-485年

仏教を本気で学ぶ

第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...
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沙羅双樹(さらそうじゅ)

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し  猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ平家物語はこのような一節から始まるので、沙羅双樹という名前を知っている人が老若男女問わずいるようです。この沙羅双樹は、歴史上のブッダが入滅された場所に対で生えていたサーラの木のことです。インド原産の熱帯樹(フタバガキ科常緑樹)ですから日本では育ちません。日本で沙羅双樹と言われているものは白い花が夏の前頃に咲く夏椿(ツバキ科落葉樹)のことです。掲載画像はブッダ入滅の地、インド・クシナガラの涅槃堂前に植えている沙羅双樹です。伝...
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お釈迦様がクシナガラで入滅

紀元前485年2月15日(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラで入滅しました。(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて以降の出来事を記述しています。)<< 戻る
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四大聖地(よんだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に問いました。「ブッダが亡くなったのちには、もう、ブッダにお会いすることはできないのでしょうか?」その問いにブッダが答えたのが四大聖地です。■ルンビニ(ブッダが生まれた地)藍毘尼■ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)仏陀伽邪■サールナート(ブッダが教えを説き始めた地)鹿野苑■クシナガラ(ブッダが亡くなった地)拘尸那掲羅これらの四つの場所が、信仰心ある者が実際に訪れて見て感動する場所であると、ブッダがアーナンダに伝えたのでした。(出典:『ブッダ最後の旅』【 第5章 】18、病い重し 8偈)<< 戻る
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八大聖地(はちだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に聞いたのが四大聖地ですが、仏教の開祖であるブッダに関する重要な8つの聖地の総称を八大聖地と呼びます。なお、ルンビニ、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地と呼ばれています。■ルンビニ  ブッダが生まれた地(生誕)藍毘尼■ブッダガヤ  ブッダが悟りを開いた地(成道)仏陀伽邪■サールナート  ブッダが教えを説き始めた地(初転法輪)鹿野苑■ラージギル  ブッダ布教の地 王舎城■サヘート・マヘート  ブッダ布教の地 祇園精舎・舎衛城■サンカーシャ  ブッダ三道宝階降下の地 僧伽舎■ヴァイシャリ  ブッダ最後の旅の出発地 毘舎離■クシナガラ  ブ...
人物

チュンダ(純陀)- ブッダ最後の食事を提供

チュンダとは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子で、ブッダ最後の食事を提供したことから、ブッダへの最後の布施者とも呼ばれています。漢訳では純陀、准陀、淳陀、周那などと音写され、妙義と意訳されることもあります。チュンダはブッダやその弟子たちを招待することが出来るほどの富裕層であったと考えられています。当時、インドのカースト社会では鍛治屋、工巧師、金属加工師というのは賤しい職業と見なされ、蔑視されていましたが、ブッダのような新しい精神的な指導者を求めていました。鍛治屋の子チュンダの招待を受け入れたブッダは、当時の階級的差別を打ち破って欲しいという要求に応えたものであったと考えられます。『大...