【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】13、並ぶ応答 ─ 長篇

投稿日:0202年5月28日 更新日:

895 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と説き伝える人々、彼らは全て他人からの非難を招く。また、それについて一部の人々から称賛を博するだけである。

896 たとえ称賛を得たとしてもそれは僅かなものであって、平安を得ることが出来ない。論争の結果は称賛と非難との二つだけである、とわたしは説く。この道理を見ても、あなたたちは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。

897 全て凡俗の徒のいだく、これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。彼は、見たり聞いたりした事柄について「これだ」と認め知ることがないから、こだわりがない。彼はそもそもどんなこだわりに赴くのであろうか?

898 戒律を最上のものと仰いでいる人々は、「制戒によって清浄が得られる」と説き、誓戒を受けている。「我々はこの教えで学びましょう。そうすれば清浄が得られるでしょう」と言って、真理に達した者と称する人々は、流転する迷いの生存にひき込まれている。

899 もしも彼が戒律や誓戒を破ったならば、彼は戒律や誓戒のつとめにそむいて、恐れおののく。それのみならず彼は「こうしてのみ清浄が得られる」と唱えて望み求めている。たとえば隊商からはぐれた商人が隊商を求め、家から旅立った旅人が家を求めるようなものである。

900 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり、あるいは罪過なき宗教的行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄であると」とか言って願い求めることもなく、それらに捕らわれずに行え。安らぎを固執することもなく。

901 あるいは、ぞっとする苦行にもとづき、あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、声を高くして清浄を讃美するが、妄執を離れていないので、移りかわる種々なる生存の内にある。

902 願い求める者は欲念がある。また、計らいのある時には、おののきがある。この世において死も生も存しない者、彼は何を怖れよう、何を欲しよう。

903 ある人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。これらの内で、どれが真実の説であるのか?彼は全て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。

904 彼らは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。彼らはこのように互いに異った執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真実である」と説く。

905 もしも他人に非難されているが故に下劣なのであるというならば、諸々の教えの内で勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからである。

906 彼らは自分の道を称賛するように、自己の教えを尊重している。しからば一切の議論がその通り真実であるということになるであろう。彼らはそれぞれ清浄となれるからである。

907 真のバラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々の事柄について断定をして固執することもない。それ故に、諸々の論争を超越している。他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。

908 「我は知る。我は見る。これはその通りである」という見解によって清浄になることが出来る、とある人々は理解している。たとい彼が見たとしても、それがあなたにとって何の用があるだろう。彼らは、正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く。

909 見る人は名称と形態とを見る。また見てはそれらを常住または安楽であると認めるであろう。見たい人は、多かれ少かれ、それらをそのように見たらよいだろう。真理に達した人々は、それを見ることによって清浄になるとは説かないからである。

910 「我は知る」「我は見る」ということに執著して論ずる人は、みずから構えた偏見を尊重しているので、彼を導くことは容易ではない。自分の依拠する事柄のみ適正であると説き、その事柄にのみ清浄となる道を認める論者は、そのように一方的に見たのである。

911 バラモンは正しく知って、妄想分別に赴かない。見解に流されず、知識にも執着しない。彼は凡俗のたてる諸々の見解を知って、心にとどめない。他の人々はそれに執著しているのだが。

912 聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、論争が起こった時にも、党派にくみすることがない。彼は不安な人々の内にあっても安らかで、落ち着いていて、執することがない。他の人々はそれに執著しているのだが。

913 過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、欲に赴かず、執著して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく。自分を責めることもない。

914 見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。彼は負担を離れて解放されている。彼は計らいを為すことなく、快楽にふけることなく、求めることもない。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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