『風土記稿』では永徳二(1382)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊。近世においては石神井三宝寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。(「朝霞市史」より)
投稿日:1382年1月1日 更新日:
『風土記稿』では永徳二(1382)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊。近世においては石神井三宝寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。(「朝霞市史」より)
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