「 浄土宗の出来事 」 一覧
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法然上人の配流
承元元(1207)年2月18日 専修念仏を停止し法然上人を土佐(実は讃岐)に、親鸞を越後に配流が決まり、安楽房遵西は六条河原で、住蓮は近江の馬淵で処刑されることに決まりました。 配流の決定した上人は ...
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建永の法難
建永元(1206)年12月、門下の住蓮と安楽房遵西が、六時礼讃の哀調に感銘した院の女房と密通したという(捏造)事件により、法然上人はその責任を免れることが出来ませんでした。兼実は免罪運動を行いましたが ...
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法然上人、九条兼実の別邸小松殿に移る
建永元(1206)年7月 九条兼実の別邸小松殿に移って庇護される。 << 戻る
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法本房行空と安楽房遵西を召しだす御教書
建永元(1206)年2月14日、法本房行空と安楽房遵西を召しだす御教書が発せられ、法然上人は行空だけを破門されました。ついで衆徒たちは五師三綱を代表にたて、宣旨の内容が寛大なることをするどくつくと共に ...
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専修念仏者の庇護を内容とする宣旨
元久2(1205)年12月29日、専修念仏者の庇護を内容とする宣旨が下される。 << 戻る
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興福寺奏状
元久2(1205)年9月、興福寺衆徒、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ強訴しました。法然上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。 その内容は勅許(ちょっき ...
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七箇条制誡
元久元(1204)年11月、法然上人は七箇条制誡(しちかじょうせいかい)をつくり門弟を誡め、門弟百九十名の署名をとり、別に誓状をそえて座主に送りました。 1.天台・真言の教説を破し諸仏菩薩をそしらぬこ ...
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元久の法難
元久元(1204)年10月、延暦寺の衆徒が専修念仏の停止を天台座主真性に申請しました。 << 戻る
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法然聖人と親鸞聖人が出会い弟子入り
親鸞29歳、比叡山では悟りに至る道を見出すことができずに山を下り、京都の六角堂に100日間の参籠(さんろう)をしました。尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためです。95日目の暁、聖徳太子の本地で ...
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念仏禁止
正治2(1200)年5月12日 鎌倉幕府、念仏を禁止する。 << 戻る
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西光寺-長野県長野市
・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398 正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼 ...
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西方寺-長野県長野市
・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019 安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師 ...
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選択本願念仏集
建久9(1198)年、法然上人は一部十六章からなる「選択本願念仏集」を撰述(せんじゅつ)しました。建久8(1197)年に九条兼実公の「浄土の教えの大事なことをまとめてほしい」と懇請されたのに応じられ、 ...
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聖光房弁長弟子入り
建久8(1197)年、後に浄土宗の第二祖と仰がれる聖光房弁長(べんちょう) 、三十六歳で法然上人に弟子入りする。 << 戻る
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勢観房源智弟子入り
建久6(1195)年、後に法然上人に常随給仕する勢観房源智 (げんち) 、十三歳で法然上人に弟子入りする。 << 戻る
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誕生寺-岡山県久米郡
・誕生寺 浄土宗 岡山県久米郡久米南町里方808 熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が建久4年(1193年)に師である法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのがはじまりです。(リンク先よ ...
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正法寺-京都府八幡市
・徳迎山 正法寺 浄土宗 京都府八幡市八幡清水井73 正法寺は1191年(鎌倉・建久2年)に、鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国(たかだくろうどただくに)により、天台宗の寺として開かれました(室町時代に浄土 ...
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法然上人と九条兼実
文治5(1189)年8月、九条兼実と法文語および往生業を語る。 << 戻る
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大原談義
文治2(1186)年の秋、洛北大原の魚山大原寺勝林院で天台座主の職にあった顕真法印の発起により、南都、北嶺の名僧学匠三百余人を相手として、法然上人は念仏の教えについて論議された大原談義(大原問答)が行 ...
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一心寺-大阪府大阪市天王寺区
1185/01/01 -便り, 年表
1185年, 一心寺-大阪府大阪市天王寺区, 大阪府, 大阪府大阪市天王寺区, 大阪府大阪市天王寺区(浄土宗), 大阪府(浄土宗), 浄土宗, 浄土宗の出来事, 鎌倉時代・一心寺 トップページ 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区逢坂2-8-69 山号:坂松山 院号:高岳院 開基:文治元年(1185年)法然上人(リンク先より) << 戻る
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海泉寺-大阪府大阪市浪速区
1185/01/01 -便り, 年表
1185年, 大阪府, 大阪府大阪市浪速区, 大阪府大阪市浪速区(浄土宗), 大阪府(浄土宗), 浄土宗, 浄土宗の出来事, 海泉寺-大阪府大阪市浪速区, 鎌倉時代・海泉寺 浄土宗 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-15 昔この当地がまだ海岸であった頃、作太夫(のちの海泉房)が1184年に海から引き上げた洒落木が観音像であったことがきっかけで剃髪した。1185年 ...
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法然上人、平重衡に説戒
寿永3(1184)年2月7日、法然上人は平重衡に説戒する。 << 戻る
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法然上人、ただ一日のみ聖教を見ず
寿永2(1183)年7月28日、木曽義仲の軍勢洛中に乱入の日、ただ一日のみ聖教を見なかった。 << 戻る
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法然上人、東大寺大勧進職を辞退する
養和元(1181)年、東大寺大勧進職を辞退し、重源を推挙する。 << 戻る
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立教開宗(浄土宗)
承安5(1175)年の春、法然上人は宇治で『 観経疏 (かんぎょうしょ) 』『散善義』と出会い、称名往生に関する確信を得て専修念仏に帰す。比叡山の西塔黒谷を出て西山広谷に移り、しばらくして東山大谷に住 ...
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法然上人、学匠を訪問
保元元(1156)年、求法のため洛西嵯峨の清凉寺に参籠、のち南都の興福寺に法相宗の蔵俊をたずね、醍醐に三論宗の寛雅をたずね、御室に華厳宗の慶雅をたずねなど学匠を訪問する。 << 戻る
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法然上人、法然房源空の名を受ける
久安6(1150)年9月、西塔黒谷にうつり慈眼房叡空 (えいくう) に師事。法然房源空の名を受ける。 << 戻る
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法然上人の修行時代
久安4(1148)年の春、功徳院阿闍梨皇円の指導のもとに「天台三大部」(『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』各十巻)を読み始める。 << 戻る
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法然上人の出家受戒
久安3(1147)年11月、比叡山の功徳院阿闍梨皇円の室に移り戒壇院で出家受戒。 << 戻る
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法然上人比叡山へ
天養2(1145)年の春、比叡山に登り西塔北谷の持宝房源光 (じほうぼうげんこう) に師事。 << 戻る
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法然上人仏門へ
永治元(1141)年春、父の漆間時国、預所 (あずかりところ) (荘園を領主から預かって管理する人)の明石定明の夜襲に遭い負傷、逝去。冬、菩提寺の院主である観覚の弟子となる。 << 戻る
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法然上人誕生
法然上人(ほうねんしょうにん)は、長承2(1133年)4月7日 美作国(岡山県)久米南条稲岡庄に生まれる。幼名は勢至丸。父は押領使(地方の治安維持にあたる在地豪族)の漆間時国、母は秦氏。 << 戻る