便り 蓮光寺-埼玉県川越市 ・鷲嶽山 蓮光寺 曹洞宗 埼玉県川越市渋井248当寺は、下野国足利郡山川村の長林寺の末寺です。創設の年代は、不詳で正確ではありませんが、開山僧の慶庵惣与は永正17年(1520)11月に寂す。と、新編武蔵風土記稿に記されています。永正年間に惣与大和尚が存在していたことから、蓮光寺創建は、室町時代中期にほぼ間違いないと推定されます。(リンク先より) << 戻る 1520.11.01 便り年表
人物 六角高頼(ろっかくたかより) 室町時代後期から戦国時代にかけての武将・守護大名。近江国守護、南近江の戦国大名。六角氏12代当主。生誕 命日 永正17年10月29日(1520年12月9日)竜光院殿嘉山宗椿<< 戻る 1520.10.29 人物
便り 西福寺-大分県大分市 ・西福寺 真宗大谷派 大分県大分市寒田557永正17年(1520年)春、大友家家人「釋道因」がこの地に一宇を建立したことに始まり、爾来五百年、ご門徒の方々に護持されてまいりました。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 林正寺-新潟県新潟市南区 ・林正寺 真宗大谷派 新潟県新潟市南区根岸45開山:1520年(約500年)ご本尊:阿弥陀如来初代:寛寿(浄土真宗中興の祖・本願寺8代法主「蓮如上人」の孫が開祖)宝物:蓮如上人直筆御絵像・実如上人直筆御手紙等々本堂:昭和25年建立(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 光明寺-愛媛県西条市 ・光明寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県西条市大町5501520年頃 永正年間 釈智雲(入江主計)によって開基。入江主計は、讃岐国多田郡広田(現在の香川県仲多度郡)の城主で、入江兵庫守の次男。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 龍谷寺-愛知県日進市 ・雲興山 龍谷寺 曹洞宗 愛知県日進市藤島字寺下29龍谷寺は、開基は、藤原則武と伝えられ、1520年ごろに、三州篠原永沢寺3世心月宋光大和尚が三州の城主・渡辺守綱の助力を得て、伽藍を整備し、開山されました。現在38世に至るまで約500年に渡り、お釈迦さまの教えを受け継いでいます。また當寺の36世は、曹洞宗管長として横浜市鶴見にある曹洞宗大本山総持寺の貫首を務めました。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 西往寺-佐賀県神埼郡 ・西往寺 浄土宗 佐賀県神埼郡吉野ケ里町大曲1539浄蓮社純誉恵秀上人(天文七年 1538年没)の創建で、開基は1520年頃と思われます。当時は戦乱が続き、開山恵秀上人が死没後衰退の一途であったが、天正十四年(1586年)大木知光がこの地を領することになり、大木家菩提寺となって息を吹き返しました。その後、大木庄右衛門朝貞を大檀那とし、大庄屋小宮善右衛門の肝入りで大蓮社鏡誉上人を中興開山上人として再興されました。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
人物 北条早雲(ほうじょうそううん) 北条早雲こと伊勢宗瑞は、室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。伊勢姓から改称して北条姓を称したのは早雲の死後、嫡男・氏綱の代からであり、早雲自身は北条早雲と名乗ったことはなく伊勢新九郎や伊勢宗瑞などであったが、一般に北条早雲の名で知られている。一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきた。しかし、近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流である。早雲は伊勢盛定と京都伊勢氏当... 1519.08.15 人物
便り 寳泉寺-神奈川県藤沢市 ・玉雄山 寳泉寺 曹洞宗 神奈川県藤沢市遠藤6094永正16年、小田原北条氏の家臣 仙波土佐守によって相模国高座郡小出村字遠藤(現藤沢市遠藤)に開創されました。開創当時の寳泉寺は敷地境内も広大で、17棟の建物からなる大寺院でしたが、大正12年の関東大震災で全ての建物が倒壊してしまいました。(リンク先より)※永正16年 1519年 << 戻る 1519.01.01 便り年表
便り 本興寺-千葉県長生郡 ・一松山 本興寺 法華宗(本門流) 千葉県長生郡長生村一松丙301当地域は元々真言宗であったと伝えられていますが、大本山鷲山寺第八世日幡(にちばん)上人の折伏(しゃくぶく)により、永正十五年(1518)四月二十八日、法華宗に帰信し一カ寺を建立、一松山(いっしょうざん)本興寺と称します。(リンク先より) << 戻る 1518.04.28 便り年表
便り 善称寺-和歌山県和歌山市 ・善称寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市本町5-32善称寺の創建は永正15年(西暦1518年)です。和歌山大空襲で本堂が焼失した時期もありましたが、ご門徒さま方の尽力のもとに立派に再建されました。本尊の阿弥陀如来像は土中に埋めて戦火を免れました。そして平成30年には創建500年の節目をむかえました。(リンク先より) << 戻る 1518.01.01 便り年表
便り 少林寺-岡山県津山市 ・少林寺 曹洞宗 岡山県津山市中北上1150小森山圓福寺(中北上1319番地)と称していたが、後醍醐天皇が隠岐島を脱出、船上山の名和長年に身を寄せられた1333年頃兵火によって焼失。その後180年程そのままになっていたが、1516(永正13)年11月に幻住寺六世大網愚溪大和尚が、当時の岩谷城主大河原弾正の懇請を容れて、後に少林寺末寺となる観音寺の地(中北上1161番地)に小庵を建立し、山号を山形臥龍に似たるを以て澤龍山とし、1525(大永5)年10月10日に「澤龍山小林庵」と称し開堂。(リンク先より) << 戻る 1516.11.01 便り年表
便り 安泰寺-愛知県西尾市 ・安泰寺 曹洞宗 愛知県西尾市西幡豆町講伏14当寺は山号を吉谷山、寺号を安泰寺と称する。欠村城主小笠原摂津守長重公により幡豆小笠原公の菩提寺として創建されました。(永正10年西暦1513年室町時代戦国期)祥山恵禎和尚により、田原の長興寺四世模外惟俊和尚を開山と仰ぎこの地に創建されました。(リンク先より) << 戻る 1513.01.01 便り年表
便り 白雲山安松院 清光寺せいこうじ [地蔵尊] 浄土宗 清光寺の歴史は、永正10年1513、安松良盛入道(乗誉安三良盛居士)により開基(創建)されたことに始まる。 境内にある安松一門の墓にはと刻まれた天然石の墓標がある。 また、一説には、天文1532-1555の頃、安松弥兵衛という人が創建、あるいは寺運が傾いた時に復興を計ったとも伝えられている。 開基が安松良盛入道であるため、姓を寺の院号としてと称する。開山は行明観阿弥である。(リンク先より)・白雲山安松院 清光寺せいこうじ 浄土宗 1513.01.01 便り年表
便り 順正寺-愛知県半田市 ・坂田山 順正寺 真宗大谷派 愛知県半田市堀崎町1-58はじまりは、1513年!それって、いつ?この地にお寺が出来たのは、およそ500年前のようだ。なぜ、そんなことが分かるのかというと、おそらくこの土地にする人々がお金を出し合って本願寺にお寺を造れるよう働きかけたのだろう。現在順正寺には、それによって本願寺からいただいた「阿弥陀如来絵像」が宝物として伝えられている。幅64センチ長さ160センチほどの掛け軸となった阿弥陀如来像だ。(リンク先より) << 戻る 1513.01.01 便り年表
便り 高家寺-兵庫県明石市 ・高家寺 天台宗 兵庫県明石市太寺2-10-35太山寺文書の中には、室町時代の永正6年(1509年)9月、高家寺の住僧が明石郡内の天台宗寺院の僧と共に、京都祇園の神殿新築に当って上京し、 法華経千部を読誦したという記載があり、この時期には高家寺という寺院が既に建立されており、隆盛を誇っていたことがわかっています。(リンク先より) << 戻る 1509.09.01 便り年表
便り 立法寺-三重県四日市市 ・立法寺 真宗高田派 三重県四日市市楠町南五味塚903番地正式な創建時期は不詳ですが、「おおよそ800年前(平安時代末期~鎌倉時代初期)、元々は真言宗系の道場としてはじまった」と代々申し伝えられています。尚、開基 上人を信光院と申し、その後、永正6(1509)年、當山 第12世 俊良上人の時、高田派法燈 第10世 中興 眞慧上人に帰依し奉り、真宗高田派へ転派させて頂きました。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 長泉寺-岡山県岡山市北区 ・長泉寺 真言宗御室派 岡山県岡山市北区南方3-10-40永正6年(1509年)7月に開創。その頃、当山の周辺には備前国営の薬草園が広がっていたと伝えられ、岡山の先進医学の発祥の地とされます。薬園山と言う山号の由来です。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
便り 福生寺-佐賀県武雄市 ・福生寺 真言宗大覚寺派 佐賀県武雄市武内町大字梅野乙14726本尊は聖観世音菩薩であり、開基については黒髪大権現を勧請した神社(黒髪神社)の棟札に《永正六年、 大檀主藤原千代童丸助成松尾道久、住持福生寺法印快憲》と記されたものがあり、 寺伝では永正六年(1509年)に快憲法印によって中興されたとなっている。(リンク先より) << 戻る 1509.01.01 便り年表
