仏教を本気で学ぶ

身・口・意の三業(さんごう)

食べる、寝る、座る、立つ、歩く、走る。身体で表すどんな動きも自分以外のものに影響を与えています。また、自分以外のものや環境から影響を受けて自分の身体が動いています。言葉で表すどんなことも正しく伝わっているか、伝えたつもりになっていないか注意します。言葉は何かを仮に表したもので、完全なものではありません。心に表れるどんな想い・考えも偏っていないか、その想い・考えに囚われていないか注意します。心に表れたことに囚われると、言葉になり、身体の動きになります。そのような行為のことを業(ごう)といいます。これらの、身体(身)、言葉(口)、心(意)を三業といいます。例えば、地震や大雨などの災害支援ボランティ...
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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クシナガラについて

インド北部のヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれた場所にガンガーの流れる広大なヒンドゥスタン平原があり、そこにウッタル・プラデーシュ州(UP州)があります。この州はインド最大の人口を持ち、古くから農村地帯が広がり、稲作と畑作の混合地が多く、サトウキビや小麦などが作られてきた地域です。そんな農村地帯にクシナガラという町があります。(はじめの写真は2000年2月15日・涅槃の日に撮影)私がその場所に初めて行ったのが2000年2月でした。インドは年中暑いところだと思っていたので、意外と朝晩が寒くて驚いたのを憶えています。その後、この場所を何度も訪れることになるとは思ってもいないことでした。クシナガラへは...
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供養之証(くようのしょう)

供養之証とは、告別、満中陰四十九日忌、百箇日忌、一周忌などの年回忌法要を、伝統仏教のお坊さんが依頼者不参加型で実施した供養の証書です。伝統仏教のお坊さんが読経・回向で戒名などを読み上げた後にお渡しします。法要内容【告別、初七日、2七日、3七日、4七日、5七日、6七日、満中陰四十九日忌、百箇日忌、1周忌、3回忌、7回忌、13、17、23、27、33、50回忌、お彼岸、お盆、月命日、水子供養、追善供養】など。無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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紅蓮地獄(ぐれんじごく)

紅蓮地獄とは、この地獄の生きものは、寒苦のために肉がさけて血が流れ、その様は紅蓮のようであることからその名がついている。仏教最古のテキスト「スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ」にもその内容が詳しく出てきます。後のアビダルマ教義学の体系では八寒地獄の内の第七とされました。<< 戻る
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庫院(くいん)

仏教寺院において、食料を置き、食事を調理するところを庫院といいます。庫裏・庫裡・庫堂・香積台・香積局・厨庫・庫下とも呼ばれます。庫院は食料に関することの他に、生活に関する居住施設や寺院の受付施設など総合施設になっていることも多くあります。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、守護神として韋駄天が祀られていることがあります。(庫院 總持寺香積台)・「次に諸の知事、庫堂に在って商量すらく、明日甚んの味を喫し、甚んの菜を喫し、甚んの粥等を設くと。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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鳩槃荼(くばんだ)

鳩槃荼とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、厭魅鬼・厭眉鬼(えんみき)とも呼ばれ、甕形(かめけい)という訳名があります。インド神話においてはクンバーンダという魔神でした。人の睡眠を妨げて災難を引き起こすとされます。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。南方を守護する増長天の眷属です。<< 戻る
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苦(く)

仏教で言うところの「苦」は、思い通りにならないということです。現世では生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるという真理を説いたものです。「一切皆苦」「四苦八苦」「苦集滅道」という言葉にも「苦」が入っていますが、同じ意味で使われています。この「苦」は他の仏教経典と同じく中国において「苦」と漢訳されたわけですが、もともとのインドではパーリ語でドゥッカ(dukkha)、サンスクリット語でドゥフカ(duḥkha)という言葉でした。思い通りにならない、空しい、不満、不安定、苦しい、という意味がありました。現代よく使う”苦”は、何かを食べて苦いとか、堪え難い...
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愚痴(ぐち)

愚痴とは、言ってもしかたのないような不平不満を言って嘆くことです。もともとの意味は、仏の智恵に暗いこと、物事の真実を知らないこと、智恵や真実を知ろうとしないことを愚痴といいます。愚痴は、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三つの煩悩である三毒の一つです。愚痴は、インドの古語・サンスクリット語の「moha(モーハ)」が語源だとされています。モーハは、中国語に翻訳された時に、愚痴、莫訶、馬鹿などに訳されました。ですので、馬鹿という言葉も、愚痴と同じ語源です。仏教では、もっと根源的な人間の「愚かさ」を表す概念として使われています。現代の用法は少し意味が変わってきているようですが、「くどくどと愚痴を言う」「...
人物

