人物 大田南畝(おおたなんぽ) 天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。生誕 寛延2年3月3日(1749年4月19日)命日 文政6年4月6日(1823年5月16日)<< 戻る 1823.04.06 人物
人物 小田野直武(おだのなおたけ) 江戸時代中期の画家。秋田藩士。通称を武助。平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。生誕 寛延2年12月11日(1750年1月18日)命日 安永9年5月17日(1780年6月19日)絶学源真信士<< 戻る 1780.05.17 人物
人物 大岡忠相(おおおかただすけ)- 大岡越前 江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、関東地方御用掛(かんとうじかたごようがかり)や寺社奉行を務めた。越前守だったことと『大岡政談』や時代劇での名奉行としてイメージを通じて、現代では大... 1752.12.19 人物
人物 尾形光琳(おがたこうりん) 江戸時代の画家、工芸家。画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。生誕 万治元年(1658年)命日 享保元年6月2日(1716年7月20日)法橋緒形青々堂光琳<< 戻る 1716.06.02 人物
人物 大石内蔵助(おおいしくらのすけ) 江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年、赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良義央ほか二十余名を斬殺した。大石らは自ら出頭し(寺坂信行を除く)、公儀の裁きに処分を委ねた。翌16年、幕府の処断により四十六士は切腹となった(赤穂事件)。 良雄は諱で、通称(仮名)は内蔵助。一般にはこのの名で広く知られる。本名は大石良雄(おおいしよしお/よしたか)。生誕 万治2年(1659年)命日 元禄16年2月4日(1703年3月20日)忠誠院刃空浄剣居士<< 戻る 1703.02.04 人物
人物 織田信雄(おだのぶかつ) 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。大和宇陀松山藩の初代藩主。初め伊勢北畠家の第10代当主として具豊(ともとよ)、信意(のぶおき)を名乗り、国司を継いだため御本所と敬称された。生誕 永禄元年(1558年)命日 寛永7年4月30日(1630年6月10日)徳源院殿実巌常真大居士<< 戻る 1630.04.30 人物
人物 大久保長安(おおくぼながやす/ちょうあん) 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲斐武田氏、次いで徳川氏の家臣。後に江戸幕府勘定奉行、老中となった。生誕 天文14年(1545年)命日 慶長18年4月25日(1613年6月13日)法廣院一的期覚大居士<< 戻る 1613.04.25 人物
人物 織田信孝(おだのぶたか/のぶのり) 安土桃山時代の武将、大名。織田信長の三男。伊勢国北部を支配していた豪族(国衆)神戸氏の養子となってこれを継いだため、神戸信孝(かんべ のぶたか)とも名乗った。生誕 永禄元年4月4日(1558年4月22日)命日 天正11年(1583年)の4月29日(6月19日)または、5月2日(6月21日)昭雲院殿高厳徳公龍厳徳公大禅定門<< 戻る 1583.05.02 人物
人物 お市の方(おいちのかた) お市の方は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。小谷の方、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「市姫」とも云い、『好古類纂』収録の織田家系譜には「秀子」という名が記されている。 戦国大名・織田信長の妹で、信長とは13歳離れている。通説では、父は織田信秀で、五女と伝えられ、母は土田御前とされている。初めは近江の大名・浅井長政の継室となり、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。子に茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)がいる。孫にあたる人物は豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)など。徳川和子は後水尾天皇の中宮となり、その娘は... 1583.04.24 人物
人物 織田信長(おだのぶなが) 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。三英傑の一人。全国統一を推し進めた。尾張の清洲の城主で1560年に桶狭間の戦いで今川義元をやぶった後、急激に勢力を強めた。1568年、足利義昭を助けて京都に上り、義昭を室町幕府の将軍にした。1570年には姉川の戦いで、浅井・朝倉の連合軍をやぶり、浅井氏、朝倉氏を滅ぼした。1573年に室町幕府第15代将軍の義昭を追放し、約240年続いた室町幕府を滅亡に追い込んだ。1575年、長篠の戦いで武田勝頼をやぶり、翌年、近江に安土城を築いて全国統一のための本拠地とした。しかし、全国統一まであと一息のところで、1582年中国地方の毛利氏を攻略する途中、本能寺... 1582.06.02 人物
人物 織田信忠(おだのぶただ) 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田信長から生前に家督を譲られ、後継者と認められた。織田家当主二代目となる。武田氏を滅亡させた直後に本能寺の変で父・信長は本能寺、信忠は新二条御所にて自刃した。岐阜城主。生誕 弘治3年(1557年)命日 天正10年6月2日(1582年6月21日)大雲院三品羽林仙巖大禅定門<< 戻る 1582.06.02 人物
仏教を本気で学ぶ 織田信長、高野攻め 天正九年(1581年)、織田信長、高野攻め。高野山は比叡山と同じように、独自の武力を蓄えていた。寺領は17万石以上あり、3万6千の兵を養っていたと記されている。高野山が織田信長を裏切った荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党が組織する「高野大衆一揆」の関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協... 1581.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 織田信行(おだのぶゆき) 戦国時代の尾張の武将。同時代史料に見える諱は信行ではなく、信勝、達成、信成である。父は織田弾正忠家の織田信秀、母は土田御前で織田信長の同母弟である。 信行は、父の信秀の生前から尾張国内に判物を発給するなど一定の統治権を有した。信秀の死後は末森城主となって兄の信長と尾張の支配権を巡って争い、初期の信長の統治にとって大きな脅威となった。一時は信長に代わって弾正忠家の当主を名乗ったが、稲生の戦いで敗北し、その後、信長に謀殺された。信行の人物像について詳細は伝わらないが、信秀の葬儀において、信長が奇矯な行動をとった一方で、信行は礼儀に則った振舞いをしたという逸話がよく知られている。また、白山を信仰して... 1558.11.02 人物
