スッタニパータ

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スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ

わたくしが聞いたところによると、ある時、師は大勢の修行僧千二百五十人と共にアングッタラーパという地方を遍歴して、アーバナと名づけるアングッタラーパのある町に入られた。結髪の行者ケーニヤはこういうことを聞いた、「釈迦族の子である道の人ゴータマ(ブッダ)は、釈迦族の家から出家して、修行僧千二百五十人の大きな集いと共に、アングッタラーパを遍歴して、アーバナに達した。そのゴータマさまには、次のような好い名声がおとずれている。すなわち、かの師は、真の人・悟りを開いた人・明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知った人・無上の人・人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)・尊い師であると言われ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】8、矢

574 この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるかも解らない。いたましく、短くて、苦悩をともなっている。575 生まれたものは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生ある者の定めは、この通りである。576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならない。彼らには常に死の怖れがある。577 たとえば、陶工のつくった土の器が終りには全て破壊されてしまうように、人々の命もまたその通りである。578 若い人も、壮年の人も、愚者も、賢者も、全て死に屈服してしまう。全ての者は必ず死に至る。579 彼らは死に捉えられ、あの世に去って行くが、父もその子を救...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ

わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国にあるイッチャーナンガラ村のイッチャーナンガラ林に住んでおられた。その時、多くの著名な大富豪であるバラモンたちがイッチャーナンガラ村に住んでいた。すなわちチャンキンというバラモン、タールッカというバラモン、ポッカラサーティというバラモン、ジャーヌッソーニというバラモン、トーデーヤというバラモン及びその他の著名な大富豪であるバラモンたちであった。 その時、ヴァーセッタとバーラドヴァージャという二人の青年が久しく坐していたために生じた疲労を除くために膝を伸ばすためにそぞろ歩きをあちこちで行っていた。 彼らはたまたま次のような議論を...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、修行僧コーカーリヤは師のおられるところに赴いた。そうして、師に挨拶して、傍らに坐した。それから修行僧コーカーリヤは師に向って言った、「尊き師(ブッダ)よ。サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求に捕らわれています。」 そう言ったので、師(ブッダ)は修行僧コーカーリヤに告げて言われた、「コーカーリヤよ、まあそういうな。コーカーリヤよ、まあそういうな。サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温良な性の人たちだ。」...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】11、ナーラカ

679 よろこび楽しんでいて清らかな衣をまとう三十の神々の群と帝釈天とが、恭しく衣をとって極めて讃嘆しているのを、アシタ仙は日中の休息の時に見た。680 心喜び踊りあがっている神々を見て、ここに仙人は恭々しくこのことを問うた、「神々の群が極めて満悦しているのは何故ですか? どうしたわけで彼らは衣をとってそれを振り廻しているのですか?681 たとえ阿修羅との戦いがあって、神々が勝ち阿修羅が敗れた時にもそのように身の毛の振るい立つぼど喜ぶことはありませんでした。どんな稀な出来事を見て神々は喜んでいるのですか?682 彼は叫び、歌い、楽器を奏で、手を打ち、踊っています。須弥山の頂に住まわれるあなたが...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】12、二種の観察

わたしが聞いたところによると、ある時、尊師は、サーヴァッティー郊外の東園にあるミガーラ長者の母の宮殿の内にとどまっておられた。その時、尊師(ブッダ)はその定期的集会(布薩)の日、十五日、満月の夜に、修行僧(比丘)の仲間に囲まれて屋外に住しておられた。さて尊師は仲間が沈黙しているのを見まわして、彼らに告げて言われた、 修行僧たちよ。善にして、尊く、出離を得させ、悟りに導く諸々の真理がある。そなたたちが、『善にして、尊く、出離を得させ、悟りに導く諸々の真理を聞くのは、何故であるか』と、もしも誰かに問われたならば、彼に対しては次のように答えねばならぬ。『二種ずつの真理を如実に知るためである』と。しか...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】1、欲望

【 第4 八つの詩句の章 】1、欲望766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしも上手くゆくならば、彼は実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。767 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望を果たすことができなくなるならば、彼は、矢に射られたかのように悩み苦しむ。768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気を付けて諸々の欲望を回避する人は、この世で執著を乗り越える。769 人が、田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・傭人(やといにん)・婦女・親類、その他色々な欲望を貪り求めると、770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)が彼に打ち勝ち、危い災難が彼をふみにじる。それ故に苦しみ...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】2、洞窟についての八つの詩句

772 窟(身体)の内にとどまり、執著し、多くの煩悩に覆われ、迷妄の内に沈没している人、このような人は、実に遠ざかり離れること(厭離)から遠く隔たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。773 欲求にもとづいて生存の快楽に捕らわれている人々は、解脱し難い。他人が解脱させてくれるのではないからである。彼らは未来をも過去をも顧慮しながら、これら目の前の欲望または過去の欲望を貪る。774 彼らは欲望を貪り、熱中し、溺れて、物惜しみし、不正に執着しているが、死ぬ時には苦しみに襲われて悲嘆する、「ここで死んでから、我々はどうなるのだろうか」と。775 だから人はここ...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】3、悪意についての八つの詩句