摩訶倶絺羅(まかくちら)

摩訶倶絺羅はお釈迦様の弟子で問答第一と称されています。他の音写には拘絺羅、倶祉羅があり、意訳して長爪梵士、長爪婆羅門などとも呼ばれます。<< 戻る
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功徳(くどく)

功徳とは、すぐれた徳性、よい性質、価値ある特性といった意味を持ちます。善を積んで得られるものとされています。福。福徳。善いこと。善い行い。善い行いの結果として報いられる果報。善を積み、また、修行の結果得られる恵み。・「月は、諸々の星の内で最上のものである。太陽は、輝くものの内で最上のものである。修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。」(スッタニパータ 569偈)・「すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみを渡り、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むに相応しいそのような人々、諸々のブッダまたその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることが出来...
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庫司(くす)

庫司とは、禅宗寺院で日常の金銭穀物などの出納を司る副寺を補佐する僧侶です。庫堂。・「明日なんの味を喫し、なんの菜を喫し、なんの粥等を設くと。『禅苑清規』に云く、「物料並に斎粥の味数を打するが如きは、ならびにまず庫司知事と商量せよ」と。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)・「庫司に隨って打得する所の物料は、多少を論ぜず、麁細を管せず、唯是れ精誠に弁備するのみ。」(『典座教訓』4、心を他のことに移さない)・「大衆礼拝をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座すなはち大衆を領して庫司にいたりて人事す。」(「正法眼蔵」安居)<< 戻る
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『伝光録』第十九祖。鳩摩羅多尊者。

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口伝(くでん)

口伝とは、言葉で伝えること、口づたえに伝授することです。特に、師が弟子に奥義などの秘密を口伝えに直接授けることをいいます。口訣(くけつ)。口授(くじゅ)。くちづたえ。ブッダ(お釈迦様)の生きた時代、その教えは暗誦によって伝えられ、その作法は口伝えに直接授けられていたいたので、人が暗誦をやめてしまったら、その教えは消えてしまうことになります。下記の「ダンマパダ」には、読誦しなければ聖典が汚れる(消える)という表現があります。なお、その教えを紙や樹葉に記録し、その聖典が読誦されるようになったのは西暦紀元後になってから一般に行われるようになったようです。・「読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家...
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空(くう)

空とは、膨れ上がって中がうつろであるという前提があり、転じて、無い、欠けたという意味を持ちます。また、インド数学では0(零)を指す言葉です。諸々の物事は因縁によって生じたものであって、固定的実体がないということです。つまり、固定的実体がないということを因果関係の側面からとらえた縁起と同様なことを意味します。空を「何も存在しないこと」と誤って理解してはいけません。また、三解脱門の1つに数えられます。梵語(サンスクリット語) śūnya シューニャ、 śūnyatā シューニャター巴語(パーリ語) suññatā スンニャター初期仏教・「諸々の生存状態の内に堅固なものを見いださない」(スッタニパー...
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功夫(くふう)

功夫とは、力を尽くすこと、努力することです。実践、勤労という意味もあります。工夫、公夫と書いても同じ意味で使われます。「功夫弁道」で、坐禅、修行に精進努力することです。同様に「功夫坐禅」とも使われています。・「専一に功夫せば、正に是れ弁道なり、修証自ら染汚せず、趣向更に是れ平常なるものなり。」(『普勧坐禅儀』)・「かの道得のなかに、むかしも修行し証究す、いまも功夫し弁道す。仏祖の仏祖を功夫して、仏祖の道得を弁肯するとき、この道得、おのづから三年、八年、三十年、四十年の功夫となりて、尽力道得するなり。」(「正法眼蔵」道得)<< 戻る
人物

黒澤明(くろさわあきら)

映画監督、脚本家。代表作に『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『蜘蛛巣城』、『用心棒』、『乱』など。生誕 1910年(明治43年)3月23日命日 1998年(平成10年)9月6日映明院殿紘國慈愛大居士<< 戻る
人物

公文公(くもんとおる)

