浄土宗の出来事

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昌運寺-京都府向日市

・昌運寺 西山浄土宗 京都府向日市物集女町中条38当山は、応永3(1396)年、室町時代に中山道嘉和尚によって開山された西山浄土宗(本山:長岡京市  総本山 光明寺)末の寺院です。御本尊は阿弥陀如来ですが、脇佛に地蔵菩薩が安置されております。(リンク先より) << 戻る
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専称寺-福島県いわき市

・専称寺 浄土宗 福島県いわき市平山崎字梅福山5梅福山・報恩院 専称寺。本尊は阿弥陀如来像。およそ600年前の応永2年(1395年)の開山。(リンク先より) << 戻る
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浄珠院-愛知県岡崎市

・浄珠院 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市上和田町字北屋敷55上和田浄珠院の濫觴は、人皇第三十一代用明天皇の遺勅により造立された、上宮太子(聖徳太子)直作の孝養像を安置し、慈覚大師(天台中興の祖、円仁)が人皇五十四代仁明天皇承和年中(834~848)に創建された道場で、清光山大海寺と号す。その後、星霜相遷り、堂宇廃絶せしを、応永年中(1394~1428)、開山教然良頓上人(松平二代泰親の長男)京都円福寺の会下より故郷に帰り、仏殿を造立し、元の天台を浄土と改宗して、浄珠院と号した。(リンク先より) << 戻る
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常念寺-愛知県一宮市

・柳星山 常念寺 西山浄土宗 愛知県一宮市大江1-11-26後小松天皇の御代、明徳元年(1390年)初代将軍 足利尊氏公の甥である空遄召運上人が真清田神社へ参拝の折、光厳法皇御追福のため、浄利建立を祈願し、一百日の参籠が満ちた暁に『当地に柳樹あり、彼の地 清浄なれば 連夜三星相舎(やど)る、汝 訪ふて願望を果たせ』との霊夢がありました。上人は歓喜され、所々を探しまわると、ある柳樹に星三体降り、それを拝むと弥陀・観音・勢至の三尊が光々と示現しました。上人は、これを末世において凡愚有縁の霊佛であると礼拝し、謹んで三尊を安置し、真清田神社の鬼門にあたる現在の寺島町に堂塔を建立しました。その柳樹および...
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法蔵寺-栃木県日光市

・法蔵寺 浄土宗 栃木県日光市大桑町270法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といいます。宗旨は浄土宗です。開創は、康応元年(1389年)10月です。日本国を二分した南北朝の戦いの折、南朝方に味方して敗れた「新田義貞公」の孫(義宗の子)良徳という方が、一族の菩提を弔うために仏門に帰依し僧侶となり、はるかに下向して下野国倉ヶ崎村(現在の日光市倉ヶ崎)に寺院「心光院」を建立したのが始まりと伝えられます。(リンク先より) << 戻る
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相頓寺-埼玉県上尾市

・快楽山安養院相頓寺 浄土宗 埼玉県上尾市五番町14-2当山は、正式には快楽山安養院相頓寺(けらくさんあんよういんそうとんじ)といいます。永徳二年(1382)に円蓮社聖満良順(えんれんじゃしょうまんりょうじゅん)上人によって開山されました。上人は、現在の大本山である鎌倉光明寺の第四代を勤めた後にこの原市の地に当寺を開山したとされています。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-福井県敦賀市

・西福寺 浄土宗 福井県敦賀市原13-7開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遥か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこの地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、突如、一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。そこで開山良如上人は ”仏法有縁の地である” としてこの奇瑞の山腹に一宇建立を発願せられました。後この岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神としえ御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(北朝応安元年、1368年)3月であります。直ちに朝廷...
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蓮香寺-長野県長野市

・蓮香寺 浄土宗 長野県長野市川中島町原101貞治6年1367 開祖称蓮社名誉月秀善室上人により創建される応永22年1415 第二世聖蓮社教誉慶学上人遷化(リンク先より) << 戻る
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桂岩寺-愛知県西尾市

・桂岩寺 浄土宗西山深草派 愛知県西尾市上矢田町寺前22当山の開山、照璟光山慧珉大和尚は、大本山円福寺(当時・京都)第五世の法主「善偉堯恵上人」の直弟子で、当地に留錫の時、領主の三州戸ケ崎の城主、戸ケ埼次郎義宗郷が深く上人の高徳を崇めて帰依し、四十四石の荘園を寄付して一宇を創建され、さらに永く上人を当地に留めるべく、後村上天皇の正平五年(1350、北朝、観応元年)三月に本堂庫裡等を新築落成して上人を開山として菩提寺と定め、三河国深草派十二本寺の随一とせられました。(リンク先より) << 戻る
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迎乗寺-奈良県天理市

