仏祖になった人の生き方

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「正法眼蔵」生死(しょうじ)

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「正法眼蔵」三時業(さんじごう)

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『典座教訓』16、自他の境をとりはずす

まさにしるべしたいまだかつて応に知るべし佗未だかつてほっしんせずといえども、発心せずと雖も、もしひとりのほんぶんにんをみまわば、若し一の本分人を見ば、すなわちそのどうをぎょうとくせん。則ち其の道を行得せん。いまだひとりのほんぶんにんをみずと未だ一の本分人を見ずといえども、もしこれふかくほっしんせば、雖も、若し是れ深く発心せば、すなわちそのどうをぎょうようせん。則ち其の道を行膺せん。すでにりょうけつをもってせば、既に両闕を以てせば、なにをもってかいちえきあらん。何を以てか一益あらん。だいそうこくのしょざんしょじに、大宋国の諸山諸寺に、ちじちょうしゅのしょくにいるやからを知事頭首の職に居る族をみる...
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『典座教訓』9、食べることも仏法を行じていること

せしゅいんにいって施主院に入ってざいをしゃしさいをもうけば、財を捨し斎を設けば、またまさにもろもろのちじまた当に諸の知事いっとうにしょうりょうすべし。一等に商量すべし。これそうりんのきゅうれいなり。是れ叢林の旧例なり。えもつひょうさんは、回物俵散は、おなじくともにしょうりょうせよ。同じく共に商量せよ。けんをおかししょくをみだすことを権を侵し職を乱す事をえざれ。さいしゅくにょほうに得ざれ。斎粥如法にべんじおわらば、あんじょうにあんちし、弁じ了らば、案上に安置し、てんぞけさをかけ、ざぐをのべ典座袈裟を搭け、坐具を展べまずそうどうをのぞんで、先ず僧堂を望んで、ふんこうきゅうはいし、焚香九拝し、はいし...
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『典座教訓』20、天地の寸法は隔たりがない

いわゆる、だいしんとは、いわゆる、大心とは、そのこころをだいせんにし、其の心を大山にし、そのこころをたいかいにし、其の心を大海にし、へんなくとうなきこころなり。偏無く党無き心なり。りょうをかかげてかろしとせず、両を提げて軽しと為ず、きんをあげておもしとすべからず。鈞を扛げて重しとすべからず。しゅんせいにひかれて春声に引かれてしゅんたくにあそばず。春沢に游ばず。しゅうしきをみるといえども秋色を見ると雖もさらにしゅうしんなく、更に秋心無く、しうんをいっけいにあらそい、四運を一景に競い、しゅりょうをいちもくにみる。銖両を一目に視る。このいっせつにおいて、是の一節に於いて、だいのじをしょすべし。大の字...
仏教を学ぶ

『典座教訓』(てんぞきょうくん)

典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視されていた典座の職を高く評価し、重要視するべきだと説いています。修行としての食事とはいかなるものであるかを示され、典座の大切さや意義を中国で出会われた老典座との逸話などをまじえ、喜びの心(喜心)・相手を思いやる心(老心)・動じない心(大心)の三心を、調理する者の心とし、素材そのものを生かす料理でなければならないと説かれています。典座教訓に著されている中国・宋での体験は、道元禅師の仏法・修行のあり方に影...
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『正法眼蔵随聞記』72、嘉禎二年臘月除夜

嘉禎二年臘月除夜、始めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初めて首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。小参に云く、宗門の仏法伝来の事、初祖西来して少林に居して機をまち時を期して面壁して坐せしに、その年の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知って接得す。衣法ともに相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。初めて首座を請じ、今日初めて秉払をおこなわしむ。衆の少なきにはばかれる事なかれ。身、初心なるを顧みる事なかれ。汾陽はわずかに六七人、薬山は不満十衆なり。然れども仏祖の道を行じて是れを叢林のさかりなると云いき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし、竹あに利鈍...
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『正法眼蔵随聞記』13、仏々祖々、皆本は凡夫なり