780 実に悪意をもって他人をそしる人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って他人をそしる人々もいる。そしる言葉が起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとにも心のすさむことがない。781 欲にひかれて、好みに捕らわれている人は、どうして自分の偏見を超えることが出来るだろうか。彼は、みずから完全であると思いなしている。彼は知るにまかせて語るであろう。782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、彼は「下劣な人」である。と真理に達した人々は語る。783 修行僧が平安となり、心が安...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】4、清浄についての八つの詩句

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、見解を、最上の境地に達し得る智慧であると理解する。789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩に捕らわれている人が正しい道以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。790 真のバラモンは、正しい道のほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想の内のどれによっても清らかになるとは説かない。彼は禍福に汚...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】5、最上についての八つの詩句

796 世間では、人は諸々の見解の内で勝れているとみなす見解を「最上のもの」であると考えて、それよりも他の見解は全て「つまらないものである」と説く。それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。797 世間の思想家は、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることの内のみ勝れた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを全てつまらぬものであると見なす。798 人が何かあるものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と真実に達した人々は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】6、老い

804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。805 人々は「我がものである」と執著したもののために悲しむ。自己の所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものであると見て、在家にとどまってはならない。806 人が「これは我がものである」と考えるもの、それはその人の死によって失われる。我に従う人は、賢明にこの理を知って、我がものという観念に屈してはならない。807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはや彼を見ることが出来ない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見る...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】7、ティッサ・メッテイヤ

814 ティッサ・メッテイヤさんが言った、「きみよ。婬欲の交わりにふける者の破滅を説いてください。あなたの教えを聞いて、我らも独り離れて住むことを学びましょう。」815 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。婬欲の交わりにふける者は教えを失い、よこしまな行いをする。これは彼の内にある卑しい事柄である。816 かつて独りで暮していたのに、のちに婬欲の交わりにふける人は、車が道からはずれたようなものである。世の人々は彼を「卑しい」と呼び、また「凡夫」と呼ぶ。817 かつて彼のもっていた名誉も名声も、全て失われる。このことわりを見たならば、婬欲の交わりを断つことを学べ。818 彼は諸々の欲の想いに囚...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】8、パスーラ

824 彼らは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。825 彼らは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を愚者であると烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。826 集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると怒る。827 諸々の審判者が彼の所論に対し「あなたの議論は敗北した...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】9、マーガンディヤ

835 師(ブッダ)は語った、「我は昔、悟りを開こうとした時に、愛執と嫌悪と貪欲という三人の悪女を見ても、彼らと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの女がそもそも何者なのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」836 マーガンディヤが言った、「もしもあなたが、多くの王者が求めた女、このような宝が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれ変わることを説くのですか?」837 師が答えた、「マーガンディヤよ。「わたくしはこのことを説く」ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著で...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】10、死ぬよりも前に

848 「どのように見、どのような戒律を保つ人が「安らかである」と言われるのか?ゴータマ(ブッダ)よ。おたずねしますが、その最上の人のことをわたくしに説いてください。」849 師は答えた「死ぬよりも前に、妄執を離れ、瞬間瞬間に推移していく時間的な過去にこだわることなく、現在においても、くよくよと思い巡らすことがないならば、彼は未来に関しても特に思いわずらうことがない。850 かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、後で後悔するような悪い行いを為さず、よく思慮して語り、そわそわすることなく、言葉を慎しむ。851 未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂えることもない。現在、感官で触れる諸々の...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】11、争闘

862 「争闘と争論と悲しみと憂いと物惜しみと慢心と傲慢と悪口(八つの煩悩)とは、どこから現われ出たのですか?これはどこから起こったのですか?どうか、それを教えてください。」 863 「争闘と争論と悲しみと憂いと物惜しみと慢心と傲慢と悪口とは、愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは物惜しみに伴い、争論が生じた時に、悪口が起る。」864 「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にはびこる貪りは何にもとづいて起るのですか?また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづ...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】12、並ぶ応答 ─ 小篇

878 世の学者たちはめいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、みずから真理への熟達者であると称して、様々に論ずる。「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。879 彼らはこのように異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらの内で、どの説が真理なのであろうか?880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て各自の偏見を固執しているのであるから、彼らは全て愚者...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】13、並ぶ応答 ─ 長篇

895 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と説き伝える人々、彼らは全て他人からの非難を招く。また、それについて一部の人々から称賛を博するだけである。896 たとえ称賛を得たとしてもそれは僅かなものであって、平安を得ることが出来ない。論争の結果は称賛と非難との二つだけである、と私は説く。この道理を見ても、あなたたちは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。897 全て凡俗の徒のいだく、これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。彼は、見たり聞いたりした事柄について「これだ」と認め知ることがないから、こだわりがない。彼はそもそもどんなこだわりに赴くのであろうか?8...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】14、迅速

