【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第四十一祖。後同安大師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第四十一祖。後同安大師。参前同安曰。古人曰。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処。同安曰。既得恁麼。師於言下大悟。

【機縁】

師諱観志。其行状委不録也。参先同安得処深。先同安将示寂。上堂曰。多子塔前宗子秀。五老峯前事若何。如是参挙。未有対者。末後師出曰。夜明簾外排班立。万里歌謠道大平。同安曰。須是驢漢始得。爾より同安に住す。後同安と号す。

【拈提】

それ多子塔前宗子秀と云は。むかし釈迦牟尼仏摩訶迦葉に相見せしこと。多子塔前也。一度相見せしに衣法ともに伝附す。其後十二頭陀を行じ。後半座に居す。涅槃会上迦葉会にのぞまずといへども。一衆をもて悉く迦葉に付嘱す。すなはちこの心なり。宗子秀といふ。いま同安大師。洞山の嫡孫として。青原一家の家風。このところに逆流翻回す。示滅のきざみ其の嫡子をあらはさんとして。五老峯前事若何と。かくのごとく三たび挙するに。衆悉く不会。ゆへに衆みな不答。須弥突兀として。衆山の頂き秀て。日輪杲杲として群象の前に照すゆへに。夜明簾外排班立。実にものの比倫すべきなし。脱体無依なるゆへに。直下第二人なし。ゆへに万里に繊埃を絶し。謀臣猛将いま何くにかある。うたひうたふてみな大平なり。奇衲子なり。参学この田地にいたりて始て得べし。かくのごとく拔群の操行。超邁の得処。さきだちてその風操をあらはす。ゆへに曰く。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処と。いはゆる世人の愛処といふは。自ら愛し他を愛す。この愛漸漸に長ず。すなはち依報を愛し。正報を愛す。この愛いよいよ深著しもち来り。一重の鉄枷上に一重の鉄枷をそへて。すなはち仏を愛し祖を愛す。如是愛染いよいよけがれもてきたる。終に衆生の業因連綿として不断。元来不自由のところより生じ。不自由のところにむかひて死しもちさる。ただこれ此の愛によれり。ゆへに生仏・男女・有情非情。如是なる相著の愛なり。はやく須払却。すべて軌則なく一物なく。これなになるとも不弁。すべて不知不識なる。これはこれ非相の愛処なり。すはちとどまることなかれ。なを有相執著は一度発心せば。自ら体達することもありなん。もし非相の所見を執して。無色界に随在しなば。うらむらくはいくばくの劫数を送りて天寿つきん時。かへりて無間にをちなん。いはゆるこれ無心滅想なり。この相有および無相。かさねてこれ世人の愛処なり。有相中にして己をみ他をみ。無相中にしてをのれを亡じ他を亡ず。ことごとくこれ邪なり。然れば諸禅徳初機後学。かたじけなく釈尊の兒孫仏受用を受用す。あに世人の愛処に。おなじふすへけんや。まづすべからく一切の是非善悪男女差別の妄見を解脱すべし。次に無為無事無相寂滅のところにとどまることなかれ。このところに承当せんとおもはは。他にむかひてもとめ。外にむかひてたづぬることなかれ。まさにこの身いまだうけず。この体いまだきささざりし以前にむかひて。したしく眼をつくべし。かならず千差万別。毫髮も萌すことあるべからず。暗昏昏黒山鬼窟のことくなることなかれ。この心本来妙明にして赫赫然としてくらからず。この心空豁として円照す。此の中ち終に皮肉骨髄をおびきたること一毫もなし。なにいはんや六根六境迷悟染浄あらんや。仏け汝が為に説ことなく。自から師の為に参するなし。ただ声色のわかれ来るなきのみに非ず。すなはち耳目の具し来るなし。然れども心月かがやきて円明なり。眼華ほころびて紋あざやかなり。子細に精到して須恁麼相応。諸禅徳いかんが這箇の道理を会することをゑん。便ち代て一語をつけん。早くすべからく体前に眸を附べし。

【頒古】

心月眼華光色好。放開劫外有誰翫。

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