示して云く、仏々祖々皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。鈍もあり、癡もあり。然れども皆、改めて知識に従い、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずんば何の時をか待つべき。好むには必ず得べきなり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実で...
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『正法眼蔵随聞記』16、戒行持斎を守護すべければとて

また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れ奉公に立て、是れに依って得道すべしと思うもまたこれ非なり。ただ衲僧の行履、仏子の家風なれば、従いゆくなり。是れを能事と云えばとて、あながち是れをのみ宗とすべしと思うは非なり。然ればとて、また破戒放逸なれと云うにあらず。もしまた是のごとく執せば邪見なり、外道なり。ただ仏家の儀式、叢林の家風なれば随順しゆくなり。是れを宗とすと、宋土の寺院に住せし時も、衆僧に見ゆべからず。実の得道のためにはただ坐禅功夫、仏祖の相伝なり。是れに依って一門の同学五根房、故用祥僧正の弟子なり、唐土の禅院にて持斎を固く守りて、戒経を終日誦せしをば、教えて捨...
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『正法眼蔵随聞記』56、我れ大宋天童禅院に居せし時

また云く、我れ大宋天童禅院に居せし時、浄老住持の時は、宵は二更の三点まで坐禅し、曉は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裏に坐す。一夜も懈怠なし。その間、衆僧多く眠る。長老巡り行いて睡眠する僧をばあるいは拳を以て打ち、あるいはくつをぬいで打ち、恥しめ勧めて眠りを覚す。なお眠る時は照堂に行き、鐘を打ち、行者を召して蝋燭を燃しなんどして卒時に普説して云く、「僧堂裏に集まり居して徒らに眠りて何の用ぞ。然れば何ぞ出家入叢林する。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をやすくする。王道を収め忠節を尽くし、乃至庶民は田を開き鍬をとるまでも、何人か身をやすくして世を過ごす。是れをのがれて叢林に入って虚く...
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『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし

一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。必ず冥加顕益有るなり。たとい泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬礼すべし。黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば仰信すべし。内心に信心をもて敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり。破戒無慚の僧なれば、疎相麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を被るなり。しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像・経巻・僧侶なり。故に帰敬すれば益あり、不信なれば罪を受くるなり。何に希有に浅増くとも、三宝の境界をば恭敬すべきなり。禅僧は善を修せず功徳を要せずと云って悪行を好む、きわめて僻事なり。先規いまだ是の如くの悪行を好む事を聞かず。丹...
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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかわれて強いて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理に為すべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代わりに善果を得んと思う事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかえりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずる事なかれ。先証皆是の如し。心に願いて求むる事なければ即ち大安楽なり。世間の人にまじわ...
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『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふ事なかれ。露命のしばらく存ぜる間、ただ仏道を思うて余事を事とする事なかれ。ある人問うて云く、「名利の二道は捨離し難しと云えども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべからず。故に是れを捨つ。衣粮の二事は小縁なりと云えども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是れは上根の所行、また是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にその労なし。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶えたり、...
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『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は

示して云く、俗人の云く、「城を傾くる事は、うちにささやき事出来るによる。」また云く、「家に両言有る時は針をも買ふ事なし。家に両言無き時は金をも買うべし。」と。俗人なお家をもち城を守るに同心ならでは終にほろぶと云えり。況んや出家人は、一師にして水乳の和合せるが如し。また六和敬の法あり。各々寮々を構えて心身を隔て、心々に学道の用心する事なかれ。一船に乗って海を渡るが如し。心を同じくし、威儀を同じくし、互いに非をあげ是をとりて、同じく学道すべきなり。是れ仏在世より行じ来れる儀式なり。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方...
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『正法眼蔵随聞記』97、世間の人自ら云く

