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初転法輪(しょてんぼうりん)

初転法輪とは、仏(ブッダ)が成道後、はじめて教えを説いた時のことをいいます。その場所は、インドのバラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置するサールナートの鹿野苑で、その教えを聞いたのは五比丘だと伝えられています。また、仏が説法することを転法輪といいます。ブッダはブッダガヤでの成道後、最初に法を説く相手として、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)で共に6年間の修行を行なった五比丘のいる鹿野苑を訪れました。当初、五比丘は、修行を捨てたブッダが遠くから来るのを見て、軽蔑の念をも抱き歓迎を拒みましたが、ブッダの堂々とした姿を見て畏敬の念を抱いたことから、自然と座に迎えたといわれます。ブッダ自らが阿羅漢で...
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方丈(ほうじょう)

方丈とは、もともと1丈4方の建物という意味で、禅宗寺院における住職/住持の居室、あるいは住職その人のことをこう呼びます。住職は方丈にて修行者を教えることから、単なる私室ではなく重要な伽藍の1つとなっています。正堂(しょうどう)、堂頭(どうちょう)、函丈(かんじょう)などともいいます。※1丈は約3メートル。方丈は、維摩経の主人公である維摩居士の住んでいた家がモデルとも伝わっています。昔インドで在家ながら仏教を深く信じていた維摩居士は、文殊菩薩をはじめとする8000人の菩薩や500人の声聞たちを、神通力をもって1丈4方の小室に招き入れたという故事によります。(『維摩経』「不思議品」)・「住持人は方...
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ブッダ最後の旅【 第4章 】15、ボーガ市における四大教示

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仏陀(ブッダ)

仏陀(ブッダ)とは、Buddha の音写で、悟った人という意味です。歴史的には、実在したお釈迦様のことを意味します。仏、ぶつ、ほとけ、とも呼ばれる他、如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊という呼び名もあります。また、仏教でいう過去七仏だけではなく、ブッダという存在および呼称は、仏教の成立以前からインドでは使われていました。お釈迦様のいた時代の原始仏教では、ブッダは「目覚めた人」を指す普通名詞として使われ、お釈迦様だけを指す固有名詞ではなかったようです。梵語(サンスクリット語) Buddha ブッダ巴語(パーリ語) Buddha ブッダ<< 戻...
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発菩提心(ほつぼだいしん)

発菩提心とは、仏道に入り、悟りの智慧を得ようとする志を起こすこと、求道の念を起こすこと、菩提心を起こすこと、仏になろうとする心を起こすことです。発心と同じように使われます。(正法眼蔵の中では発心と発菩提心は区別して使われているようです。)・「かくのごとくして、我が心にあらず、業にひかれて流転生死すること、一刹那もとどまらざるなり。かくのごとく流転生死する身心をもて、たちまちに自未得度先度他の菩提心をおこすべきなり。たとひ発菩提心のみちに身心ををしむとも、生老病死して、つひに我有なるべからず。」(「正法眼蔵」発菩提心)<< 戻る
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煩悩(ぼんのう)

煩悩とは、迷い苦しむ原因となる欲望のことで、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心のことを指します。悪い心の働き、身心をわずらわし、悩ます精神作用のことです。煩悩の捉え方は時代や宗派によって違いがあるものの、煩悩の根本には、人間の諸悪・苦しみの根源とされている貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒があると考えられています。つまり、むさぼり(貪)、いかり(瞋)、おろかさ(癡)のことです。そこから細かく分析していくと無限にあると考えられることから、俗に煩悩は108あるといわれます。108という数字には「たくさん」という意味もあります。除夜の鐘を108回叩くのは108の煩悩を滅するためといわれます。「貪欲、...
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発心(ほっしん)