915 問うていわく「太陽の裔である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中のものを執することなく、安らいに入るのですか?」916 師(ブッダ)は答えた、「我は考えて、有るという迷わせる不当な思惟の根本を全て制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。917 内的にでも外的にでも、いかなる事柄をも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。918 これ(慢心)によって「自分は勝れている」と思ってはならない。「自分は劣っている」と...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】15、武器を執ること

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれをいとい離れたその衝撃を宣べよう。936 水の少ないところにいる魚のように、人々がふるえているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起こった。937 世界はどこでも堅実ではない。どの方角でも全て動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。938 生きとし生けるものは終極においては道理にたがうのを見て、わたくしは不快になった。また、わたくしはその生ける者どもの心の中に見難き煩悩...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】16、サーリプッタ

955 サーリプッタさんが言った、「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。このように言葉美わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来りたもうたことを。956 眼ある人(ブッダ)は、神々及び世人が見るように、一切の暗黒を除去して、独りで法楽を受けられた。957 こだわりなく、偽りなく、このような範たる人として来りたもうた師・目ざめた人(ブッダ)であるあなたのもとに、これらの束縛ある多くの者どものために問おうとして、ここに参りました。958 修行者は世をいとうて、人のいない座所や樹下や墓地を愛し、山間の洞窟の中におり、959 または種々の座所の内にいるのであるが、そこにはど...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序

【 第5 彼岸にいたる道の章 】1、序976 明呪(ヴェーダ)に通じたバラモン(バーヴァリ)は、無所有の境地を得ようと願って、コーサラ族の美しい都から、南国(デカン高原)へとやってきた。977 彼はアッサカとアラカと両国の中間の地域を流れるゴーダーヴァリー河の岸辺に住んでいた、落穂を拾い木の実を食って。978 その河岸の近くに一つの豊かな村があった。そこから得た収益によって彼は大きな祭りを催した。979 彼は、大きな祭りをなし終って、自分の庵にもどった。彼が戻ってきた時に、他の一人のバラモンがやってきた。980 足を傷め、のどが渇き、歯がよごれ、頭は塵をあびて、彼は、庵室の中の彼(バーヴァリ)...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】2、学生アジタの質問

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間をけがすものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、と私は説く。」1034 「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎ守るものは何ですか?その流れは何によって塞がれるのでしょうか?それを説いてください。」1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけ...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】3、学生ティッサ・メッテイヤの質問

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知り尽くして、よく考えて、両極端にも中間にも汚されることがない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を偉大な人と呼ばれますか?この世で妄執を超えた人は誰ですか?」1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関して清らかな行いを守り、妄執を離れて、常に気を付けて、究め明らめて、安らいに帰した修行者、彼には動揺は存在しない。1042 彼は両極端を知り尽くして、よく考えて、両極端にも中間にも汚されない。彼を、私は偉大な人と呼ぶ。彼はこの世で妄執を超えている。」⇒ 続きは...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】4、学生プンナカの質問

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしょうと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」1044 師(ブッタ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、我らの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」1045 プンナカさんが言った、「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道にお...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】5、学生メッタグーの質問

1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」1050 師(ブッタ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。私は知り得た通りに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることあり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(執著)...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】6、学生ドータカの質問

1061 ドータカさんがたずねた、「先生! わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのお言葉を頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、よく気を付けて、熱心につとめよ。このわたしの口から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものをも所有せずに振る舞うバラモンを見ます。あまねく見る方よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。釈迦族の方よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ち...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】7、学生ウバシーヴァの質問

1069 ウバシーヴァさんがたずねた、「釈迦族の方よ。私は、独りで他のものに頼ることなくして大きな煩悩の激流を渡ることは出来ません。わたしが頼ってこの激流を渡り得る拠り所をお説きください。あまねく見る方よ。」1070 師(ブッダ)は言われた、「ウバシーヴァよ。よく気を付けて、無所有を目指しつつ、何も存在しないと思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」1071 ウバシーヴァさんが言った、「あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の想いからの解脱において解脱した人、彼は退き後戻りすることがなく、そこに...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】8、学生ナンダの質問

1077 ナンダさんがたずねた、「世間には諸々の聖者がいると世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識を持っている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは簡素な生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」1078 (ブッダが答えた)、「ナンダよ。世の中で、真理に達した人たちは、哲学的見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。煩悩の魔軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、彼らこそ聖者である、と私は言う。」1079 ナンダさんが言った、「おおよそこれらの道の人・バラモンたちは、哲学的見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれるとも言います。先生!彼らはそれにもとずいて...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】9、学生ヘ-マカの質問

1084 ヘーマカさんがたずねた、「かつてゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来はこうなるであろう』といってわたしに説き明かしたことは、全て伝え聞くにすぎません。それは全て思索の紛糺を増すのみ。私は彼らの説を喜びませんでした。1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅し尽くす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気を付けて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。1087 このことをよく知って...
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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】10、学生トーデイヤの質問

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、彼らはどのような解脱を求めたらよいのですか?」1089 師(ブッダ)は答えた、トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、彼には別に解脱は存在しない。」1090 「彼は願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?彼は智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようと計らいをする人なのでしょうか?釈迦族の方よ。彼は聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明して下さい。あまねく見る方よ。」1091 師...