人物 大内義隆(おおうちよしたか) 戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。 周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主 。第15代当主・大内義興の嫡男。母は正室の内藤弘矩の娘。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた。官位は従二位兵部卿兼大宰大弐兼侍従。義隆の時代には大内文化が爛熟し、西国の地方政権大内政権を築いて大内家は領土的に全盛期を迎えたが、文治政治に不満を抱いた一族でもある家臣の陶隆房に謀反を起こされ、義隆と一族は自害して、大内家は事実上滅亡した。生誕 永正4年11月15日(1507年12月18日)命日 天文20年9月1日(1551年9月30日)竜福寺殿瑞雲珠天大居士<< 戻る 1551.09.01 人物
人物 太田道灌(おおたどうかん) 室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。太田資清の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。生誕 永享4年(1432年)命日 文明18年7月26日(1486年8月25日)大慈寺殿心円道灌大居士香月院殿春苑静勝道灌大居士<< 戻る 1486.07.26 人物
仏教を本気で学ぶ 踊り念仏の始まり(おどりねんぶつ) 弘安2年(1279年)、信濃国佐久、小田切の里では、集まった時衆(人々)と念仏を唱えていたところ、一遍上人をはじめ時衆らが踊りだしました。これが踊り念仏の始まりです。一遍上人の踊り念仏は、激しい踊りに身を委ねることで、無我の内に人間と阿弥陀仏の距離を一にするという実に密教的な念仏でした。一遍上人の踊り念仏は盆踊りの原型だといわれています。<< 戻る 1279.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 「正法眼蔵」王索仙陀婆(おうさくせんだば) こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1245.10.23 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『典座教訓』19、親心は無償の心 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1237.08.13 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 大原談義 文治2(1186)年の秋、洛北大原の魚山大原寺勝林院で天台座主の職にあった顕真法印の発起により、南都、北嶺の名僧学匠三百余人を相手として、法然上人は念仏の教えについて論議された大原談義(大原問答)が行われました。論議は一昼夜に及び、念仏が他の行よりすぐれていることを法然上人が述べられたところ、顕真や論議参加した者は法然上人の教えを信じ、阿弥陀仏の周りを三日三夜念仏行道したと伝えられています。<< 戻る 1186.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 『往生要集』(おうじょうようしゅう) 平安時代の中ごろにあたる985年、源信(げんしん)(恵心僧都・えしんそうず)の書いた1部3巻からなる仏教書。極楽浄土のすばらしさと念仏往生(ねんぶつおうじょう)の方法をのべたものです。この教えは、末法思想(まっぽうしそう)の流行とあいまって、貴族をはじめ、多くの人々の間に広まりました。後の時代、法然や親鸞などにあたえた影響が大きいです。死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎をつくりました。また、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神は、貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えました。一方、易行とも言える称名念仏とは別に、瞑... 0985.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 黄檗希運(おうばくきうん) 中国唐代の禅僧。諡は断際禅師。福州閩県の出身。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には 臨済義玄、裴休がいる。黄檗山黄檗寺を開創。『黄檗希運禅師伝心法要』生誕 命日 大中4年(850年)<< 戻る 0850.01.01 人物
人物 大伴家持(おおとものやかもち) 奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。生誕 養老2年(718年)頃命日 延暦4年8月28日(785年10月5日)<< 戻る 0785.08.28 人物
仏教を本気で学ぶ 『法句経』ダンマパダ【 第11章 老いること 】 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.30 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『法句経』ダンマパダ【 第5章 愚かな人 】 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.30 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】6、老い こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.28 仏教を本気で学ぶ
人物 オッカーカ王(イクシュヴァーク王/甘蔗王) オッカーカ王とは、インド古代の伝説的なアヨーディヤー王で、日種の祖であり、釈迦族の祖です。また、コーサラ国もこの王の末裔を自称しています。漢訳仏典では甘蔗王(かんしょおう)と呼ばれます。『リグ・ヴェーダ』にも登場する英雄王で、話しをするとその口からたいまつの光のような光線が射したとされています。・「むかしカピラヴァストゥの都から出て行った世界の指導者(ブッダ)がおられます。彼は甘蔗王の後裔であり、釈迦族の子で、世を照す。」(スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序 991偈)梵語(サンスクリット語) इक्ष्वाकु Ikṣvāku イクシュヴァーク巴語(パーリ語) Okkāka オ... 0101.10.11 人物仏教を本気で学ぶ
人物 釈迦(しゃか) 釈迦とは、北インドの人物で、仏教の開祖です。お釈迦様と呼ばれる他、いくつもの呼び名があります。主なものは、ゴータマ・シッダッタ、ブッダ、世尊、釈尊、釈迦牟尼、釋迦。如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊。釈迦の父は釈迦族のスッドーダナ王、生後7日後に亡くなった母は摩耶夫人、その妹で養母となったマハー・パジャーパティー、出家する以前の妃ヤソーダラー、実子であり十大弟子の一人であるラーフラがいます。過去七仏の六番目に数えられる迦葉仏の次にブッダとなったのが釈迦であり、その弟子の代表的存在が十大弟子です。その内のマハーカッサパ、アーナンダの系統が主流... 0100.02.15 人物仏教を本気で学ぶ年表