愛とは、慈しむ心や慈しんで行うことです。愛想、愛嬌、愛語、愛着(愛著)など、愛が付く仏教語は多くあります。そこから「愛」が仏教の中でどのように使われているのかを確認したいと思います。
「愛想」、「愛嬌」というのは実は同じ仏教語「愛敬相」(あいぎょうそう)が語源で、仏・菩薩の姿は温和で慈悲深く、拝む人たちがその姿に愛(いつく)しみ、敬(うやま)わらずにはおられない相(そう)だということを表しています。
「愛語」というのは四摂(ししょう)の一つである「あたたかい心のこもった言葉をかけること」で、これによって人々を救いに導く実践行です。そのことは聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(ほっけぎしょ)に出てきます。
また、鎌倉時代の道元が著わした『正法眼蔵』にも「愛語」の言葉は何度も使われていて「愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。」と説明されています。
そこから「和顔愛語」(わげんあいご/我がんあいご)という、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することを指す言葉もあります。
日本の古語において「愛」の字は「愛(かな)し」と使われ、相手をいとおしいと思う気持ち、かわいいと思う気持ち、守りたいと思う気持ちを意味しました。明治時代以降、英語の「love」やフランス語の「amour」などを意味する字として使われるようになり、キリスト教の愛の概念などが加わったため、現在は多様な使われ方をしています。
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