・迎乗寺 浄土宗 奈良県天理市丹波市町40正しくは、白雲山紫光院迎乗寺と申し、今より約250年から260年前(江戸時代中期)に一度焼失してしまったので、それ以前については明確ではないが、今より凡そ600年程前、室町時代 の貞和年間から康安年間(西暦1350年頃から1360年頃)に建立されたようだが、その頃は小さな庵(イオリ)のようなものではなかったかと想像される。(リンク先より) << 戻る
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常福寺-茨城県那珂市

・常福寺 浄土宗 茨城県那珂市瓜連1222南北朝時代の延元年中(1336~1339)に了実上人によって開山。その後第二世了誉上人の嘉慶2年(1388)の僧坊が焼失したため瓜連城址に移転し、応永12年(1405)に再建された。その背景には佐竹氏の援助があった。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-愛知県豊田市

・霞渓山 洞泉寺 浄土宗 愛知県豊田市小坂町3-10霞渓山紫雲院洞泉寺と号し、浄土宗総本山知恩院の直末にして、末寺十四ヶ寺を有す。古伝に依れば、正和2年(1313) 霞渓(市内保見町)の地に法相宗の寺院として発足、後に天台宗に改宗。建武の兵乱により一時衰微するも、正長永亨年間に復興。(リンク先より) << 戻る
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龍蔵寺-埼玉県加須市

・無着山 龍光院 龍蔵寺 浄土宗 埼玉県加須市大門町18-51龍蔵寺に残されているもので、最も古いものはご本尊の阿弥陀如来像である。この阿弥陀如来像は、1293年(永仁元年)に開眼されたとされている。鎌倉時代は宗教的天才が活躍した時代で、龍蔵寺もその1人である法然上人につながる。(リンク先より) << 戻る
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報国寺-茨城県常総市

・報国寺 浄土宗 茨城県常総市水海道亀岡町2637報国寺は、茨城県常総市にある浄土宗のお寺です。その昔、元は真言宗の寺院でしたが、弘安4年下総地方を教化されていた良忠上人が、この地に訪れ、多くの帰依者を得たことによって、浄土宗に改宗されました。(リンク先より)※弘安4年 1281年 << 戻る
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宝蔵寺-京都府京都市中京区

・宝蔵寺 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区裏寺町通蛸薬師上る裏寺町587弘法大師空海の創立と伝えられる。その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基される。 弘安2年(1279)に如輪上人が遷化、天正9年(1581)玉阿律師が中興再興された。 (リンク先より) << 戻る
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称名寺-奈良県奈良市

・称名寺 西山浄土宗 奈良県奈良市菖蒲池町7称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後、弥陀本願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常行念佛の道場を創始とし、その創建は、文永2年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地に移転された。(リンク先より) << 戻る
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鎌倉に大仏ができる

1252年、鎌倉に大仏ができる。<< 戻る
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圓福寺-愛知県岡崎市

・圓福寺 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市岩津町字檀之上85円福寺(えんぷくじ)の歴史は、建長三年(一二五一)浄土宗の西山深草派祖(せいざんふかくさはそ)円空(えんぐう)上人が京都深草の里に真宗院(しんじゅいん)を建立したことに始まります。円空上人は、浄土宗を開いた法然(ほうねん)上人の孫弟子に当たり、師匠西山(せいざん)上人から法然上人の教えを正しく受け継いだ方です。(リンク先より) << 戻る
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善永寺-東京都大田区

・善永寺 浄土真宗本願寺派 東京都大田区萩中1-11-24創 建 建長年間(1249-1256年)武蔵の国 品川 高輪台に創建された当初は浄土宗鎮西派だった。開 基 慈信房善鸞(親鸞聖人の長男)(リンク先より) << 戻る
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弁長(べんちょう)

平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。鎮西義の祖。父は古川則茂。字は弁阿。房号は聖光房。著書『浄土宗要集』『末代念仏授手印』『徹選択集』など。生誕 応保2年5月6日(1162年6月20日)命日 嘉禎4年2月29日(1238年3月16日)<< 戻る
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源智、知恩院の諸堂を興す

