寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。
👍2 定秀寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市神田町4-26
👍2 福円寺	真宗大谷派	愛媛県松山市元町5-9
西福寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市北条辻辻1333
円休寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市湊町4-3-3
正明寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市萱町4-3-3
常通寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市三番町5-9-11
信行寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市河野別府別府999-3
西法寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市築山町12-27
本願寺道後教堂	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市道後縁台9-43
善宗寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市神田町4-33
善行寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市本町5-2-3
得法寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市萱町4-2-3
蓮福寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市柳井町3-6-3
相向寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市拓川町7-6
万徳寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市三番町7-1-1
西楽寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市湊町2-4-1
安楽寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市木屋町2-2-9
最広寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市三番町7-1-18
西性寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市三津1-10-18
明楽寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市一番町2-4-14
浄蓮寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市本町4-9-2
西清寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市元怒和甲1275
浄玄寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市中島大浦2194
教円寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市中島粟井甲460
正賢寺	浄土真宗本願寺派	愛媛県松山市熊田649
満行寺	真宗大谷派	愛媛県松山市萱町1-4-10
法泉寺	真宗大谷派	愛媛県松山市松前町4-6-2
浄福寺	真宗大谷派	愛媛県松山市堀江町甲1716番地
円光寺	真宗大谷派	愛媛県松山市湊町4-5-5
法源寺	真宗大谷派	愛媛県松山市土手内246
専念寺	真宗大谷派	愛媛県松山市一番町2-5-9
正林寺	真宗大谷派	愛媛県松山市清水町1-16
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※各種法要、戒名授与、祈願や厄除け、魂入れ(開眼)、魂抜き(閉眼)、墓地、霊園、納骨堂、樹木葬、坐禅、拝観などで寺院所在地が知りたい場合等の確認にご利用ください。
新型コロナの影響で、寺院も例外ではなく、当ウェブサイトの過去の情報と現在の状況は異なっている場合があると考えています。※浄土真宗※
愛媛県の特色 地域によって違いがあります
 愛媛県の宇和島周辺では、お盆のお墓参りで花串を供える風習があります。花串とは20cm程の竹のヘラに、蓮の花のかたちに切り抜かれた紙が貼り付けられたものです。
愛媛県の宇和島周辺では、お盆のお墓参りで花串を供える風習があります。花串とは20cm程の竹のヘラに、蓮の花のかたちに切り抜かれた紙が貼り付けられたものです。 愛媛県の一部では、出棺の際に近親者4人で棺を担ぎ、3度ぐるぐると回す「三度回し」「棺回し」などと呼ばれる風習があります。棺を回すことで故人の方向感覚を無くし、家に戻ってこられないようにするためで、迷いなくあの世へ旅立っていってほしいという願いがこめられていると考えられたり、回るという儀式を行うことで現世での罪をなくすための修行を行っているとする「減罪信仰」からとも考えられたりしています。
愛媛県の一部では、出棺の際に近親者4人で棺を担ぎ、3度ぐるぐると回す「三度回し」「棺回し」などと呼ばれる風習があります。棺を回すことで故人の方向感覚を無くし、家に戻ってこられないようにするためで、迷いなくあの世へ旅立っていってほしいという願いがこめられていると考えられたり、回るという儀式を行うことで現世での罪をなくすための修行を行っているとする「減罪信仰」からとも考えられたりしています。 愛媛県では、出棺の際に故人が使っていた茶碗が遺族の手で割られます。このとき、送り火をたきながら行ったり、炒った大豆を茶碗に入れて割ったりと、地域によって作法はまちまちです。
愛媛県では、出棺の際に故人が使っていた茶碗が遺族の手で割られます。このとき、送り火をたきながら行ったり、炒った大豆を茶碗に入れて割ったりと、地域によって作法はまちまちです。 愛媛県の一部地域では、出棺の際に遺族が額に△の白布つけるという風習が見られます。この△の白布は死装束のひとつで、仏教では「宝冠(ほうかん)」と呼ばれています。白布を身につけることによって、「故人が旅立つまでは、私たちも故人と共に見送りますが、そこから先はお一人で旅立ってください」という意味が込められています。
愛媛県の一部地域では、出棺の際に遺族が額に△の白布つけるという風習が見られます。この△の白布は死装束のひとつで、仏教では「宝冠(ほうかん)」と呼ばれています。白布を身につけることによって、「故人が旅立つまでは、私たちも故人と共に見送りますが、そこから先はお一人で旅立ってください」という意味が込められています。