【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第3 大いなる章】11、ナーラカ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 [ 序 ]

679 よろこび楽しんでいて清らかな衣をまとう三十の神々の群帝釈天とが、恭しく衣をとって極めて讃嘆しているのを、アシタ仙は日中の休息の時に見た。

680 心喜び踊りあがっている神々を見て、ここに仙人は恭々しくこのことを問うた、
「神々の群が極めて満悦しているのは何故ですか?
 どうしたわけで彼らは衣をとってそれを振り廻しているのですか?

681 たとえ阿修羅との戦いがあって、神々が勝ち阿修羅が敗れた時にもそのように身の毛の振るい立つぼど喜ぶことはありませんでした。どんな稀な出来事を見て神々は喜んでいるのですか?

682 彼は叫び、歌い、楽器を奏で、手を打ち、踊っています。須弥山の頂に住まわれるあなたがたに、わたくしはおたずねします。尊き方々よ、わたくしの疑いを速かに除いてください。」

683 神々は答えて言った、「無比のみごとな宝であるかのボーディサッタ(菩薩、未来の仏)は、もろびとの利益安楽のために人間世界に生まれたもうたのです、釈迦族の村に、ルンビニーの聚落に。
 だから我らは嬉しくなって、非常に喜んでいるのです。

684 生きとし生ける者の最上者、最高の人、牡牛のような人、生きとし生けるものの内の最高の人(ブッダ)は、やがて仙人のあつまる所という名の林法輪を回転するであろう。猛き獅子が百獣に打ち勝って吼えるように。」

685 仙人は神々のその声を聞いて急いで人間世界に降りてきた。その時、スッドーダナ王の宮殿に近づいて、そこに坐して、釈迦族の人々に次のように言った、
 「王子はどこにいますか。わたくしもまた会いたい。」

686 そこで諸々の釈迦族の人々は、その児を、アシタという仙人に見せた。溶炉で巧みな金工が鍛えた黄金のようにきらめき幸福に光り輝く尊い児を。

687 火炎のように光り輝き、空行く星王(月)のように清らかで、雲を離れて照る秋の太陽のように輝く児を見て、歓喜を生じ、たかまる喜びでワクワクした。

688 神々は、多くの骨あり千の円輪ある傘蓋を空中にかざした。また黄金の柄のついた払子で身体を上下に扇いだ。
 しかし払子や傘蓋を手にとっている者どもは見えなかった。

689 カンハシリ(アシタ)という結髪の仙人は、心喜び、嬉しくなって、その児を抱きかかえた。その児は、頭の上に白い傘をかざされて白色がかった毛布の中にいて、黄金の飾りのようであった。

690 相好と呪文(ヴェーダ)に通曉している彼は、釈迦族の牡牛のような立派な児を抱きとって、特相を検べたが、心に歓喜して声を挙げた。「これは無上の方です、人間の内で最上の人です。」

691 時に仙人は自分の行く末をおもうて、ふさぎこみ、涙を流した。仙人が泣くのを見て、釈迦族の人々は言った、
 「我らの王子に障りがあるのでしょうか?」

692 釈迦族の人々が憂えているのを見て、仙人は言った、
「わたくしは、王子に不吉の相があるのを思い続けているのではありません。また彼に障りはないでしょう。この方は凡庸ではありません。よく注意してあげてください。

693 この王子は最高の悟りに達するでしょう。この人は最上の清浄を見、多くの人々のためをはかり、あわれむが故に、法輪をまわすでしょう。この方の清らかな行いは広く弘まるでしょう。

694 ところが、この世におけるわたくしの余命はいくばくもありません。この方が悟りを開かれる前に中途でわたくしは死んでしまうでしょう。わたくしは比なき力ある人の教えを聞かないでしょう。だから、わたくしは、悩み、悲嘆し、苦しんでいるのです。」

695 かの清らかな修行僧アシタ仙)は釈迦族の人々に大きな喜びを起させて、宮廷から去っていった。彼は自分の甥ナーラカをあわれんで、比なき力ある人の教えに従うようにすすめた。

696 「もしもお前が後に『目ざめた人あり、悟りを開いて、真理の道を歩む』という声を聞くならば、その時そこへ行って彼の教えをたずね、その師のもとで清らかな行いを行え。」

