仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」渓声山色(けいせいさんしょく)

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源智、知恩院の諸堂を興す

1234年(文暦1年)、法然上人の弟子源智が上人を開山として知恩院の諸堂を興す。<< 戻る
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「正法眼蔵」現成公案(げんじょうこうあん)

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建永の法難

建永元(1206)年12月、門下の住蓮と安楽房遵西が、六時礼讃の哀調に感銘した院の女房と密通したという(捏造)事件により、法然上人はその責任を免れることが出来ませんでした。兼実は免罪運動を行いましたが、功を奏せず、後に住蓮・安楽処刑。<< 戻る
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元久の法難

元久元(1204)年10月、延暦寺の衆徒が専修念仏の停止を天台座主真性に申請しました。<< 戻る
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建仁寺派(本山建仁寺(京都))の開派

建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。<< 戻る
人物

源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず)

源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。生誕 天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれました。源信の母が、高雄寺の観音像に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといわれ、その観音菩薩立像(重要文化財)は現存します。幼名は「千菊丸...
人物

良源(りょうげん)- 元三大師

平安時代の天台宗の僧。 諡号は慈恵大師(じえだいし)。通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。 第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。生誕 延喜12年9月3日(912年10月15日)命日 永観3年1月3日(985年1月26日)<< 戻る
人物

玄昉(げんぼう)

奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。藤原武智麻呂らが流行病により倒れたため、橘諸兄・吉備真備らと共に政界での権力を握ることになりました。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、鎮護国家のための仏教確立に大きな影響を与えたといわれています。740年、藤原広嗣の乱は権力の中枢にあった玄昉を除くためのものでしたが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷されます。生誕 命日 天平18年6月18日(746年...
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華厳宗が伝えられる

736年、華厳宗第3祖法蔵(開祖は杜順(557年-640年)、第2祖智儼(602年-668年))門下の審祥によって華厳宗は伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)されました。鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされています。法相宗と並ぶ、南都六宗の一つで、「十三宗五十六派」の一つです。華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっています。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善...
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義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝と言われる。<< 戻る
人物

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

玄奘三蔵とは、中国(唐)の訳経僧です。玄奘とは僧名で、また諱でもあります。僧の最高峰である「三蔵」の号を得た高僧で、初代三蔵の鳩羅摩什(くまらじゅう)と共に「二聖」、あるいは真諦と不空金剛を含めて「四大訳経家」とも呼ばれます。法師、三蔵などが付いているのは尊称です。現在の河南省に生まれ、俗名は陳褘(ちんき)、諡(おくりな)は大遍覚(だいへんがく)です。629年に陸路でインドに向かい、645年に経典657部や仏像などを持ち帰った旅が『大唐西域記』として残されています。法相宗の開祖です。10歳で父を亡くした玄奘は、次兄の長捷(陳素)が出家して浄土寺(洛陽)に住むようになり、自身も浄土寺に学び、11...
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三論宗(元興寺流)が伝わる

625年(推古33年)に高句麗の僧の恵灌が三論宗(元興寺流)を伝えました。インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)です。空を唱える事から、空宗ともいわれます。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もあります。中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成しました。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論です。<< 戻る
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『法句経』ダンマパダ【 第18章 汚れ 】

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第三結集(だいさんけつじゅう)- アショーカ王の呼びかけ

(アショーカピラー/インド・ビハール州クムラハール)紀元前260年(インド)第三結集がマウリヤ王朝の都パータリプトラ(パトナ市)の郊外にある鶏園寺(クムラハール)において、マウリヤ王朝3代目アショーカ王の呼びかけで阿羅漢1000人が集まり経・律・論がまとめられる。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から235年後頃に行われた(上座部の伝承)。なお、紀元前244年開催説もある。<< 戻る
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第二結集(だいにけつじゅう)- 上座部と大衆部に根本分裂

(ストゥーパとアショーカピラー/インド・ビハール州ヴァイシャリ)紀元前385年(インド)第二結集が毘舎離(ヴァイシャリ)において阿羅漢700人が集まり行われる。ヴィナヤ(律蔵)の10の要点について討議されたといわれている。仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラでの入滅から100年後頃に行われた(上座部の伝承/説一切有部の伝承では入滅から110年後)。これにより上座部と大衆部に根本分裂。<< 戻る
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第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...