・眼目山 立山寺(りゅうせんじ) 曹洞宗 富山県中新川郡上市町眼目15
当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第二祖峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺である。禅師は肥前の出身。美濃の今須に妙応寺を建て、摂津に護国寺を建て、ついで越中に遊化し立山に詣で、その風景を愛し紫雲を見ながら座禅をしていると、そこに禅師の名僧ほまれ高きを慕い、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘(今の櫛形山9を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師を懇請した。立山権現は禅師と石上に対坐すること7日間、禅要戒法を聞いて、帰依し寺院の建立を約束した。
その夜、大豪雨となり上市川に数千の大木が流れつき、翌日より18名の大工(伽藍守護の18神将)が集まってきて、七堂伽藍の精舎が落成し眼目山立山寺と号した。立山や立山信仰との関係が深い。よって、全国でもめずらしい、開創は山神と竜神の神霊による開基の寺であり、立山権現と北海大龍女を開基としている。その後、堀江城主の土肥氏の庇護を受け、発展したが、上杉氏の越中進攻に際して伽藍を焼失。天正年間末に復興。(リンク先より)
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