buddhism

仏教を本気で学ぶ

『教行信証』信巻09

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仏教を本気で学ぶ

『教行信証』信巻18

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仏教を本気で学ぶ

『教行信証』行巻12

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仏教を本気で学ぶ

『教行信証』信巻15

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仏教を本気で学ぶ

『教行信証』信巻13

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年表

北条政子、金剛三昧院に多宝塔を寄進

貞応二年(1223年)、北条政子が源頼朝のために、金剛三昧院に多宝塔(現存・国宝)を寄進する。<< 戻る
年表

道元禅師の嗣法

貞応2(1223)年、24歳のとき、道元禅師は明全和尚と共に博多から南宋(中国)に渡り諸山を巡ります。天童山にて天童如浄禅師(てんどうにょじょうぜんじ)とめぐりあいます。道元禅師は如浄禅師を生涯の師(本師)として仰ぎ、坐禅修行に励みます。ついには悟りの境地を認められ印可証明をうけ、お釈迦さまより脈々とつづく正伝の仏法を受け継がれました。(嗣法)<< 戻る
年表

日蓮聖人の誕生

貞応元(1222)年2月16日、日蓮聖人は安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市、旧・千葉県安房郡天津小湊町)の小湊で誕生しました。幼名は善日麿であったと伝えられています。<< 戻る
便り

東昌寺-神奈川県逗子市

・青龍山 東昌寺 高野山真言宗 神奈川県逗子市池子2-8-33東昌寺は、鎌倉時代に北条泰時により執権家歴代の菩提寺として鎌倉の西ケ谷(鎌倉市小町)に建立された東勝寺に由来すると伝えられています。東昌寺は、当時、青龍山東勝寺と呼ばれていました。一方、後に東昌寺の境内に移されることになった丈六阿弥陀如来を祀った阿弥陀堂が、承久2年(1221年)に池子の大上阿弥陀ヶ谷(おおがみあみだがや: 現在の県立逗子高校の奥)に建立されました。この阿弥陀堂は、源実朝の非業の死を弔うために母親の政子刀自(とじ: 年輩の女性を敬意を添えて呼ぶ語)が、仏師・運慶に依頼して丈六阿弥陀如来像を彫らせ祀ったと伝えられていま...
便り

神藏寺-京都府亀岡市

・朝日山神蔵寺 臨済宗妙心寺派 京都府亀岡市ひえ田野町佐伯岩谷ノ内院芝60朝日山神蔵寺は開創1221年の歴史のあるお寺で、別名:佐伯薬師として親しまれております。毎年、紅葉、桜の季節には、ライトアップして、境内いっぱいが鮮やかな色彩に包まれます。(リンク先より) << 戻る
年表

六波羅探題をおく

1221年、京都に六波羅探題をおく。→朝廷や西国の武士を監視。<< 戻る
年表

承久の乱

1221年、承久の乱。<< 戻る
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高松寺-広島県福山市

・高松寺 臨済宗佛通寺派 広島県福山市加茂町北山1603承久2年(1220年)現在地に宗海覺樹という人によって、高松院(こうしょういん)として建立されました。当時は天台宗であったと言われています。その後文安4年(1447年)臨済宗佛通寺派高松寺(こうしょうじ)となり、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
便り

成就院-神奈川県鎌倉市

・鎌倉 成就院 公式ホームページ 真言宗大覚寺派 神奈川県鎌倉市極楽寺1-1-5護摩修法が行われていたこの地に、鎌倉幕府<三代執権北条泰時>が<1219年>成就院を建立。 1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移ったが、1688年元禄元年江戸時代ににより元の地に再建され、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
年表

北条政子が政治の実権をにぎる

1219年、北条政子が政治の実権をにぎる。「尼将軍」<< 戻る
年表

源実朝が暗殺される

1219年、源実朝が暗殺され、源氏が3代で絶える。<< 戻る
年表

チンギス・ハンの西征

1219年、チンギス・ハンの西征(~1925)。<< 戻る
便り

金澤寺-埼玉県比企郡

・金澤寺 曹洞宗 埼玉県比企郡鳩山町泉井1376金澤寺(こんたくじ)の創建は、建保6年(1218年)僧正達によって開基創建されたと、武蔵國郡村誌に記されている。創建当時は天台宗の寺院で、ときがわ町慈光寺の末寺とされていた。その後衰微したが、禅宗曹洞宗、入間郡龍ケ谷村龍隠寺の16世、開山梅叟高和尚を招き、中興する。本尊には現在の御本尊でもある正觀音を安置した。(リンク先より) << 戻る
便り

総徳寺-栃木県那須郡

・昇覚院総徳寺 真言宗智山派 栃木県那須郡那珂川町大山田下郷1724真言宗智山派み属し、寶珠山 曻覺院 總徳寺という。本尊は不動明王を安置し鎌倉仏師運慶の作と伝えられる。1217 (健保5)年 光寶上人により開基。醍醐無量寿院の直末となる。八溝山周囲三県に渡り、末寺二十八ヶ寺を有す。江戸時代 水戸領となり、光圀公の時代寺社改革のため多数の寺が破却されるも存続を許される。(リンク先より) << 戻る
人物

鴨長明(かものちょうめい/ながあきら)

平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての日本の歌人・随筆家。俗名は同じだが「読み」がかも の ながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。法名は蓮胤。南大夫、菊大夫とも称される。建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つである。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前成立)、歌集として『鴨長明集』(養和元年(1181年))といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。生誕 久寿2年(1155年)命日 建保4年閏6月10日(1216年7月26日)<< 戻る
便り

