仏教を本気で学ぶ

五上分結(ごじょうぶんけつ)

五上分結とは、三界のうち上方(色界と無色界)に結びつける五つの煩悩のことです。結は束縛のことであり、煩悩の異名。上分は色界と無色界のこと。三界のうち上二界である色界と無色界とに衆生を結び付ける五種の煩悩、すなわち色界における貧、無色界における貧・掉挙・慢・無明をいいます。衆生を色界と無色界とに結び付けて解脱させない煩悩なので、上分結と名づけられています。これを断滅すると阿羅漢果を得るというのが、説一切有部などの伝統的見解でした。梵語(サンスクリット語) ūrdhvabhāgīya saṃyojana ウールドヴァバーギーヤ・サンヨージョナ巴語(パーリ語) uddhambhāgiya saṃyo...
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五下分結(ごげぶんけつ)

五下分結とは、欲界に属する五つの煩悩のことです。結は束縛のことであり、煩悩の異名。下分は欲界のこと。三界のうち最下の欲界(感覚で知ることのできる下界)に衆生を結び付けて、束縛している五種の煩悩、すなわち欲界における貧・瞋恚・有身見・戒禁取見・疑のことです。この五下分結がある限り、衆生は欲界に生を受け、これらを断滅すると、欲界に帰らぬ不還果を得るというのが、説一切有部などの伝統的見解でした。梵語(サンスクリット語) āvarabhāgīya saṃyojana アーヴァラバーギーヤ・サンヨージョナ巴語(パーリ語) orambhāgiya-saṃyojana オーランバーギヤ・サンヨージャナ・「五...
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五識(ごしき)

五識とは、眼・耳・鼻・舌・身の五種の感覚機官によって生じ、色(形あるもの)・声・香・味・触(ふれられるもの)という五種の対象に対応する感覚作用です。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識をいいます。六識の中の前半に出て来るため前五識ともいわれます。五識は、一般的に使われる「五感」に対応する言葉と言われ、つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感と上記は対応しています。<< 戻る
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近藤貞雄(こんどうさだお)

プロ野球選手(投手)・指導者・監督、野球解説者。現役時代は西鉄軍、巨人、中日・名古屋で活躍し、引退後は中日、ロッテ、大洋、日本ハムのコーチ・監督を歴任した。生誕 1925年10月2日命日 2006年1月2日<< 戻る
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小森和子(こもりかずこ)

映画評論家、タレント。 旧姓は安彦(あびこ)。愛称は「(小森の)おばちゃま」。生誕 1909年(明治42年)11月11日命日 2005年(平成17年)1月8日<< 戻る
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厳浄牌(ごんじょうはい)

厳浄牌とは、黒い塗り板のことで、そこに告知することを白文字で書いて掲示します。掲示板。・「味数議定し了らば、方丈衆寮等の厳浄牌に書呈せよ。然して後に明朝の粥を設弁す。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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『伝光録』第五十二祖。永平奘和尚。

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護惜(ごしゃく)

護惜とは、大切にすること、仏法を守り惜しむことです。守護愛惜。・「飲食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふがごとく坐禅をこのむべし。黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禅のみなり。」(「正法眼蔵」坐禅儀)・「打得し了って之を護惜すること眼睛の如くせよ。保寧の勇禅師曰く、「眼睛なる常住物を護惜せよ」と。 之を敬重すること御饌草料の如くせよ。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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五着(ごじゃく)

五着とは、執着を起こさせるもとである、貪り・怒り・迷妄・高慢・誤った見解の五つのことです。・「五つの束縛を断て。五つの束縛を捨てよ。さらに五つの働きを修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、激流を渡った者と呼ばれる。」(ダンマパダ 370偈)<< 戻る
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五根(ごこん)

五根とは、悟りを得るための五つの力または可能力のことです。信・精進(勤)・念・定・慧の五つ。諸々の善いことを生ぜしめる根本であることから五根といいます。信根・精進根・念根・定根・慧根。五勝根ともいいます。・「五つの束縛を断て。五つの束縛を捨てよ。さらに五つの働きを修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、激流を渡った者と呼ばれる。」(ダンマパダ 370偈)次に、五種の感覚を生ずる機官、五種の知覚能力を表す場合、眼・耳・鼻・舌・身の五つの感官のことを指します。<< 戻る
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五比丘(ごびく)

五比丘とは、成道以前のブッダとウルヴェーラの苦行林(前正覚山)で6年間の修行を行なった5人の修行者であり、ブッダがブッダガヤで成道後にはじめて教えを説いた(初転法輪)相手も彼らだといわれています。ブッダはブッダガヤでの成道後、最初に法を説く相手として、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)で共に6年間の修行を行なった五比丘のいる鹿野苑を訪れました。当初、五比丘は、修行を捨てたブッダが遠くから来るのを見て、軽蔑の念をも抱き歓迎を拒みましたが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱いたことから、自然と座に迎えたといわれます。ブッダ自らが阿羅漢であり正等覚者であることを宣言したブッダは、気持ちの上で拒む五...
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ブッダ最後の旅【 第2章 】5、コーティ村にて

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業(ごう)- カルマ

業の本来の意味は、行為のことをいいますが、因果関係と組み合わせて考えられることで、前々から存在して機能する一種の力としてみなされるようになりました。そこで一つの行為は、必ず善悪・苦楽の果報をもたらすという、業による輪廻思想が生まれ、業が前世から来世にまで引き延ばされて説かれるようになりました。また、個人の業・社会的広がりを持つ業など、種々の別が立てられました。これら業の考え方は、インド一般の社会通念として、インド諸思想に大きな影響を与え、仏教にも採用された考え方です。なお、未来に向かっての人間の努力する行為を強調するものであれば問題ないのですが、宿業(前世につくった業)説になると、それとは逆に...
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今官一(こんかんいち)