発心とは、仏道に入り、悟りの智慧を得ようとする志を起こすこと、求道の念を起こすこと、菩提心を起こすこと、仏になろうとする心を起こすことです。発菩提心と同じように使われます。・「発心は一発にしてさらに発心せず、修行は無量なり、証果は一証なりとのみきくは、仏法をきくにあらず、仏法をしれるにあらず、仏法にあふにあらず。」(「正法眼蔵」発菩提心)・「我らが身心は、まことに三世の諸仏とおなじくおこなひける道理あり、発心しける道理もありぬべくみゆるなり。この身心のさき、のちをかへりみてらせば、尋ぬべき人の我にあらず、人にあらざらんには、なにをとどこほる処としてか、三世にはへだたれりとおもはん。」(「正法眼...
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本田宗一郎(ほんだそういちろう)

実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」へ入社。30歳にして、東海精機重工業株式会社の社長に就任。豊田自動織機に経営の主導権を握られ、専務に退き、その3年後には退任。1946年、本田技術研究所を設立。1957年、東京証券取引所一部上場へ。翌年、人気シリーズ、スーパーカブの発売。世界で初めて、時速200kmを超えるバイクを開発。1980年代後半、F1でマクラーレン・ホンダの快進撃、1988年は16戦中15勝。生誕 1906年(明治39年)11月17日命日 1991年(平成3年)8月5日<< 戻る
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穂積驚(ほづみみはる)

長崎県出身の小説家。1936年に「下駄っ八仁義」でデビューした。文芸雑誌「大衆文藝」に連載された『勝鳥』は第5回新鷹会賞と第36回直木賞を受賞した。生誕 1912年10月13日命日 1980年1月19日<< 戻る
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本多光太郎(ほんだこうたろう)

物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。生誕 1870年3月24日(明治3年2月23日)命日 1954年(昭和29年)2月12日<< 戻る
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法輪(ほうりん)

法輪とは、仏教を信じることによって自らの煩悩が打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つである古代インドの投擲武器である輪(チャクラム)にたとえた表現です。また、古代インドで輪は統治権の象徴とみなされていました。・師(ブッダ)は答えた、「セーラよ。わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。真理によって輪をまわすのです。誰も反転しえない輪を。」(スッタニパータ 554偈)・「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の真理の輪(法輪)を、サーリプッタがまわす。彼は全き人に続いて出現した人です。」(スッタニパータ 557偈)仏教のシンボルの1つである法輪は、昭和25(1950)年にスリラ...
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本多利明(ほんだとしあき)

江戸時代の数学者、経世家(経済思想家)。幼名は長五郎、通称は三郎右衛門。号は北夷、魯鈍斎。18歳で江戸に出て、千葉歳胤に天文学を、今井兼庭に関流和算などを学ぶ。諸国の物産を調査し、1766年(明和2年)24歳の時、江戸に算学・天文の私塾を開き、以後晩年にいたるまで、浪人として門弟の教育に当たると共に著述に専心した。一時は加賀藩の前田家に出仕する。1781年(天明元年)39歳の頃から北方問題へ関心を強め、危機意識を持った。1787年(天明7年)奥羽地方を旅し、天明の大飢饉に苦しむ会津藩・仙台藩などの農村の悲惨さを目のあたりにした。これらが主な動機となって、彼の関心は経世論に向かった。1789年(...
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保科正之(ほしなまさゆき)

江戸時代前期の大名。会津松平家初代。信濃国高遠藩主、出羽国山形藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主。江戸幕府初代将軍徳川家康の孫にあたる。3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍・家綱を輔佐し、幕閣に重きをなした。日本史上、屈指の名君との呼び声も高い。将軍の「ご落胤」でもある。生誕 慶長16年5月7日(1611年6月17日)命日 寛文12年12月18日(1673年2月4日)<< 戻る
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細川忠興(ほそかわただおき)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子。室町幕府15代将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人の細川 三斎(ほそかわ さんさい)としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。生誕 永禄6年11月13日(1563年11月28日)命日 正保2年12月2日(1646...
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本多正純(ほんだまさずみ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府の老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の長男で、正信系本多家宗家2代。 徳川家康の側近であったが、徳川秀忠の代に失脚した。生誕 永禄8年(1565年)命日 寛永14年3月10日(1637年4月5日)慧光院殿鐵顔宗智大居士<< 戻る
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本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)