697 その聖者は、人のためをはかる心あり、未来における最上の清らかな境地を予見していた。その聖者に教えられて、かねて諸々の善根を積んでいたナーラカは、勝利者(ブッダ)を待望しつつ、みずからの感官をつつしみまもって暮らした。

698 すぐれた勝利者が法輪をまわしたもうとの噂を聞き、アシタという仙人の教えの通りになった時に、出かけて行って、最上の人である仙人(ブッダ)に会って信仰の心を起し、いみじき聖者に最上の聖者の境地をたずねた。

 序文の詩句は終った。

699 ナーラカ尊師に言った、「アシタの告げたこの言葉はその通りであるということを了解しました。故に、ゴータマよ、一切の道理の通達者(ブッダ)であるあなたにおたずねします。

700 わたくしは出家の身となり、托鉢の行を実践しようと願っているのですが、おたずねします。聖者よ、聖者の境地、最上の境地を説いてください」。

701 ブッダ)は言われた、「わたくしはあなたに聖者の境地を教えてあげよう。これは行い難く、成就し難いものである。さあ、それをあなたに説いてあげよう。しっかりとして、堅固であれ。

702 村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。罵られても心に怒らないように注意し、敬礼されても冷静に、高ぶらずにふるまえ。

703 たとい園林の内にあっても、火炎の燃え立つように種々のものが現れ出てくる。
婦女は聖者を誘惑する。婦女をして彼を誘惑させるな。

704 婬欲の事柄を離れ、様々な愛欲を捨てて、弱いものでも、強いものでも、諸々の生きものに対して敵対することなく、愛著することもない。

705 『彼もわたしと同様であり、わたしも彼と同様である』と思って、我が身に引きくらべて、生きるものを殺してはならなぬ。また他人をして殺させてはならない。

706 凡夫は欲望と貪りとに執著しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。

707 腹をへらして、食物を節し、小欲であって、貪ることなかれ。彼は貪り食う欲望にあきて、無欲であり、安らぎに帰している。

708 その聖者は托鉢にまわり歩いてから、林のほとりにおもむき、樹の根もとにとどまって座につくべきである。

709 彼は思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである。

710 ついで夜が明けたならば、村里のほとりに去るべきである。信徒から招待を受けても、また村から食物をもらってきても、決して喜んではならない。

711 聖者は、村に行ったならば、家々を荒々しくガサツに廻ってはならない。話をするな。わざわざ策して食を求める言葉を発してはならない。

712 『施しの食べ物を得たのは善かった』『得なかったのもまた善かった』と思って、全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。あたかも果実を求めて樹のもとに赴いた人が、果実を得ても得なくても、平然として帰ってくるようなものである。

713 彼は鉢を手にして歩き廻り、言葉を発せない者ではないのに言葉を発せない者と思われるようにするためだ。施物が少なかったらとて軽んじてはならぬ。施してくれる人を侮ってはならない。

714 道の人(ブッダ)は高くあるいは低い種々の道を説き明かしたもうた。重ねて彼岸に至ることはないが、一度で彼岸に至ることもない。

715 輪廻の流れを断ち切った修行僧には執著が存在しない。為すべき善と為すべからざる悪とを捨て去っていて、彼には悩み苦しむことが存在しない。」

716 が言われた、
「あなたに聖者の道を説こう。食をとるには剃刀の刃のたとえのように用心せよ。舌で上口蓋を抑え、腹についてはみずから食を節すべし。

717 心が沈んでしまってはいけない。またやたらに多くのことを考えてはいけない。なまぐさい臭気なく(煩悩のない者となって)、こだわることなく、清らかな行いを究極の理想とせよ。

718 独り坐することと道の人に奉仕することを学べ。聖者の道は独り居ることであると説かれている。独り居てこそ楽しめるであろう。

719 そうすれば彼は十方に光輝くであろう。欲望を捨てて瞑想している諸々の賢者の名声を聞いたならば、我が教えを聞く者はますます恥を知り、信仰を起こすべきである。

720 そのことを深い淵の河の水と浅瀬の河の水とについて知れ。河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。

721 欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである。愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、賢者は水の満ちた湖のようである。

722 道の人が理法にかない意義あることを多く語るのは、みずから知って教えを説くのである。みずから知って多くのことを語るのである。

723 しかしみずから知って己れを制し、みずから知っているのに多くのことを語らないならば、彼は聖者として聖者の行にかなう。彼は聖者として聖者の行を体得した。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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