観賢、東寺と金剛峯寺座主を兼務 0919.01.012023.05.30 仏教を本気で学ぶ年表 919年か平安時代教王護国寺(東寺)-京都府京都市南区真言宗の出来事高野山金剛峯寺-和歌山県伊都郡 延喜十九年(919年)、観賢(八五四~九二五年)、東寺と金剛峯寺座主を兼務する。 空海上人が入滅後、金剛峯寺(高野山)や東寺、高雄山寺(神護寺)などの真言宗諸寺はそれぞれ独立した寺院としての道を歩み始めました。やがて、金剛峯寺と東寺のどちらを本寺とするかという論争が起きます(本末争い)。 そこで、観賢が東寺と金剛峯寺座主を兼務し、東寺を本寺、金剛峯寺を末寺と決めたことで決着し、金剛峯寺は本末争いに負けた形となりました。 << 戻る