【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第二十八祖。菩提達磨尊者。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第二十八祖。菩提達磨尊者。因二十七祖般若多羅尊者問。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最大なる。師曰。法性最大。

【機縁】

師者刹利種也。本名菩提多羅。南印度。香至王第三子也。彼王崇重仏法度越倫等。有時以無價宝珠施般若多羅。王有三子。一月浄多羅。二功徳多羅。三名菩提多羅。尊者欲試太子智恵。以所の施宝珠を示三王子曰。能及此宝珠もの有や否や。第一第二皆云。此の珠は七宝の中の尊也。固に踰るものなし。尊者の道力に非んば。誰か能是を受ん。第三菩提多羅曰。此は是れ世宝也。未だ上とするに足らず。諸宝の中に於ては。法宝を上とす。此は是れ世光也。未だ上とするに足らず。諸光の中に於ては。智光を上也とす。此は是世明也。未だ上とするに足らず。諸明の中に於ては。心明を上也とす。此の珠の光明は自ら照すこと不能。必ず智光を借りて光弁於此。既に此を弁じ了ば。即是珠なる事を知る。既に此の珠を知れば。即その宝なることを明む。若その宝なることを明むれば。宝自ら宝に非す。若その珠を弁ずれば。珠自ら珠に非ず。珠自ら珠に非ざることは。必ず智珠を假りて世珠を弁ずれば也。宝自ら宝に非ざることは。必ず智宝を假りて法宝を明むれば也。師の道智宝なるゆへに。いま世宝を感ず。然則師有道其宝即現。衆生有道其宝即現。衆生有道心宝亦然なり。祖其の弁説を聞て。聖降なることを知り。定て法嗣なることを弁ずれども。時未到をもて。黙して混ぜしむ。即問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最高。師曰。人我最高。祖曰。於諸物中何物最大。師曰。法性最大也。如是問答して。師資心通ずといへども。しばらく機の純熟をまつ。後に父王崩御す。衆みな号絶するに。菩提多羅独り柩の前にして入定。七日をへて出づ。すなはち般若多羅の処にゆきて出家を求む。般若多羅時のいたることを知て出家受具せしむ。後に師般若多羅の室にして七日坐禅す。般若多羅広く坐禅の妙理を指説す。師ききて無上智を発す。すなはち般若多羅示曰。汝於諸法已得通量。夫れ達磨者通大之義也。宜名達磨。因改号菩提達磨。師出家伝法して。ひざまづきて問ていはく。われすでに得法す。まさに何れの国にいたりてか仏事をなすべき。時に般若多羅示曰。汝得法すといへども。しばらく南天にとどまりて。わが滅後六十七載を待て。まさに震旦にゆきて大器接すべし。師又曰。彼の土に大士の法器となるをうべしや。一千年の後又難おこることあるべしや。般若多羅示曰。彼の士に菩提をゑんものあげてかぞふべからず。小難ありておこることあらん。宜善自降。汝至時勿住南方。彼唯好有為功業不見仏理。即示偈曰。路行跨水復逢羊。独自栖栖暗渡江。日下可憐雙象馬。二株嫩桂久昌昌。林下見一人。まさに道果をうべし。又曰。震旦雖濶無別路。要假兒孫脚下行。金鶏解銜一粒粟。供養十方羅漢僧。受如是子細印記。執侍左右四十年。般若多羅入滅後。同学仏大先は般若多羅の印記を受て。祖と化を並べ。仏大勝多更分徒而為六宗。師六宗を教化して。名十方に仰き。六十余載に向んとするに。震旦縁熟するを知て。異見王のところにゆきて告て曰。三宝を敬重し。以て利益を繁興すべし。われ震旦の縁熟せり。事了なばすなはちかへるべし。異見王涕涙悲泣して曰。この国何の罪かある。彼の土何の祥かある。然れども震旦の事すでにはてなば。速にかへりたまふべし。父母の国を忘ることなかれ。王躬から送りて。直に至海堧。師汎重溟。三周をへて。南海にとつぐ。梁の大通元年丁未歳九月二十一日なり。或普通八年ともいふ。三月に改元す。これに因て最初梁武帝に相見す。云云。南みにとどまることなかれといふ是れなり。これによりてすでに魏にゆく。一葦をうかぶといふ。尋常人おもはく。一葦といふは一つのあしなりと。これによりて一枝の葦の葉のうへに。祖の身をのするは非なり。いはゆる一葦といふは。渡りの小船なり。あしにはあらず。其の形ちあしに似たり。復逢羊といふは梁の武帝なり。暗に渡江といふは楊州の江なり。如是して急に嵩山の少林寺にとつぐ。則少林寺の東廊に居す。人是を測ることなし。終日打坐す。因て壁観婆羅門といふ。すなはち喧しくとかず。やすくしめさずして九年をへたり。九年の後道副・道育・総持・恵可等。四人の門人に皮肉骨髄を付してより。その機已に熟せることを知りぬ。時に菩提流支・光統律師といふ二人の外道あり。師の道徳天下にしき。人悉く帰敬するを見て。そのいきどをりにたへず。すなはち石をなげて当門の牙齒を缺ぐのみにあらず。五度大毒をたてまつる。祖すなはちその毒薬を六度の時。盤石の上にをきしかば。すなはち石さけき。吾が化縁すでに尽きぬと。すなはちおもはく。吾先師の印記をうけて。神且赤縣にしておほきなる。氣象をみき。定て知りぬ。大乗の法器ありと。然れとも梁の武帝相見以来。機かなはず。人をえず。徒に冷坐せしに。独の大士神光を得て。わが所得の道悉く以て伝通す。事すでに弁し。縁すなはち尽きぬ。逝去すべしといひて端坐して逝す。葬熊耳峯。後に葱嶺にして宋雲にあひあふといふ説あれども。実には葬熊耳峯。これ正説なり。

