【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第四十祖。同安丕禅師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第四十祖。同安丕禅師。雲居有時示曰。欲得恁麼事。須是恁麼人。既是恁麼人。何愁恁麼事。師聞自悟。

【機縁】

師者不知何許人。即参雲居為侍者経年。有時雲居上堂曰。僧家発言吐氣。須有来由。莫将等閑。這裏是甚麼所在。争得容易。凡問箇事也須識些子好悪。乃至第一莫将来。将来不相似。乃至若是知有底人自解護惜。終不取次。十度発言。九度休去。為甚麼如此。恐怕無利益。体得底人心如臘月扇子。直得口辺醭出。不是強為。任運如是欲得恁麼事乃至何愁恁麼事。恁麼事即難得。かくのごとくしめすをききて。師すなはちあきらめ。終に一生の事を弁じて。後に洪州鳳棲山同安寺に住す。道丕禅師なり。さかんに雲居の宗風を開演す。有時学者問。迷頭認影如何止。師曰。告阿誰。曰如何即是。師曰。従人覓即転遠。也曰。不従人覓時如何。師曰。頭在甚麼処。僧問。如何是和尚家風。師曰。金鶏抱子帰霄漢。玉兎懷胎入紫微。曰忽遇客来将何祇待。師曰。金菓早朝猿摘去。玉華晩後鳳銜来。はじめ先師の示すところによりて。真箇の田地をあきらめゑて。家風をとくに金鶏帰霄漢。玉兎入紫微といふ。また為人する時。金菓日日摘将去。玉華夜夜銜持来。

【拈提】

参学の因縁いづれ勝劣なしといへども。適来の因縁よく子細にすべし。ゆへいかんとなれば。恁麼の事をゑんとおもはば。すなはちこれ恁麼の人なり。たとひ頭に迷ひてもとめきたりしも。すなはちこれ頭なり。いはゆる永平開山曰く。我といふは誰そ。誰そといふは我れなるゆへに。良遂座主参麻谷。谷見来便閉門。良遂敲門谷乃問阿誰。良遂答曰。良遂。纔称名忽爾契悟。乃云。和尚莫瞞良遂。良遂若不来礼拝和尚。洎合被十二部経論賺過一生。谷乃開門令通悟由。遂印可之。及帰講肆。散席告徒衆云。諸人知処良遂総知。良遂知処諸人不知。実にこの知処。風を通ぜず。然れば諸人者子細に参徹せん時。無始劫よりこのかた具足しきたる。一時もかけたることなし。たとひ思量をもてはかりもとむるとも。すなはちこれ我なり。また他にあらず。独照すとも分別にあらず。またこれ我なり。今あらたなるにあらず。いはゆる眼こをつかひ。耳をつかひ。口をつかひ。手をひらき。足をうごかす。尽くこれ我なり。元来手にとるにあらず。眼にみるにあらず。ゆへに声色の所論にあらず。耳目の所到にあらず。人人子細にせん時。必ず我あることをしるべし。をのれあることをしるべし。このところをしらんとするに。まづ一切是非をさしおきて。ものによらず他にわたらざる時。この心独り明なること。日月よりも明なり。この心清白なること。霜雪よりも清し。然れば暗昏昏にして。是非をおぼへざるにあらず。浄明明にして。自己おのづからあらはるるなり。ゆへに諸人者語黙動静をはなれ。皮肉骨髄を帯せずといふものなきとおもふことなかれ。また兀然独立して。我とも不思。他とも不言。いかにといふ心なし。株のたてるがごとく。全体ものによらず。無心なること草木のごとくとおもふことなかれ。仏道の参学あに草木とおなじかるべきや。元来自なく他なし。すべて一物なしといふ所見は外道の断見。二乗の空見に同じし。大乗極則あに二乗外道におなじくすべけんや。子細に精到してまさに落著せん時。有といふべきにあらず。空朗朗なるゆへに。無といふべきにあらず。明了了なるゆへに。これ身口意のわかつところにあらず。これ心意識のわきもふべきにあらず。いかんがこの道理を通じうることあらん。

【頒古】

空手自求空手来。本無得処果然得。

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