一日示して云く、世間の人、自ら云く、「某甲師の言を聞くに、我が心にかなわず。」と。我れ思うに、この言は非なり。その心如何。もし聖教等の道理を心得をし、全てその心に違する、非なりと思うか。もし然らば、何ぞ師に問う。またひごろの情見をもて云うか。もし然らば、無始より以来の妄念なり。学道の用心と云うは、我が心にたがえども、師の言、聖教の言葉ならば、暫くそれに随って、本の我見を捨てて改めゆく、この心、学道の故実なり。我れ当年傍輩の中に我見を執して知識をとぶらいし、我が心に違するをば、心得ずと云って、我見に相叶うをば執して、一生虚しく仏法を会せざりしを見て、知発して、学道は然るべからずと思うて、師の言に...
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『正法眼蔵随聞記』99、大恵禅師ある時

示して云く、大恵禅師、ある時尻に腫物を出す。医師是れを見て、「大事の物なり。」と云う。恵云く、「大事の物ならば死すべしや。」医云く、「ほとんどあやうかるべし。」恵云く、「もし死ぬべくは、いよいよ坐禅すべし。」と云って、なお強盛に坐したりしかば、かの腫物うみつぶれて、別の事なかりき。古人の心是くのごとし。病を受けてはいよいよ坐禅せしなり。今の人の病なからん、坐禅ゆるくすべからず。病は心に随って転ずるかと覚ゆ。世間にしやくりする人、虚言をもし、わびつべき事をも云いつけつれば、それをわびしき事に思い、心に入れて、陳ぜんとするほどに、忘れてその病止るなり。我れも当時入宋の時、船中にして痢病をせしに、悪...
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『正法眼蔵随聞記』39、学道の人は人情をすつべきなり

夜話に云く、学道の人は人情をすつべきなり。人情を捨つると云うは、仏法に順じ行ずるなり。世人多くは小乗根性なり。善悪を弁じ是非を分ち、是を取り非を捨つるはなお是れ小乗の根性なり。ただ世情を捨つれば仏道に入るなり。仏道に入るには善悪を分ち、よしと思い、あししと思う事を捨て、我が身よからん、我が心何とあらんと思う心を忘れ、善くもあれ悪しくもあれ、仏祖の言語行履に順い行くなり。我が心に善しと思い、また世人のよしと思う事、必ずよからず。然れば、人目も忘れ、心をも捨て、ただ仏教に順い行くなり。身も苦しく、心も患とも、我が身心をば一向に捨てたるものなればと思うて、苦しく愁つべき事なりとも、仏祖先徳の行履なら...
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『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時

示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来って云く、「我が家貧にして絶煙数日におよぶ、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是れを救い給え。」と云う。その時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮を巡らすに計略つきぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、光の料に打ちのべたる銅少分ありき。是れを取って自ら打ち折って束円めて彼の貧客に与えて云く、「是れを以て食物をかへて、餓をふさぐべし。」と。彼の俗悦んで退出ぬ。門弟子等難じて云く、「正しく是れ仏像の光なり。以て俗人に与ふ、仏物己用の罪如何。」僧正答えて云く、「実に然るなり。但し、仏意を思うに、身肉手足を分って衆生に施すべし。現に餓死すべき衆生には、た...
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『正法眼蔵随聞記』75、学人初心の時

一日示して云く、学人初心の時、道心あっても無くても、経論聖教等よくよく見るべく、学ぶべし。我れ初めてまさに無常によりて聊か道心を発し、あまねく諸方をとぶらい、終に山門を辞して学道を修せしに、建仁寺に寓せしに、中間に正師にあわず、善友なきによりて、迷って邪念をおこしき。教道の師も先ず、学問先達に等しくよき人となり、国家に知られ、天下に名誉せん事を教訓す。よって教法等を学するにも、先ずこの国の上古の賢者にひとしからん事を思い、大師等にも同じからんと思うて、因みに高僧伝、続高僧伝等を披見せしに、大国の高僧、仏法者のようを見しに、今の師の教えの如くにはあらず。また我がおこせる心は、皆経論伝記等にはいと...
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『正法眼蔵随聞記』82、ある客僧の云く、近代の遁世の法

