寺院の玄関を入ると脚下照顧(きゃっかしょうこ)と書かれた単牌が置かれているのを見かけます。「自分の足元を見なさい」という意味です。玄関に置いていますから、履き物を揃えましょうということを示しています。転じて「自分の行いを見なさい」という意味になります。
日本の家庭の多くは玄関で履物を脱ぎますね。それは日常の当たり前の行為です。しかし、その当たり前の行為を大切にし、より良い心に導く言葉が脚下照顧です。導くのは他の誰でもなく自分自身です。ポーンと脱ぎ飛ばした履物も誰かが直してくれるだろうと思っていてはいけないのです。自分で意識して履物を整えます。すると心も整うのです。行いと心は連動したものです。履物は脱ぎ飛ばしても心は美しいのだと言っても通用しないものなのです。
私が本山で修行中、年間1万人以上の参拝者が宿泊する寮舎を半年間担当していました。宿泊者以外にも参拝者は多く訪れるので大変だったのはトイレ清掃です。朝はトイレ清掃に始まり夜はトイレ清掃で終わります。残念なことに数ヶ所あるトイレの殆どは、スリッパも乱れ、トイレットペーパーの切れ端があちらこちらにありという状態でした。それを手で便座も床も新品のようにピカピカに磨き上げるには若干の時間はかかりましたが、次に使ってもらう人が気持ちよく用を足せるようになればいいなと思っていました。そんな一般参拝者用のトイレには次の詩が貼り出されていました。
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐ時にそろえておくと
はく時に心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の
人の心もそろうでしょう
この詩は曹洞宗の藤本幸邦老師という方が、子どもにも分かるように、そしてそれがいつも行動として身につくようにと考えた詩なのだと聞きました。玄関に立てかけている単牌やトイレに貼り出された詩は何も語りません。しかし、その意味するところを意識して理解できるのであれば、自然と履物を整えるようになるのではないでしょうか。
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