数学教育者。「公文式」学習指導法の考案者。高知県出身。土佐中学校を経て1933年に高知高等学校を卒業。1936年、大阪帝国大学理学部数学科を第1期生として卒業。高知県立高知小津高等学校数学教師を退職後、1958年に大阪数学研究会(現・日本公文教育研究会)を設立。「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文公の長年の主張であった。公文式学習法が誕生した経緯や彼の考えは、『やってみよう-公文公自伝 子供の知的可能性を追求して』(くもん出版 1991年)という著書に詳しく書かれている。数学教育について、水道方式の遠山啓とは長年のライバル関係にあった。生誕 1914年...
人物

神代辰巳(くましろたつみ)

映画監督。佐賀県佐賀市出身。ロマンポルノやテレビドラマに多くの作品を残している。生誕 1927年4月24日命日 1995年2月24日神光院釋龍照<< 戻る
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鞍馬弘教の成立(鞍馬寺)

千二百余年前、鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せて祀りました。中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われています。後に天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・天台浄土が取り入れられました。鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の要素も含まれています。宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっています。 昭和22年、初代管長信楽香雲は、このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け、昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となりました。(歴史 鞍馬寺 より)<< 戻る
人物

黒田清輝(くろだせいき)

洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。 教え子からは「メートル」とフランス語で呼ばれた。 東京美術学校教授、帝国美術院院長、貴族院議員などを歴任した。生誕 1866年8月9日命日 1924年7月15日<< 戻る
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国木田独歩(くにきだどっぽ)

小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。生誕 1871年8月30日(明治4年7月15日)命日 1908年(明治41年)6月23日天真院独歩日哲居士<< 戻る
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黒田清隆(くろだきよたか)

武士、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。栄典は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。 薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年から明治2年の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。生誕 1840年11月9日〈天保11年10月16日〉命日 1900年〈明治33年〉8月23日<< 戻る
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久坂玄瑞(くさかげんずい)

幕末の長州藩士。幼名は秀三郎、諱は通武、通称は実甫、誠、義助。妻は吉田松陰の妹、文。長州藩における尊王攘夷派の中心人物。栄典は贈正四位。生誕 1840年(天保11年)5月命日 元治元年7月19日(1864年8月20日)<< 戻る
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熊沢蕃山(くまざわばんざん)

江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継、字は了介、通称は次郎八、後に助右衛門と改む、蕃山と号し、又息遊軒と号した。寛永19年(1642年)伊予国大洲藩を致仕し郷里の近江国小川村(現・滋賀県高島市)に帰郷していた中江藤樹の門下に入り陽明学を学ぶ。寛永18年(1641年)全国に先駆けて開校した藩校「花畠教場」を中心に活動した。正保4年(1647年)には側役、知行300石取りとなる。慶安2年(1649年)には光政に随行し江戸に出府する。慶安3年(1650年)鉄砲組番頭、知行3,000石の上士に累進。慶安4年(1651年)庶民教育の場となる「花園会」の会約を起草し、これが蕃山の致仕後の寛文10年(16...
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黒田長政(くろだながまさ)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前国福岡藩初代藩主。 戦国武将・黒田孝高の嫡男。九州平定、文禄・慶長の役で活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げたことから、徳川家康より筑前国名島に52万3千余石の封を受け、福岡藩を立藩し初代藩主となった。長政も父の孝高と同じくキリシタン大名であったが、棄教した。生誕 永禄11年12月3日(1568年12月21日)命日 元和9年8月4日(1623年8月29日)興雲院殿前大中大夫筑州都督古心道ト大居士<< 戻る
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楠木正成(くすのきまさしげ)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。 元弘の乱で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らと共に天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家と共に南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄...
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「正法眼蔵」供養諸仏(くようしょぶつ)

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「正法眼蔵」空華(くうげ)

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『正法眼蔵随聞記』76、愚癡なる人は

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空也(くうや)

空也とは、平安時代中期の僧侶。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人と称されます。口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者として、空也流の念仏勧進聖は鎌倉仏教の浄土信仰を醸成したとされています。空也自身は複数宗派と関わりを持つ超宗派的立場を保ち、没後も空也の法統を直接伝える宗派は組織されませんでした。踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれますが、空也自身がいわゆる踊念仏を修したという確証はないといわれています。門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となり、鎌倉時代の一遍に多大な影響を与えたといわれています。空也を現した彫像のうち、重要文化財として国が指定し...
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弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で、幼名を真魚(まお)といいました。延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤...