正安元(1299)年、加賀の大乗寺に戻り、正安2(1300)年、義介禅師の代理として大乗寺の修行僧に対し釈尊以来五十三祖の機縁を提唱し、後に『伝光録』としてまとめられます。
坐禅・仏法が釈尊からインド、中国の祖師へ伝わり、そして日本の道元禅師から懐奘禅師に至るまでの経緯を示しながら説いています。53人の祖師について、それぞれ【本則】、【機縁】、提唱部分を【拈提】、結びの頌(詩)を【頒古】に分けてまとめています。「正法眼蔵」にならぶ曹洞宗における重要な宗典と位置づけられています。
なお、写本により差異がありますが、こちらに掲載しているものは明治十八年刊行、諸獄山蔵版『伝光録』(大内本)を底本とした上で当ウェブサイト内の他の文章と互換させるために編集しています。学問的に正しいものをお求めの場合、書籍として出版されているものをご覧ください。
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瑩山和尚伝光録 侍者編
師於正安二年正月十二日始請益
首章
【本則】
釈迦牟尼仏。見明星悟道曰。我与大地有情。同時成道。
【機縁】
それ釈迦牟尼仏は、西天の日種姓なり。十九歳にして子夜に城をこへ、檀特山にして断髮す。それよりこのかた苦行六年、つゐに金剛座上に坐して、蛛網を眉間にいれ、鵲巣を頂上に安じて、葦坐をとふし、安住不動、六年端坐し、三十歳臘月八日、明星のいでしときたちまち悟道し、最初獅子吼するにこの言あり。しかしよりこのかた、四十九年、一日も独居することなく、暫時も衆のために説法せざることなし、一衣一鉢缺ぐことなし。三百六十余会、時時に説法す。つゐに正法眼蔵を摩訶迦葉に付嘱す。流伝して今におよぶ。実に梵・漢・和の三国に流伝して、正法修行することこれをもて根本とす。かの一期の行状をもて遺弟の表準たり。設ひ三十二相八十種好を具足するといへども、かならず老比丘のかたちにして、人人にかはることなし。ゆへに在世よりこのかた、正像末の三時、かの法儀をしたふもの、仏の形儀をかたどり、仏の受用を受用して、行住坐臥、片時も自己を、さきとせざることなし。仏仏祖祖、単伝しきたりて正法断絶せず。今の因縁分明に指説す。たとひ四十九年、三百六十余会、指説すること異なりといへども、種種因縁、譬諭、言説、この道理をすぎず。
【拈提】
いはゆる我といふは釈迦牟尼仏にあらず。釈迦牟尼仏もこの我より出生しきたる。ただ釈迦牟尼仏出生するのみにあらず、大地有情もみなこれより出生す。大綱をあぐるとき、衆目悉くあがるがごとく、釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す。ただ大地有情成道するのみにあらず。三世諸仏もみな成道す。恁麼なりといへども、釈迦牟尼仏におゐて、成道のおもいをなすことなし。大地有情の外に、釈迦牟尼仏をみることなかれ。たとひ山河大地、森羅万像、森森たりといへども、ことごとくこれ瞿曇の眼睛裏をまぬかれず。汝等諸人また瞿曇の眼睛裏に立せり。ただ立せるのみにあらず、いまの諸人に換却しおはれり。また瞿曇の眼睛肉団子となりて、人人の全身箇箇壁立万仭せり。ゆへに亙古亙今、明明たる眼睛歴歴たる諸人とおもふことなかれ。諸人すなはちこれ瞿曇の眼睛なり。瞿曇すなはちこれ諸人の全身なり。もし恁麼ならば、なにをよんでか成道底の道理とせん。且問す大衆、瞿曇の諸人とともに成道するか、諸人の瞿曇とともに成道するか、もし諸人の瞿曇とともに成道するといひ、瞿曇の諸人とともに成道するといはば、全くこれ瞿曇の成道にあらず。因て成道底の道理とすべからず。成道の道理親切に会せんとおもはば、瞿曇諸人一時に払却して、はやく我なることをしるべし。我の与なる大地有情なり。
与の我なるこれ瞿曇老漢にあらず。子細に点検し、子細に商量して、我をあきらめ、与をしるべし。たとひ我をあきらめたりといふとも、与をあきらめずんば、また一隻眼を失す。然りといへども、我と与と一般にあらず。両般にあらず。正に汝等の皮肉骨髄ことごとく与なり。屋裏の主人公これ我なり。皮肉骨髄を帯せず。四大五蘊を帯せず。畢竟していはば、欲識庵中不死人、豈離而今這皮袋、然れば大地有情の会をなすべからず。たとひ春夏秋冬に転変しきたりて、山河大地時とともに異なりといへども、しるべし、これ瞿曇老漢の揚眉瞬目なるゆへに、万像之中独露身なるなり。撥万像也、不撥万像也。法眼曰、説甚麼撥不撥、また地蔵曰、喚甚麼作万像。しかあれば横三竪三し、七通八達して、まさに瞿曇の悟処をあきらめ、自己の成道を会すべし。恁麼の公案子細に見得し、一一に胸襟より流出して、前仏及び今時の人の語句をからず、次の請益の日をもて下語説道理すべし。山僧またこの一則下に卑語を、つけんことをおもふ、諸人要聞麼。
【頒古】
一枝秀出老梅樹。荊棘与時築著来。
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