【仏教用語/人物集 索引】

興福寺奏状

投稿日:1205年9月1日 更新日:

元久2(1205)年9月、興福寺衆徒、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ強訴しました。法然上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。

その内容は勅許(ちょっきょ)を得ないで一宗をたてたこと、摂取不捨曼荼羅―専修念仏者だけが阿弥陀仏の光明によって救われ、これに対して念仏以外の諸善を行ずる者は光明を預からないことを絵画的に表現したものが流行していること、諸行をもって往生業としないで、称名一辺倒であること、最低の不観不定の口称念仏を勧めることは、最上の観念を捨てることであり、念仏の真意をあやまること、阿弥陀仏の名号やその浄土のことを説き示された本師である釈尊を等閑視していること、宇佐や春日などの宗廟大社― 本地垂迹 (ほんじすいじゃく) の神々を礼拝しないなどです。

この奏状を八宗同心の願いであるとしたのは、単なる一宗一派の奏状でなく、既成の仏教教団全ての要請であることを示すためでありました。

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