一日ある客僧の云く、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまえて、後、わづらいなきように支度す。これ小事なりと云えども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来る。今この御様を承り及ぶに、一切その支度なく、ただ天運にまかすと。こと実ならば、後時の違乱あらん。如何。」示して云く、事皆先証あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の仏祖皆是の如し。私に活計を至さん、尽期有るべからず。またいかにすべしとも定相なし。この様は、仏祖皆行じ来れるところ、私なし。もし事闕如し絶食せば、その時こそ退しもし、方便をもめぐらさめ。かねて思うべきにあらず。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性...
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『正法眼蔵随聞記』91、真浄の文和尚

示して云く、真浄の文和尚、衆に示して云く、「我れ昔雪峰とちぎりを結びて学道せし時、雪峰同学と法門を論じて、衆寮に高声に諍談す。ついに互いに悪口に及ぶ。よって誼す。事散じて、峰、真浄にかたりて云く、『我れ汝と同心同学なり。契約浅からず。何が故に我れ人とあらそうに口入れせざる。』浄、揖して恐惶せるのみなり。その後、彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。そのかみおもえらく、法門論談すら畢竟じて無用なり。況んや諍論は定めて僻事なるべし。我れ争って何の用ぞと思いしかば、無言にして止りぬ。」と。今の学人も門徒も、その跡を思うべし。学道勤労の志あらば、時光を惜しんで学すべし。何の暇にか人と諍論すべき。畢竟...
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『正法眼蔵随聞記』58、学道の人身心を放下して

示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。古人云く、「百尺竿頭上なお一歩を進む。」と。何にも百尺の竿頭に上って足を放たば死ぬべしと思うて、強くとりつく心の有るなり。それを思い切りて一歩を進むと云うは、よもあしからじと思いきりて、放下するように、度世の業より始めて、一身の活計に至るまで、何にも捨て得ぬなり。それを捨てざらんほどは、何に頭燃をはらいて学道するようなりとも、道を得る事叶わざるなり。思いきり、身心ともに放下すべし。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよ...
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『正法眼蔵随聞記』26、昔、智覚禅師と云し人

示して云く、昔、智覚禅師と云し人の発心出家の事、この師は初めは官人なり。富に誇るに正直の賢人なり。有る時、国司たりし時、官銭を盗んで施行す。傍の人、是れを官奏す。帝、聴いて大いに驚きあやしむ。諸臣皆あやしむ。罪過すでに軽からず。死罪に行なはるべしと定まりぬ。爰に帝、議して云く、「この臣は才人なり、賢者なり。今ことさらにこの罪を犯す、もし深き心有らんか。もし頚を斬らん時、悲しみ愁たる気色あらば、速やかに斬るべし。もしその気色なくんば、定めて深き心あり。斬るべからず。」勅使ひきさりて斬らんと欲する時、少しも愁の気色なし。返りて喜ぶ気色あり。自ら云く、「今生の命は一切衆生に施す。」と。使、驚きあやし...
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『正法眼蔵随聞記』86、俗人の云く、財はよく身を害す

一日示して云く、俗人の云く、「財はよく身を害す。昔もこれあり、今もこれあり。」と。言う心は、昔一人の俗人あり。一人の美女をもてり。威勢ある人これを請う。かの夫、是れを惜しむ。終に軍を興して囲めり。彼のいえ既に奪い取られんとする時、かの夫云く、「汝が為に命を失うべし。」かの女云く、「我れ汝が為に命を失わん。」と云って、高桜より落ちて死にぬ。その後、かの夫うちもらされて、命遁れし時いいし言なり。昔、賢人、州吏として国を行なう。時に息男あり、父を拝してさる時、一疋の縑を与う。息の云く、「君、高亮なり。この縑いづくよりか得たる。」父云く、「俸禄のあまりあり。」息かえりて皇帝に参らす。帝はなはだその賢を...
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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く