【拈提】

夫れ達磨はまさに二十七祖の記によりて。震旦の初祖なり。その最初太子の時。宝珠を弁ぜし。因て尊者問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相なりと。実にそれたとひ空寂といふとも。実にこれ無相なるにはあらず。これによりていふ。不起無相なりと。然れば壁立万仭と会し。明明たる百草と会得して。物物他にあらず。ただをのれと住法位すと識得せん。すなはちこれ不起底にあらず。然れば無相にあらず。いまだ天地をも分たず。なにいはんや聖凡をも弁ぜんや。這箇の田地すべて一法のきざすべきなし。一塵のけがしうるあらず。然ればこれ本来ものなきにあらず。まさに虚廓霊明にして。惺惺として。くらからず。このところにものヽ比倫するなく。会て他の伴ひ来ることなき故に。最大にして最大なり。故曰大名不可思議。亦不可思議を名て法性といふ。たとひ無價の宝珠も比するにたへず。明白の心光もかたどるべからず。故に此は是れ世光なり。いまだ上とするにたらず。智光を上なりとすと。如是了別し来る。実にこれ天至の智恵の所説なりと雖ども。二度び七日坐禅の中にして。坐禅の妙旨を説聆て。無上道智を発しき。然れば知るべし。子細に弁得して恁麼の田地に精到し。まさに仏祖の所証あることをしり。先仏の已証を明め得て。すべからくこれ仏祖の兒孫なるべきこと。この尊者にをひて殊にその例証あり。すでに自然智恵のごとくなりといへども。重て無上道智を発しき。後なを未来際護持保任すべき用心を参徹し。四十年左右に給士し。委悉に究弁す。来記を忘れず。六十年をおくり。三周の寒暑を巨海の波濤にへき。終に不知の国に至りて。冷坐九年の中に大法器をゑて。はじめて如来の正法を弘通し。先師の洪恩を報じ。艱難はいづれよりも艱難なり。苦行はいづれよりも苦行なり。然るを近来諸の学人。時すでに澆薄にして。機もと昧劣なるに。なほゑやすからんことをねがふ。おそらくはかたのごとくのたぐひ。未得謂得の類。増上慢人退亦佳矣の輩たるべし。諸人者適来の因縁を子細に参徹して。いよいよ高き事を知り。心を碎き身を捨て。親切に弁道せば。諸仏の冥薫ありて。直に仏祖の所証にかなふことあらん。一智半解に足れりとおもふことなかれ。又卑語あり。要聞麼。

【頒古】

更無方所無辺表。豈有秋毫大者麼。

▶ 次に進む(大祖大師)

◀ 前に戻る(般若多羅尊者)

🏠 『伝光録』の最初に戻る

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

あなたに おすすめページ💡 戒名授与 1万円のみ(故人/生前/法名授与も)

<< 戻る

-仏教を本気で学ぶ
-,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.