小説家。「壁の花」で直木賞受賞。他に「幻花行」「牛飼いの座」など多数。生誕 1909年(明治42年)12月8日命日 1983年(昭和58年)3月1日幽玄院純文官光清居士<< 戻る
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越路吹雪(こしじふぶき)

シャンソン歌手、舞台女優。元宝塚歌劇団男役トップスター。 愛称は「コーちゃん」「コッシー」。生誕 1924年(大正13年)2月18日命日 1980年(昭和55年)11月7日乗法院越路妙華大姉<< 戻る
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小室哲哉(こむろてつや)

音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ。83年、宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORK(のちのTMN)を結成し、84年に「金曜日のライオン」でデビュー。同ユニットのリーダーとして、早くからその音楽的才能を開花。93年にtrfを手がけたことがきっかけで、一気にプロデューサーとしてブレイクした。以後、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle With t、globeなど、自身が手がけたアーティストが次々にミリオンヒット。2010年、作曲家としての活動を再開。AAA、森進一、北乃きい、超特急、SCANDAL、To...
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小林一三(こばやしいちぞう)

実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る
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幸田露伴(こうだろはん)

小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る
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小村寿太郎(こむらじゅたろう)

外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。爵位は侯爵。生誕 1855年10月26日(安政2年9月16日)命日 1911年(明治44年)11月26日<< 戻る
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幸徳秋水(こうとくしゅうすい)

明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。大逆事件で処刑された12名の1人。生誕 1871年11月5日(明治4年9月23日)命日 1911年(明治44年)1月24日<< 戻る
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小泉八雲(こいずみやくも)

ギリシャ生まれの新聞記者・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン 。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったと言われる。ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、...
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高野山大師教会発足

明治三十三年(1900年)、高野山大師教会発足。 << 戻る
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後藤象二郎(ごとうしょうじろう)

幕末から明治時代の武士、政治家、実業家。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人。 幼名は保弥太、良輔。象二郎は通称。諱は正本、後に元曄。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。生誕 天保9年3月19日(1838年4月13日)命日 明治30年(1897年)8月4日<< 戻る
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五代友厚(ごだいともあつ)

江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷生まれ。大阪経済界の重鎮の一人。大阪市の本邸跡は大阪科学技術館・日本銀行大阪支店になっている。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。生誕 天保6年12月26日(1836年2月12日)命日 明治18年(1885年)9月25日<< 戻る
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小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)

幕末の薩摩藩家老、政治家。前名は肝付 兼戈。通称は尚五郎のちに帯刀。維新の十傑の1人。吉利領主。 薩摩藩を雄藩に押し上げた藩政改革と幕末政局(薩長同盟、大政奉還など)において重要な役割を果たした。生誕 天保6年10月14日(1835年12月3日)命日 明治3年7月20日(1870年8月16日)<< 戻る
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近藤勇(こんどういさみ)

江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜という。慶応4年からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。生誕 天保5年10月9日(1834年11月9日)命日 慶応4年4月25日(1868年5月17日)貫天院殿純忠誠義大居士<< 戻る
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小林一茶(こばやしいっさ)

俳人。本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。別号は圯橋、菊明、新羅坊、亜堂。庵号は二六庵、俳諧寺。 信濃国柏原で中農の子として生まれた。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。代表作『父の終焉日記』『七番日記』『おらが春』生誕 宝暦13年5月5日(1763年6月15日)命日 文政10年11月19日(1828年1月5日)<< 戻る
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高遊外(こうゆうがい)- 売茶翁(ばいさおう)

江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外とも称した。佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で龍津寺に出家し僧名は月海。22歳で修行不足を恥じ江戸、仙台等各地へ出かけた。煎茶は長崎の中国僧から習ったとの説もある。また、隠元禅師が京都宇治に開いた、黄檗山(おうばくさん)萬福寺でも修業、中国伝来の文化に触れ、視野を広げた。晩年、龍津寺を弟弟子に託し再上洛。洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説いた。その姿に人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼んだ。通仙亭には文人墨客が集まり「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言...
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後藤基次(ごとうもとつぐ)- 後藤又兵衛

安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛。黒田孝高、黒田長政、豊臣秀頼に仕え数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。生誕 永禄3年4月10日(1560年5月5日)命日 慶長20年5月6日(1615年6月2日)西照院殿夏安道蓮大居士心岩宗伝居士(福岡金龍寺過去帳)<< 戻る
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興聖寺派(本山興聖寺(京都))の開派

慶長8(1603)年、虚応円耳禅師により始まる。臨済宗興聖寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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小早川秀秋(こばやかわひであき)

安土桃山時代の大名。丹波国亀山城主、筑前国名島城主を経て備前国岡山城主。名は関ヶ原の戦いの後に秀詮と改名した。 豊臣秀吉の正室・高台院の甥。秀吉の親族として豊臣家では重きをなし、小早川隆景と養子縁組した後には、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った。生誕 天正10年(1582年)命日 慶長7年10月18日(1602年12月1日)瑞雲院秀巌日詮<< 戻る
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小西行長(こにしゆきなが)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。 当初は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役では女婿・宗義智らと共に主要な働きをし、序盤の漢城府占領の際には加藤清正と先陣の功を争った。関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された。自殺を禁じられたキリシタンであったので、切腹を拒否して斬首された。生誕 永禄元年(1558年)命日 慶長5年10月1日(1600年11月6日)<< 戻る