめ」、TBS「ありがとう」、フジテレビ「HERO」など。生誕 1933年12月26日命日 2011年5月16日修讀院釋清優<< 戻る