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初転法輪(しょてんぼうりん)

初転法輪とは、仏(ブッダ)が成道後、はじめて教えを説いた時のことをいいます。その場所は、インドのバラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置するサールナートの鹿野苑で、その教えを聞いたのは五比丘だと伝え ...

方丈(ほうじょう)

2000/04/03   -仏教を本気で学ぶ
 

方丈とは、もともと1丈4方の建物という意味で、禅宗寺院における住職/住持の居室、あるいは住職その人のことをこう呼びます。住職は方丈にて修行者を教えることから、単なる私室ではなく重要な伽藍の1つとなって ...

ブッダ最後の旅【 第4章 】15、ボーガ市における四大教示

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仏陀(ブッダ)

仏陀(ブッダ)とは、Buddha の音写で、悟った人という意味です。歴史的には、実在したお釈迦様のことを意味します。仏、ぶつ、ほとけ、とも呼ばれる他、如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世 ...

発菩提心(ほつぼだいしん)

1998/10/30   -仏教を本気で学ぶ
 

発菩提心とは、仏道に入り、悟りの智慧を得ようとする志を起こすこと、求道の念を起こすこと、菩提心を起こすこと、仏になろうとする心を起こすことです。発心と同じように使われます。(正法眼蔵の中では発心と発菩 ...

煩悩(ぼんのう)

1998/03/01   -仏教を本気で学ぶ
 

  煩悩とは、迷い苦しむ原因となる欲望のことで、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心のことを指します。悪い心の働き、身心をわずらわし、悩ます精神作用のことです。 煩悩の捉え方は時代や宗派によっ ...

発心(ほっしん)

1998/01/30   -仏教を本気で学ぶ
 

発心とは、仏道に入り、悟りの智慧を得ようとする志を起こすこと、求道の念を起こすこと、菩提心を起こすこと、仏になろうとする心を起こすことです。発菩提心と同じように使われます。 ・「発心は一発にしてさらに ...

本田宗一郎(ほんだそういちろう)

  実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。 高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」へ入社。30歳にして、東海精機重工業株式会社の社長に就任。豊田自動 ...

穂積驚(ほづみみはる)

  長崎県出身の小説家。1936年に「下駄っ八仁義」でデビューした。文芸雑誌「大衆文藝」に連載された『勝鳥』は第5回新鷹会賞と第36回直木賞を受賞した。 生誕 1912年10月13日 命日  ...

本多光太郎(ほんだこうたろう)

  物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者 ...

法輪(ほうりん)

法輪とは、仏教を信じることによって自らの煩悩が打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つである古代インドの投擲武器である輪(チャクラム)にたとえた表現です。また、古代インドで輪は統治権の象徴とみな ...

本多利明(ほんだとしあき)

  江戸時代の数学者、経世家(経済思想家)。幼名は長五郎、通称は三郎右衛門。号は北夷、魯鈍斎。 18歳で江戸に出て、千葉歳胤に天文学を、今井兼庭に関流和算などを学ぶ。諸国の物産を調査し、17 ...

保科正之(ほしなまさゆき)

  江戸時代前期の大名。会津松平家初代。信濃国高遠藩主、出羽国山形藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主。江戸幕府初代将軍徳川家康の孫にあたる。3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍・家綱を ...

細川忠興(ほそかわただおき)

  戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子。室町幕府15代将軍 ...

本多正純(ほんだまさずみ)

  安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府の老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の長男で、正信系本多家宗家2代。 徳川家康の側近であったが、 ...

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

  江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。通称は次郎三郎。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。 生誕 永禄元年(1558年) 命日 寛永14年2月3日( ...

本多忠勝(ほんだただかつ)

  戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎。 徳川四天王・徳川十六神将・徳川三 ...

細川幽斎(ほそかわ/藤孝/ふじたか)

  戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、歌人。幼名は万吉。元服して藤孝を名乗る。雅号は幽斎。法名を玄旨という。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力 ...

北条氏直(ほうじょううじなお)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第5代当主である。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、 ...

北条氏康(ほうじょううじやす)

  戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残す ...

北条早雲(ほうじょうそううん)

  北条早雲こと伊勢宗瑞は、室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒とし ...

細川勝元(ほそかわかつもと)

  室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府16・18・21代管領。土佐国・讃岐国・丹波国・摂津国・伊予国守護。細川京兆家11代当主。応仁の乱の東軍総大将として知られている。 生誕 永享2年( ...

細川頼之(ほそかわよりゆき)

  南北朝時代から室町時代初期にかけての守護大名、室町幕府管領。官位は従四位下、始め武蔵守、相模守。細川氏の祖義季から直系で数えて6代目に当たる。 観応の擾乱では将軍(足利尊氏)方に属し、四 ...

方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派

南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

法明上人による融通念仏復興

元亨元年(1321) 11月15日夜、深江の草庵で法明上人の前に石清水八幡大士が来現して、「永らく融通念仏の法燈を伝授する器を待っていたが、あなたこそその人材である」と告げ融通念仏の口伝を授与し、その ...

北条貞時(ほうじょうさだとき)

  鎌倉時代後期の北条氏一門の武将。北条氏得宗家当主、鎌倉幕府第9代執権(在職:弘安7年(1284年) - 正安3年(1301年))。 第8代執権・北条時宗の嫡男。母は安達義景の娘・堀内殿( ...

「正法眼蔵」発菩提心(ほつぼだいしん)

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「正法眼蔵」鉢盂(ほう)

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「正法眼蔵」発菩提心(ほつぼだいしん)

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「正法眼蔵」法性(ほっしょう)

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「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)

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「正法眼蔵」法華転法華(ほっけてんほっけ)

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