チュンダの供養とは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子であるチュンダ(純陀)が、ブッダの説法を聞き、チュンダの屋敷で食事を振る舞ったが、それがブッダ最後の食事になりました。
・最後に食べた「スーカラ・マッダヴァ」という料理について、豚肉料理やキノコ料理など諸説あり、はっきりしていませんがスーカラは「豚」で、マッダヴァは「柔らかい」という意味なので、豚肉料理か、豚が地面に鼻をこすりつけながら探しだすトリュフのようなキノコ料理とも考えられています。
・古代インドでは、尊敬する人に敬意をしめす方法として、食事や香などを捧げる習慣を「供養」(プージャー)といいました。
『大般涅槃経』によると、ブッダがマッラ国のパーヴァー村に到着しマンゴー園で休んでいました。この果樹園の持ち主であるチュンダは、ブッダを家に招いてブッダの説法を聞き、そのお礼に翌日の食事に招待します。そして、チュンダは様々な料理を準備して供養しましたが、ブッダは、「スーカラ・マッダヴァ」という料理だけを食べ、他の料理は弟子たちに振る舞うようにと言いました。
しかし、それを食べたブッダは、血がほとばしり出て、激しい苦痛をともないましたが、その場では平静を装っていたといいます。これを知ったチュンダはブッダの体調が心配になって旅に同行します。しかし、パーヴァー村から7kmほど歩いた先のカクッター河の畔でブッダは倒れ伏してしまい、そこに一時的な床を作らせ、チュンダが後悔したり、誰かに非難されることを懸念して、弟子のアーナンダに次のように言いました。
チュンダの行いは悟りを得たときの供養(スジャータの乳粥)に匹敵するほどの功徳があり、誰もチュンダを非難してはならない。
チュンダの屋敷があった場所は、通称チュンダ村といい正しくはファジルナガル村と呼ばれ、屋敷跡にはチュンダ・ストゥーパが建てられていました。私も何度か行っているのですが、パーヴァー村があった場所を日本語や英語で間違って説明しているものが何点かあることを今回改めて調べている時に見つけたので気を付けてください。
(ブッダ最後の食事場所になったチュンダ屋敷跡・パーヴァー村(現在のファジルナガル村))※2020年10月時点のスクリーンショット↑
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