仏教を本気で学ぶ

弘法大師の諡号を賜わる

延喜21(921)年、空海上人は醍醐天皇から弘法大師の諡号(しごう)を賜わる。東寺と金剛峯寺座主を兼務する観賢は、朝廷に働きかけて空海上人への弘法大師号宣下を実現させました。ですから、空海上人が「弘法大師」と呼ばれるようになったのはこれ以降です。 観賢は、諡号宣下の勅書と醍醐天皇の賜衣を奉じて高野山に乗り込み、大師号の報告会を行いました。『日本紀略』には、観賢が報告のため奥の院の廟所を開けたところ、空海の顔色は生前のままだったと記されています。この話が伝わり、空海は実は亡くなって荼毘に付されたわけではなく、御廟の中で「入定(にゅうじょう)」していると信じられるようになりました。 入定とは、生死...
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弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で、幼名を真魚(まお)といいました。延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤...
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興善惟寛(こうぜんいかん)

中国唐の時代の禅僧。衢州信安県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には義崇、円鏡がいる。諡号は大徹禅師。西安大興禅寺。生誕 天宝14載(755年)命日 元和12年2月30日(817年3月21日)<< 戻る
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金剛界結縁灌頂、胎蔵灌頂の開壇

弘仁3(812)年11月15日、空海上人は高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、12月14日には胎蔵灌頂を開壇しました。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。<< 戻る
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国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。<< 戻る
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大満弘忍(だいまんこうにん)

中国唐の時代。蘄州黄梅県(湖北省黄岡市黄梅県)出身。中国禅宗の五祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には大通神秀、大鑑慧能がいる。蘄州黄梅県を中心に活動し、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼ばれる一大勢力を築く。代宗により大満禅師の諡と、法雨塔の塔号を賜る。黄梅県の馮茂山(東山)で活動し、中国禅宗の本流となる東山法門を発展させ、中国禅宗発展の下地を作る。・「第三十二祖大満禅師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を称なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付属する、不群の行持なり。衣法を神秀にし...
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『法句経』ダンマパダ【 第3章 心 】

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スッタニパータ【第2 小なる章】4、こよなき幸せ

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スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ

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ゴータマ

ゴータマとは、お釈迦様の生家の性です。牛(go)に最上級の接尾辞がついた形で「最も優れた牛」という意味です。仏典ではこの姓によってお釈迦様のことを意味します。種族の名前が釈迦族といい、太陽の末裔と称していたことから、太陽崇拝の影響が見られます。ゴータマ・ブッダ。ゴータマ・シッダッタ。ガウタマ・シッダールタ。梵語(サンスクリット語) Gautama ガウタマ巴語(パーリ語) Gotama ゴータマ・「ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。」(スッタニパータ 301偈)・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族(釈迦族)といいます。王さまよ。私はそ...
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ゴータマ・シッダッタ

ゴータマ・シッダッタとは、お釈迦様の生家の性および名です。姓であるゴータマとは「最も優れた牛」という意味で、名のシッダッタとは「目的を達成した人」という意味です。以上の説明は巴語(パーリ語)によるもので、梵語(サンスクリット語)では、ガウタマ・シッダールタとなります。当ウェブサイトでは出典によって使い分けることがあります。梵語(サンスクリット語) Gautama Siddhārtha ガウタマ・シッダールタ巴語(パーリ語) Gotama Siddhattha ゴータマ・シッダッタ・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族(釈迦族)といいます。王さまよ。私はその家から出家したのです。欲...
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アンニャーシコンダンニャ(阿若憍陳如/あにゃきょうちんにょ)

アンニャーシコンダンニャ Aññāsi-Koṇḍañña(巴) 阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ) アージュニャータカウンディニヤ Ājñāta-Kauṇḍinya(梵)、阿若多憍陳如、阿若多憍陳那、阿若憍隣、阿若拘隣、阿若倶隣などの音写、阿若は了本際、知本際、已知、解了、了教などの意訳で記述される場合もあります。アンニャーシコンダンニャは、お釈迦様の最初の弟子です。お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またその中心的な人物です。カピラヴァストゥ城に近いドーナヴァットゥ村(Donavatthu)のバラモンの家庭出身です。お釈迦様の誕生時、スッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)...
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コーサラ国(拘薩羅国)

コーサラ国とは、古代インドにおける十六大国の一つ。仏典には「拘薩羅国」と表記されます。現在のインドのウッタル・プラデーシュ州(UP州)に相当する地域を領有していました。ブッダ(お釈迦様)が活動していた頃の首都は、シュラーヴァスティー(舎衛城)で、この都には祇園精舎がありました。仏典にはパセーナディ(波斯匿王)が登場します。コーサラ国は紀元前6世紀から紀元前5世紀における十六大国のひとつに数えられる大国でしたが、マガダ国との一連の戦争により弱体化し、紀元前4世紀には併合されてしまいます。ブッダ(お釈迦様)とコーサラ国シッダッタ(お釈迦様)の時代、その出身種族である釈迦族はコーサラ国の属国でした。...