応永十四年(1407年)5月3日、二者対立して論議の勝敗をあらそう竪精論議始まる。
竪精(りっせい)とは、高野山の僧侶が履修する「学道」と呼ばれる真言教学について研鑽する一連の儀礼の一つで論議の方式を言います。僧侶の研究精神を高める、また天皇や先覚者への供養などのために、奈良興福寺で行われていた論議を導入し初めて行われました。以来、例年、旧暦の5月3日に行われています。
この竪精の論議は、高野山に住む僧侶の序列、検校法印を最高位として昇進する課程における重要な関門、いわば試験とも言えます。論議では弟子役の竪義(りゅうぎ)と呼ばれる僧侶が師役の精義と呼ばれる僧侶に対し、難題を問うてその解答を求めます。これを10の問題に分けて進め、難点を明らかにして行きます。最後には、理にかなった結論を導き出し、両者が満足して論議は終わります。
夕刻、午後6時より金剛峯寺持仏前広間で御法楽が行われ、その後、伽藍山王院へ場所を移し、翌朝、午前5時ごろまで3部に分けて論議が続きます。
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