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南泉普願(なんせんふがん)

中国唐の時代の禅僧。鄭州新鄭県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には趙州従諗、長沙景岑がいる。南泉山に禅院を構え、30数年間、南泉山を下ることがなかった。大和元年(827年)頃、宣歙観察使の陸亘の求めによって山を下り、名声が諸方にとどろき、門弟が数百になった。南泉斬猫。生誕 天宝7載(748年)命日 大和8年12月25日(835年1月27日)<< 戻る
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南陽慧忠(なんようえちゅう)

中国唐の時代の禅僧。越州諸曁県の出身。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には耽源がいる。諡は大証禅師。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。中国では単に国師といえば、慧忠のことを指すと言われる。大証国師。16歳の時、大鑑慧能の門下に入り、悟りを得た。師の入寂後は五嶺・四明山・天目山などを歴遊して参学し、南陽白崖山の党子谷に庵を結び40年の間隠棲した。上元2年(761年)、粛宗の勅命により長安に上り、宮廷において教えを授けた。生誕 上元2年(675年)命日 大暦10年12月19日(776年1月14日)<< 戻る
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南嶽懐譲(なんがくえじょう)

中国唐の時代の禅僧。金州安康県の出身。中国禅宗の七祖(南宗)。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には馬祖道一がいる。諡は大慧禅師。南嶽衡山般若寺。大恵禅師は数人いるので出典等で要確認。・「南嶽大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹渓に参じて、執侍すること十五秋なり。しかうして伝道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に写す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、我をわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究弁す、これ晩進の亀鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。」(「正法眼蔵」行持・上)...
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ナーランダ/ナーランダ大学

ナーランダ大学とは、427年に建てられた世界最古の大学であったと考えられており、インド仏教の最重要拠点であった僧院です。5世紀初頭のインド、グプタ王朝のクマーラグプタ1世(シャークラ・ディティヤ王)が創建しました。ナーランダは「蓮のある場所」「知識の提供者」という意味です。それから12世紀ごろまで栄え、数千人の僧侶が学んでいたと伝えられ、多い時には1万人の学僧が集まったという記述もあります。現在はその一部が発掘、整備され公園になっています。また、ラージギル(王舎城)まで15km、ブッダガヤまで82kmほどという位置関係です。下の写真は、この地方出身と伝えられるブッダ十大弟子の1人であるサーリプ...
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僧伽難提(そうぎゃなんだい)

4世紀頃のインドの仏教僧。室羅閥城(しらばつじょう/舎衛城/シュラーヴァスティー)の宝荘厳王(ほうしょうごんおう)の王子。羅睺羅多に就いて嗣法。弟子には伽耶舎多がいる。生誕 命日 << 戻る
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龍樹(ナーガールジュナ)

南インド出身の仏教僧。バラモンの家系に生まれましたが出家して仏教僧となりました。梵語(サンスクリット語)で नागार्जुन、Nāgārjuna、ナーガールジュナといい、漢訳名では、音写で那伽閼刺樹那(なぎゃはらじゅな)、意訳で龍樹(りゅうじゅ)、龍勝(りゅうしょう)、龍猛(りゅうみょう)。著作とされるものに『中論』『十二問論』『大智度論』『十住毘婆沙論』等。竜樹。特に『中論』において確立された空の思想は、以後、全ての大乗仏教思想に最大の影響を与え、その学派は後世、中観派(ちゅうがんは)と呼ばれるようになりました。伝承的な部分が多く、龍樹が書いたという書物も多いですが、古来から現代までの研究...
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スッタニパータ【第2 小なる章】2、なまぐさ

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スッタニパータ【第3 大いなる章】11、ナーラカ

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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】12、並ぶ応答 ─ 小篇

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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】13、並ぶ応答 ─ 長篇

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】8、学生ナンダの質問

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仏陀難提(ぶつだなんだい)

インドの仏教僧。婆須蜜多に就いて嗣法。弟子には伏駄蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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スンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)- お釈迦様の異母兄弟

スンダラ・ナンダとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の異母兄弟です。漢訳仏典では「孫陀羅難陀」(そんだらなんだ)や「難陀」と訳されます。父はスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)、母はマハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提/お釈迦様の養母)。お釈迦様の弟子になりました。1~2世紀の馬鳴は、スンダラ・ナンダをモデルにその回心を描いた詩『端正なる難陀』(サウンダラナンダ)を著述しています。梵語(サンスクリット語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ巴語(パーリ語) Sundara-nanda スンダラ・ナンダ生誕 命日 << 戻る
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第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...