1234年(文暦1年)、法然上人の弟子源智が上人を開山として知恩院の諸堂を興す。<< 戻る
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泉福寺-福岡県宗像市

・泉福寺 西山浄土宗 福岡県宗像市鐘崎469泉福寺開山の歴史は古く、西山浄土宗総本山光明寺第三世幸阿上人が九州行脚中に上八村で錫杖を止め、天福元年(1233)四月念仏教化の庵を結びました。五年前の安貞二年(1228)二月突如叡山の暴徒から、浄土宗開祖法然上人の眠る墓堂の襲撃破壊を被ったので幸阿上人は遺骸を光明寺で荼毘に付し遺骨は庵室の塗り籠めにして鎮西に赴いたとと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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大覚寺-兵庫県姫路市

・大覚寺 浄土宗西山禅林寺派 兵庫県姫路市綱干区興浜151『鶴立山 大覚寺』は、天福元年(1233)定翁隆禅上人の開基である。隆禅上人はもと天台宗比叡山の僧であったが、念仏一筋に生きる決心をし山を下り諸国を歩くうち、現在の大覚寺より3キロほど北の砂山という地に「釈迦堂」があり、ここに入って残りの生涯を念仏に明け暮れたと伝えられています。この「釈迦堂」は、後に『鶴林山 光接院』と改称して真言宗に属していたのですが、これら開基以来の歴史を正しく伝える史料は残念ながら多くありません。(リンク先より) << 戻る
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願成寺-福島県喜多方市

・願成寺 浄土宗 福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833叶山 三寳院 願成寺と申します。嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 御開山、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。(リンク先より) << 戻る
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大谷廟堂が破却される

1227年(嘉禄3年)、比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却する。<< 戻る
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浄運寺-長野県須坂市

・浄運寺 浄土宗 長野県須坂市井上2618浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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大願寺-福岡県遠賀郡

・大願寺 浄土宗 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿13-2法然上人(1133-1212)がお亡くなりになった2年後の建保2年(1214)に、法然上人の遺志を継がれた、聖光上人(しょうこう、浄土宗二祖)によって創建されました。当時は、領主であった麻生氏の菩提寺でもありました。(リンク先より) << 戻る
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信行寺-広島県尾道市

・信行寺 facebook 浄土宗 広島県尾道市東土堂町11-36信行寺は正式には得生山(とくしょうざん)(山号) 信行寺(寺号)といい、南無阿弥陀仏を一心に唱える 専修念仏の教えを広められた法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院である。歴史は古く鎌倉時代の建保2年(1214)に浄土宗第二祖の聖光上人が開創された寺である。もとは、聖光上人が京都と鎮西を往来の折り、向島の三ツ石に一草庵を結んで住まわれたのが始まりである。その後、慶長年中(1596-1614)に称住がこの草庵で四十八昼夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来のご来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、結集の中の一人は現世に残ってこ...
人物

法然上人(ほうねんしょうにん)

建暦二年(1212)1月25日、法然上人80歳で示寂しました。「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の経文をとなえ、眠るように示寂されました。(法然上人の生涯についてはこちらの「 法然上人 」タグから確認出来ます)生誕 長承2(1133年)4月7日命日 建暦二年(1212)1月25日<< 戻る
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一枚起請文

『一枚起請文』は、建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である常随給仕首尾18年の門弟源智上人の念仏の肝要について「一筆書きとどめて頂きたい」という要請により書かれたものです。浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、とても簡潔に説明されています。本文中に「両手印をもってす」と書かれていることから、両手の判を押し、上人自身が証明していらっしゃいます。 法然上人のお誓いの文章であることから「御誓言の書」とも呼ばれ、大本山金戒光明寺に大切に保存されています。もろこし我が朝に、諸々の智者達のさたし申さるる観念の念にも非ず、また学文をして念の...
年表

法然上人の帰洛

建暦元年(1211)11月17日帰洛を許された上人は、その月の20日、5年ぶりに京都の地をふみましたが、旧居吉水の禅房はほとんど荒廃していたので、『 愚管抄 (ぐかんしょう) 』の著者であり、兼実の弟にあたる青蓮院慈円(1155~1225)の厚意にあまえて大谷の禅房(知恩院勢至堂)に入りました。<< 戻る
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知恩院-京都府京都市東山区

・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う(リンク先より)<< 戻る