乗光寺-島根県出雲市

・乗光寺 浄土真宗本願寺派 島根県出雲市大社町杵築東598第四十九世出雲国造孝房卿の子、北島経孝卿が、大社明神の夢告によって明光上人に帰依し、出家して建立されたのに始まります。後鳥羽上皇の建保4年(1216)のことであります。(リンク先より) << 戻る
人物

栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)

栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られます。字が明菴、諱が栄西で明庵栄西(みんなん ようさい)、「ようさい」よりも「えいさい」という読み方の方が浸透しているようですが、栄西の主著である「興禅護国論」(こうぜんごこくろん)の解説本中に「ようさい」との振り仮名が付けられていることから、正式にはこちらを使います。永治元(1141)年4月20日、備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳...
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浄運寺-長野県須坂市

・浄運寺 浄土宗 長野県須坂市井上2618浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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大願寺-福岡県遠賀郡

・大願寺 浄土宗 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿13-2法然上人(1133-1212)がお亡くなりになった2年後の建保2年(1214)に、法然上人の遺志を継がれた、聖光上人(しょうこう、浄土宗二祖)によって創建されました。当時は、領主であった麻生氏の菩提寺でもありました。(リンク先より) << 戻る
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信行寺-広島県尾道市

・信行寺 facebook 浄土宗 広島県尾道市東土堂町11-36信行寺は正式には得生山(とくしょうざん)(山号) 信行寺(寺号)といい、南無阿弥陀仏を一心に唱える 専修念仏の教えを広められた法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院である。歴史は古く鎌倉時代の建保2年(1214)に浄土宗第二祖の聖光上人が開創された寺である。もとは、聖光上人が京都と鎮西を往来の折り、向島の三ツ石に一草庵を結んで住まわれたのが始まりである。その後、慶長年中(1596-1614)に称住がこの草庵で四十八昼夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来のご来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、結集の中の一人は現世に残ってこ...
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親鸞聖人関東に赴く

親鸞聖人は三善為教(みよしためのり)の娘・恵信尼と結婚、男女6人の子女をもうけ、在俗のままで念仏の生活を営みました。建保2(1214)年、42歳の時、妻子と共に越後から関東に赴き、常陸の小島や稲田の草庵を中心として、多くの念仏者を育てました。<< 戻る
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道元禅師の出家得度

建保元(1213)年、比叡山にいる母方の叔父良顕を訪ね、建保2(1214)年、14歳の禅師は比叡山座主・公円僧正について剃髪出家得度し、仏法房道元と名乗ります。比叡山では天台教学を中心に学びましたが、経文にある「本来本法性 天然自性身」という文言に大きな疑問をいだきます。その解決のために園城寺(三井寺)の公胤僧正を訪ね、建保5(1217)年、そのすすめにより建仁寺へ向かい、栄西禅師の高弟である明全和尚に師事されます。<< 戻る
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雲昌寺-神奈川県藤沢市

・雲昌寺 曹洞宗 神奈川県藤沢市亀井野1457相摸國風土記稿によれば当山は、建保年間(1213年~1219年)に鎌倉幕府二代執権 北条義時が唐より帰朝後、藤沢今田村の地に建立した瑞龍寺を起源とします。 慶長元年(1596年)7月水害で罹災した後、鎌倉市植木の龍宝寺四世玖山宗順和尚を開山に迎え、現在地亀井野に移り寺号を曹洞宗光輝山雲昌寺と改めました。(リンク先より) << 戻る
人物

法然上人(ほうねんしょうにん)

建暦二年(1212)1月25日、法然上人80歳で示寂しました。「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の経文をとなえ、眠るように示寂されました。(法然上人の生涯についてはこちらの「 法然上人 」タグから確認出来ます)生誕 長承2(1133年)4月7日命日 建暦二年(1212)1月25日<< 戻る
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佛光寺-京都府京都市下京区

・本山佛光寺 真宗仏光寺派 京都府京都市下京区高倉通仏光寺下る新開町397越後流罪に遭われた親鸞聖人は、ご赦免の翌年建暦二年(1212)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれました。この草庵が佛光寺草創と伝えられています。当初、真宗開闢の根本道場を意味して、「興隆正法寺」と号しました。(リンク先より) << 戻る
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浄光寺-新潟県新潟市中央区

・浄光寺 浄土真宗本願寺派 新潟県新潟市中央区西堀通10-1618弘法大師創立の真言宗の放光院であった1212年、住職・印信の時、御流罪の親鸞聖人が一夜宿を請われる。法論の末、「浄土の教えが真言の教えよりも優れていれば、この竹杖より逆竹が生ず」と言い残すと、後日竹杖より逆竹が生じ、印信は常聞房法爾と、放光院を鳥屋野院と改名しお弟子となる。順徳天皇北狩の折ご来寺。住職・法爾の法話に感激して御念持仏を御寄進賜り、勅命を下し寺号を「金波山鳥屋野院浄光寺」と改名す。(リンク先より) << 戻る
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興正寺-京都府京都市下京区

・興正寺 真宗興正派 京都府京都市下京区堀川通七条上ル興正寺(こうしょうじ)は、親鸞聖人(1173~1262)を開祖とする真宗興正派の本山です。 興正寺の創建は鎌倉時代にさかのぼります。承元の法難(建永の法難)により越後国(新潟県)へと配流された親鸞聖人が、建暦元年(1211)に勅免をうけた後、翌建暦2年(1212)に京都へと一時帰洛して、山科の地に一宇を草創したことに始まります。興正寺という寺号は、順徳天皇(1197~1242)によって名づけられたと伝えられ、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興し、さかえさす」(正法を興隆する)との願いが込められています。(リンク先より)...