1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。その時の様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書かれています。
「正月九日亥の刻(午後10時)火が出て、私は一番に方丈に入り火の元に行ったが、すでに小方丈北側半分まで火が移っていた。霊巌上人は猛火の中に飛び込もうとしていたのでそれをなだめ、人を付けてお護りした。私は奥に入り権現様や秀忠公ご拝領の品などを持ち出した。御影堂に延焼するのを防ぐ為、霊巌上人や寺内の衆、一心院住持、近辺の衆と共に御影堂北側の廊下を切り離そうとした。そこへ周防守様の御家中木下宮内殿が駆けつけたが、時すでに遅く、延焼を免れなかった。」
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