一日参の次に示して云く、泉大道の云く、「風に向って坐し、日に向って眠る。時の人の錦被たるに勝れり。」と。この言葉、古人の語なれども少し疑いあり。時の人と云うは、世間貪利の人を云うか。もし然らば、敵対もっともくだれり。何ぞ云うに足らん。もし学道の人を云うか。然らば何ぞ錦を被ると云わん。この心をさぐるに、なお被を重くする心有りやと聞ゆ。聖人はしからず。金玉と瓦礫と等しくす。執する事なし。故に釈迦如来、牧牛女が乳の粥を得ても食し、馬麦を得ても食す。何も等しくす。法に軽重なし。情愛に浅深あり。今の世に金玉を重しとて人の与うれども取らず、木石をば軽しとて是れを愛するもあり。思うべし、金玉も本来土中より得...
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『正法眼蔵随聞記』107、学道の最要は坐禅これ第一なり

示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然れば、学人祇管打坐して他を管ずる事なかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。他事に順ずべからず。奘問うて云く、打坐と看語とならべて是れを学するに、語録公案等を見るには、百千に一つはいささか心得られざるかと覚ゆる事も出来る。坐禅はそれほどの事もなし。然れどもなお坐禅を好むべきか。示して云く、公案話頭を見て聊か知覚あるようなりとも、それは仏祖の道にとおざかる因縁なり。無所得、無所悟にて端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。古人も看語、祇管坐...
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『正法眼蔵随聞記』102、春秋に云く

示して云く、春秋に云く、「石の堅き、是れをわれどもその堅きを奪うべからず。丹のあかき、是れをわれどもそのあかき事を奪うべからず。」と。玄沙因に僧問う、「如何なるか是れ堅固法身。」沙云く、「膿滴々地。」と。けだし同じ心なるべきか。⇒ 続きを読む ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。『正法眼蔵随聞記』<< 戻る
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『正法眼蔵随聞記』93、学道はすべからく吾我を離るべし

一日示して云く、学道はすべからく吾我を離るべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執を離れずは終に魔坑に落つ。古人云く、「仏法の身心なくは、いづくんぞ仏となり祖とならん。」と。我を離ると云うは、我が身心を捨てて、我がために仏法を学する事無きなり。ただ道のために学すべし。身心を仏法に放下しつれば、くるしく愁うけども、仏法に従って行じゆくなり。乞食をせば人是れをわるしと思わんずるなんど、是のごとく思うほどに、何にも仏法に入り得ざるなり。世情の見を全て忘れて、ただ道理に任せて学道すべきなり。我が身の器量をかえりみ、仏法にもかなうまじきなんど思うも、我執を持てる故なり。人目をかえりみ、人情をはばかる、...
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『法句経』ダンマパダ【 第14章 ブッダ 】

179 ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人も、彼の勝利には達し得ない。ブッダの境地は広くて果てしがない。足跡を持たない彼を、いかなる道によって誘い得るであろうか?180 誘なうために網のようにからみつき執著をなす妄執は、彼にはどこにも存在しない。ブッダの境地は、広くて果てしがない。足跡を持たない彼を、いかなる道によって誘い得るであろうか?181 正しい悟りを開き、おもいにふけり、瞑想に専念している心ある人々は世間から離れた静けさを楽しむ。神々でさえも彼をうらやむ。182 人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。諸々の仏の出...
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『法句経』ダンマパダ【 第7章 真人 】

90 すでに人生の旅路を終え、憂いを離れ、あらゆる事柄にくつろいで、あらゆる束縛の絆を逃れた人には、悩みは存在しない。91 心をとどめている人々は努め励む。彼らは住居(執着)を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、彼はあの家、この家を捨てる。92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼らの行く路(足跡)は知り難い。空飛ぶ鳥の迹が知り難いように。93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、彼の足跡は知り難い。空飛ぶ鳥の迹の知り難いように。94 御者が馬をよく馴らしたように、自身の感官を静...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】4、田を耕すバーラドヴァージャ

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。その時、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。 その時、師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでその時、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは食物を配給していた。 そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げて言った、「道の人よ。私は...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】8、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して為すべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微...