【仏教用語/人物集 索引】

ブッダ最後の旅【 第2章 】5、コーティ村にて

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第1章 】

5、コーティ村にて

1 そこで尊師は、若き人アーナンダに告げて言った。
「さあ、アーナンダよ。コーティ村へ行こう」と。
「かしこまりました」と、若き人アーナンダ尊師に答えた。
そこで尊師は多くの修行僧の群れと共に、コーティ村に赴いた。そこではコーティ村自体に尊師は住していた。


(2004年 管理人撮影/インドの農村)

2 そこで尊師修行僧たちに告げて言った。
修行僧たちよ。四つのすぐれた真理を悟らず、通達しないが故に、この長い時間に渡って、わたしもあなたたちもも、このように流転し、輪廻したのである。その四つとは何であるか?

修行僧たちよ。苦しみという尊い真理を悟らず、通達しないが故に、この長い時間に渡って、わたしもあなたたちもも、このように流転し、輪廻したのである。
修行僧たちよ。苦しみの起こるもとという尊い真理を悟らず、通達しないが故に、この長い時間に渡って、わたしもあなたたちもも、このように流転し、輪廻したのである。
修行僧たちよ。苦しみの止滅という尊い真理を悟らず、通達しないが故に、この長い時間に渡って、わたしもあなたたちもも、このように流転し、輪廻したのである。
修行僧たちよ。苦しみの止滅に導く道という尊い真理を悟らず、通達しないが故に、この長い時間に渡って、わたしもあなたたちもも、このように流転し、輪廻したのである。」

しかし、修行僧たちよ。苦しみというすぐれた真理が悟られ、通達された。苦しみの起こるもとという尊い真理が悟られ、通達された。苦しみの止滅という尊い真理が悟られ、通達された。苦しみの止滅に導く道という尊い真理が悟られ、通達された。生存に対する妄執はすでに断たれた。生存に導く妄執はすでに滅びてしまった。もはや再び迷いの生存を受けるということはない」と。

3 尊師はこのことを説いた。幸いな人はこのことを説いた後で、師(ブッダ)はこのことを説いた。
「四つの尊い真理を如実に見ないが故に長い間、幾多の生涯に渡って、捕らわれこだわっていたいたのである。
それらの尊い真理はすでに見られた。生存に導く妄執はすでに根絶された。
苦しみの根は断たれた。もはや再び迷いの生存を受けるということはない」と。

4 次いで尊師はそのコーティ村にとどまって、多くの修行僧たちにこのように数多くの法に関する講話をなされた。
「戒律とはこのようなものである。精神統一とはこのようなものである。智慧とはこのようなものである。戒律と共に修行して完成された精神統一は大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。精神統一と共に修養された智慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。智慧と共に修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する。」

⇒ 続きは 6、ナーディカ村にて ⇒ 目次(はじめに戻る)

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

<< 戻る

-仏教を本気で学ぶ
-, ,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.