奈良時代の僧。大和国葛上郡高宮郷の出身。父は檜前(ひのくま)調使案麻呂。俗名は百戸。中国・北宗の禅で三祖にあたる道璿に師事して得度し、743年(天平15年)興福寺北倉院で受戒。弟子には伝教大師 最澄がいる。行表禅師。
興福寺で禅・唯識を学ぶ。その後、近江国崇福寺の寺主となり1丈余りの千手観音菩薩を造り、次いで近江国の大国師となる。778年(宝亀9年)最澄の師となり、780年(宝亀11年)師主として最澄を得度させている。後に奈良大安寺に移る。
最澄の「四種相承」(天台・密教・禅宗・大乗戒)の思想は、道璿が伝えた玉泉天台(荊州玉泉寺の天台)の影響とされる。
生誕 養老6年(722年)
命日 延暦16年2月(797年)
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