江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。通称は次郎三郎。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。生誕 永禄元年(1558年)命日 寛永14年2月3日(1637年2月27日)<< 戻る
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本多忠勝(ほんだただかつ)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎。 徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。生誕 天文17年2月8日(1548年3月17日)命日 慶長15年10月18日(1610年12月3日)西岸寺殿前中書長誉良信大居士<< 戻る
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細川幽斎(ほそかわ/藤孝/ふじたか)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、歌人。幼名は万吉。元服して藤孝を名乗る。雅号は幽斎。法名を玄旨という。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍・足利義昭の擁立に尽力した。後に義昭が信長に敵対して京都を逐われると、信長に従って名字を長岡に改め、丹後国宮津11万石の大名となった。本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲ったが、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。生誕 天文3年4月22日...
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北条氏直(ほうじょううじなお)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第5代当主である。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。生誕 永禄5年(1562年)命日 天正19年11月4日(1591年12月19日)松巌院太円宗徹<< 戻る
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北条氏康(ほうじょううじやす)

戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。生誕 永正12年(1515年)命日 元亀2年10月3日(1571年10月21日)大聖寺殿東陽宗岱大居士<< 戻る
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北条早雲(ほうじょうそううん)

北条早雲こと伊勢宗瑞は、室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。伊勢姓から改称して北条姓を称したのは早雲の死後、嫡男・氏綱の代からであり、早雲自身は北条早雲と名乗ったことはなく伊勢新九郎や伊勢宗瑞などであったが、一般に北条早雲の名で知られている。一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきた。しかし、近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流である。早雲は伊勢盛定と京都伊勢氏当...
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細川勝元(ほそかわかつもと)

室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府16・18・21代管領。土佐国・讃岐国・丹波国・摂津国・伊予国守護。細川京兆家11代当主。応仁の乱の東軍総大将として知られている。生誕 永享2年(1430年)命日 文明5年5月11日(1473年6月6日)龍安寺殿宗寶仁榮大居士<< 戻る
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細川頼之(ほそかわよりゆき)

南北朝時代から室町時代初期にかけての守護大名、室町幕府管領。官位は従四位下、始め武蔵守、相模守。細川氏の祖義季から直系で数えて6代目に当たる。 観応の擾乱では将軍(足利尊氏)方に属し、四国に下向して阿波・讃岐・伊予などの南朝方と戦った。生誕 元徳元年(1329年)命日 元中9年/明徳3年3月2日(1392年3月25日)永泰院殿桂巌常久大居士<< 戻る
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方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派

南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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法明上人による融通念仏復興

元亨元年(1321) 11月15日夜、深江の草庵で法明上人の前に石清水八幡大士が来現して、「永らく融通念仏の法燈を伝授する器を待っていたが、あなたこそその人材である」と告げ融通念仏の口伝を授与し、その上、良鎮上人以来男山の社殿に預かっていた霊宝の全てを返還する旨を伝えます。八幡大士の神勅は同社の社人にも及び、融通念仏の霊宝の授受が茄子作(枚方市)の里で行われます。ここは八幡宮の社人と法明上人の一行とが霊宝の授受を行うために出向いて遇々出会った所であったのです。その時の両者の感激ぶりは本尊「十一尊天得如来」を傍らの松の木に掛け、その周りを念仏を唱えながら踊りだしたという故事にもよく表れています。...
人物

北条貞時(ほうじょうさだとき)

鎌倉時代後期の北条氏一門の武将。北条氏得宗家当主、鎌倉幕府第9代執権(在職:弘安7年(1284年) - 正安3年(1301年))。 第8代執権・北条時宗の嫡男。母は安達義景の娘・堀内殿(覚山尼)。生誕 文永8年12月12日(1272年1月14日)命日 応長元年10月26日(1311年12月6日)最勝園寺殿覚賢<< 戻る
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「正法眼蔵」発菩提心(ほつぼだいしん)

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「正法眼蔵」鉢盂(ほう)

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「正法眼蔵」発菩提心(ほつぼだいしん)

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「正法眼蔵」法性(ほっしょう)

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「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)

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「正法眼蔵」法華転法華(ほっけてんほっけ)

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