仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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那伽(ナーガ、龍神)

那伽とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、水属の王とされ、龍神、龍王という訳名があります。インド神話においてはナーガといい、蛇の精霊あるいは蛇神のことです。ブッダが悟りを開く時に守護したとされ、仏教に龍王として取り入れられて以来、守護神となっています。もともとコブラを神格化した蛇神でしたが、コブラの存在しない中国においては漢訳経典において「龍」と翻訳され、中国にもともとあった龍信仰と習合し、日本にもその形式で伝わっています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。西方を守護する広目天の眷属です。<< 戻る
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ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ/尼乾陀若提子/大勇)

ニガンタ・ナータプッタは、ジャイナ教の開祖でお釈迦様とほぼ同時代にマガダ国(摩訶陀国)周辺で活躍しました。『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に登場する仏教の側から見て異端だと見なされた六師外道の1人です。はじめはバラモン教の一派ニガンタ派で修行したため「ニガンタ」と称されていますが、修行期を経て従来のバラモンの教えに満足できずニガンタ派の教義からジャイナ教を確立し、以来「マハーヴィーラ」(偉大な勇者)の尊称でも知られています。また、ナータ族の出身であることからナータプッタ(ナータ族の子)と呼ばれました。ニガンタ・ナータプッタは、相対主義、苦行主義、要素実在説者で、霊魂は永遠不滅の...
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ナーラカ

ナーラカは『スッタニパータ【第3 大いなる章】11、ナーラカ』内に登場するアシタ仙の甥にしてお釈迦様の弟子です。<< 戻る
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学生ナンダ

学生ナンダは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】8、学生ナンダの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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難沮仏(なんそぶつ)

難沮仏とは、襲い難き者という意味の北方の現在仏です。梵語では duspradharsa(ドゥシプラダルシャ)といいます。また、難沮如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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宿王仏(しゅくおうぶつ)

宿王仏とは、星たちの王という意味の上方の現在仏です。梵語では naksatraraja(ナクシャトラ・ラージャ)といいます。また、宿王如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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中島啓江(なかじまけいこ)

女性オペラ歌手。鹿児島県肝属郡南大隅町佐多出身。本名同じ。最終所属はピュアハーツ/太田プロダクション(業務提携)。昭和音楽短期大学声楽科卒業。ディプロマコース・オペラ専攻科修了。1979年に藤原歌劇団に入団し、『修道女アンジェリカ』でオペラ歌手としてデビュー。1985年に『マック・ザ・ナイフ』でミュージカル初出演。翌1986年に『天高くオペラ肥ゆる秋』で初ソロコンサートを行った。生誕 1957年11月15日命日 2014年11月23日<< 戻る
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納谷六朗(なやろくろう)

声優、俳優、ナレーター、演出家。東京府東京市出身。本名は納屋 六朗。血液型はB型。最終所属はマウスプロモーション。「クレヨンしんちゃん」の園長先生役、「聖闘士星矢」の水瓶座のカミュ役、「幽☆遊☆白書」の仙水忍役、さらに海外ドラマや洋画の吹き替えなどでも活躍した。生誕 1932年10月20日命日 2014年11月17日<< 戻る
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納谷悟朗(なやごろう)

俳優、声優、ナレーター、舞台演出家。テアトル・エコーに所属していた。 北海道函館市出身。代表作に『ルパン三世』シリーズの銭形警部役。生誕 1929年11月17日命日 2013年3月5日<< 戻る
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十八代目 中村 勘三郎(なかむらかんざぶろう)

歌舞伎役者、俳優。生誕 1955年(昭和30年)5月30日命日 2012年(平成24年)12月5日演暢院釈明鏡大居士<< 戻る
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梨元勝(なしもとまさる)

芸能リポーター、タレント。株式会社オフィス梨元(東京都渋谷区代々木上原)代表取締役社長、函館大学商学部客員教授などを歴任した。生誕 1944年12月1日命日 2010年8月21日泰篤院釋勝陽<< 戻る
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成川哲夫(なりかわてつお)

、 - )は、日本の元俳優。国際空手道連盟玄制流成道会前会長(創師)。本名同じ。別名伍代 勝也、伍代 達弘。妻は元女優で、成道会会長の成川昭子(旧姓:関口)。葬儀は東京都狛江市元和泉の泉龍寺別院で行われた。生誕 1944年4月15日命日 2010年1月1日<< 戻る
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中内功(なかうちいさお)

実業家。ダイエー創業者。 戦後の日本におけるスーパーマーケット の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させ、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。生誕 1922年8月2日命日 2005年9月19日<< 戻る
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名古屋章(なごやあきら)

俳優、声優、ナレーター。本名同じ。東京府東京市麹町区九段出身。身長170cm、体重78kg。旧制九段中学卒業。 NHK東京放送劇団、文学座、劇団雲を経て、1975年以降はフリー。1950年代から半世紀に渡り、数多くの舞台、映画、ドラマ、ラジオに出演、ナレーターとしても活躍した。生誕 1930年〈昭和5年〉12月8日命日 2003年〈平成15年〉)6月24日精進院輝誉章山居士<< 戻る
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中村元(なかむらはじめ)

インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。サンスクリット語・パーリ語に精通し、初期仏教の仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことでも知られた。その例として、サンスクリットのニルヴァーナ(Nirvāṇa)およびパーリ語のニッバーナ(Nibbāna)を「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したことがあげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。国際的な仏教学...
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ブッダ最後の旅【 第2章 】6、ナーディカ村にて

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中島治康(なかじまはるやす)

長野県松本市出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。 愛称は班長。 日本プロ野球史上初の三冠王達成者。NPB初のベストナイン(外野手部門)も受賞している。生誕 1909年6月28日命日 1987年4月21日<< 戻る
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夏目雅子(なつめまさこ)

女優。其田事務所などに所属していた。日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』のオーディションで486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビューした。1978年、『西遊記』で三蔵法師役を演じて人気を得る。生誕 1957年(昭和32年)12月17日命日 1985年(昭和60年)9月11日芳蓮院妙優日雅大姉<< 戻る
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中山晋平(なかやましんぺい)

作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1...
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中島敦(なかじまあつし)

小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。生誕 1909年(明治42年)5月5日命日 1942年(昭和17年)12月4日<< 戻る
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夏目漱石(なつめそうせき)

小説家、評論家、英文学者、俳人。本名は夏目金之助。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍した近代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。生誕 1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉命日 1916年〈大正5年〉12月9日文献院古道漱石居士<< 戻る
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永倉新八(ながくらしんぱち)

幕末の武士(松前藩士、新選組隊士)。本姓は長倉、諱は載之(のりゆき)。幼名は栄吉、栄治。 松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。生誕 天保10年4月11日(1839年5月23日)命日 大正4年(1915年)1月5日釈義潤憲徳院義衛良行居士<< 戻る
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中江兆民(なかえちょうみん)

思想家、ジャーナリスト、政治家。自由民権運動の理論的指導者であり、第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人。フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介したことから東洋のルソーと評される。 「兆民」は本名ではなく号であり、「億兆の民」の意味。生誕 弘化4年11月1日(1847年12月8日)命日 明治34年(1901年)12月13日<< 戻る
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ジョン万次郎(ジョンまんじろう)- 中浜万次郎

江戸時代末期から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マンという愛称でも呼ばれた。土佐国出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎を名乗った。天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝の宇佐浦(現・土佐市宇佐町)、14歳になっていた万次郎は、足摺岬沖での鯵鯖漁に出航する漁船に炊係(炊事と雑事を行う係)として乗り込んだ。仲間の構成は、船頭の筆之丞(38歳。のちにハワイで「伝蔵」と改名)を筆頭に、筆之丞の弟で漁撈係の重助(25歳)、同じく筆之丞の弟で櫓係を務める五右衛門(16歳)と、もうひとりの櫓係の寅右衛門(26歳)、そして炊係の万次郎(14歳)であった...
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中岡慎太郎(なかおかしんたろう)

志士。陸援隊隊長。名は道正。通称ははじめ福太郎、光次、のち慎太郎。号は遠山・迂山など。変名は石川清之助など。坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋に尽力するも近江屋事件で横死した。生誕 天保9年4月13日(1838年5月6日)命日 慶応3年11月17日(1867年12月12日)<< 戻る
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長野主膳(ながのしゅぜん)

江戸時代末期の国学者で、大老・井伊直弼の家臣。通称は初め主馬、のち主膳。諱は義言。桃之舎と号した。伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐の弟で、先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。歴史に登場するのは天保10年(1839年)、滝野村の滝野次郎左衛門宅に寓居したときからである。天保12年(1841年)、次郎左衛門の妹で6歳年上の瀧女(たきめ、多紀とも)と結婚し、夫婦は京都、伊勢、美濃、尾張、三河を遊歴した。同年12月に近江国坂田郡の市場村にしばらくいたが、翌年には伊吹山麓にある志賀谷村の阿原忠之進宅に寓居する。...
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ナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルトまたはナポレオンはフランス革命期の軍人・皇帝・革命家。即位してナポレオン1世に成りフランス第一帝政の皇帝を務める。 フランス革命後の混乱を収拾し、軍事独裁政権を樹立した。生誕 1769年8月15日命日 1821年5月5日<< 戻る
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鍋島直茂(なべしまなおしげ)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。生誕 天文7年3月13日(1538年4月12日)命日 元和4年6月3日(1618年7月24日)高伝寺殿日峯宗智大居士<< 戻る
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南禅寺派(本山南禅寺(京都))の開派

正応4(1291)年、無関普門禅師により始まる。臨済宗南禅寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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『典座教訓』5、菜っ葉も伽藍も上下なし

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『正法眼蔵随聞記』68、某甲老母現在せり

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