人物 桂庵玄樹(けいあんげんじゅ) 室町時代後期の臨済宗の僧。薩南学派を形成した。桂菴 玄樹と表記される場合もある。 長門国赤間関出身。9歳のとき出家し、上京して京都南禅寺の惟肖得巌や景徐周麟らに学んだ。その後、豊後国万寿寺に赴いて学問を学び、大内義隆に招かれて郷里長門国永福寺住持となったが、1467年には遣明船の三号船士官となって明に渡海して蘇州などを遊学し朱子学を究める。1473年、日本に帰国したが、応仁の乱による戦禍から逃れるため、石見国に避難した。1478年、島津忠昌に招かれて大隅国正興寺、日向国竜源寺の住持となる。さらに島津忠廉に招かれて、薩摩国の桂樹院で朱子学を講じた。また、伊地知重貞と『大学章句』を刊行(1481年... 1508.06.01 人物
人物 尋尊(じんそん) 尋尊とは、室町時代中期から戦国時代にかけての奈良興福寺の僧。父は一条兼良。母は中御門宣俊の娘。興福寺180世別当。大乗院第20代門跡。奈良長谷寺・橘寺・薬師寺の別当をも兼任した。応仁の乱(1467年-1477年)では父兼良の日記『藤河ノ記』を兵火から守った(『群書類従』所収)。また、大乗院に伝わる日記類を編纂し、大乗院日記目録を作成した。「尋尊大僧正記」は興福寺に関することだけではなく、この時代を知る上での必須の資料である。この日記と後に門跡を務めた政覚・経尋の日記をあわせて『大乗院寺社雑事記』と呼び、室町時代研究の根本史料の一つとなっている。生誕 永享2年8月7日(1430年8月25日)命日... 1508.05.02 人物年表
便り 寿髙院光明寺-広島県大竹市 ・寿髙院光明寺 浄土真宗本願寺派 広島県大竹市元町2-13-71508年(永正5年) 初代住職 釈清順(俗名 日野左エ門三郎秀慶)が光明寺を開く。現在の山口県岩国市美和町にて開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 金竜寺-福岡県糸島市 ・金竜寺 曹洞宗 福岡県糸島市高祖1289永正5年(1508)高祖城城主原田興種公は、父原田弘種公菩提の為に現在の糸島市高祖に金龍寺を建立しました。御開山様(初代住職)には山口県瑠璃光寺の三世 桃嶽瑞見大和尚をお迎えいたしました。境内地は高祖城主原田家の菩提所の跡地であると伝えられており、また土塁の上であることから国の史跡に指定されております。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 玄忠寺-鳥取県鳥取市 ・玄忠寺 浄土宗 鳥取県鳥取市新品治町176永正5(1508)年に、鳥取城下、湯所町高浜地(現在の鳥取北中学校付近)に草庵を築いたのではないかと伝えられています。その後城郭整備により矢野地(材木町)へ、さらに城郭整備により中の島(現在の玄好町公園)へと移転しました。玄好町という町名は玄忠寺の寺号がもとになっています(『因幡誌』)。またこの頃に浄土宗寺院としての体裁が整ってきたものと考えられます。(リンク先より) << 戻る 1508.01.01 便り年表
便り 宝台院-静岡県静岡市葵区 ・宝台院 浄土宗 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2永正4年(1507)、大本山鎌倉光明寺九世観誉祐崇上人により開創されました。上人は常紫衣沙門の始まりの人で、浄土宗のお十夜法要をはじめて行なった方です。(リンク先より) << 戻る 1507.01.01 便り年表
便り 普門寺-岩手県陸前高田市 ・普門寺 曹洞宗 岩手県陸前高田市米崎町字地竹沢1812006年に開山500年を迎えた、岩手県陸前高田市にある曹洞宗の寺院です。 境内には岩手県指定文化財である三重塔、木造伝聖観音像、絹本著色愛染明王画像などがあり、東日本大震災の後奉納された沢山の仏像が本堂や境内各所にまつられております。(リンク先より)※2006年-500年=1506 << 戻る 1506.01.01 便り年表
便り 彰見寺-三重県津市 ・彰見寺 真宗高田派 三重県津市大谷町1当寺開基/教専坊釈恵光(1417〜1505) 教義/阿弥陀仏の浄土へ往生することを究極の目的としながら、本願念仏の教えによって、苦悩の現世を強く明るく生き抜く拠り所とする。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 曹源寺-愛知県豊明市 ・豊明曹源寺公式ホームページ 曹洞宗 愛知県豊明市栄町内山45鎌倉時代(700年程前)天台宗として開闢されたと伝えられており、現在の宗派である曹洞宗に改宗され開創されたのは後柏原帝の御代永正2年(1505)実田以耘和尚の時である。連綿と歴史は重ねられ現在の住職は二十六世である。二世快翁龍喜和尚のとき、永禄3年(1560)5月19日史上に有名な“桶狭間の戦い”が起こり今川義元公は戦死、多数の死傷者が戦場一帯に放置されていたのを塔頭寺院の明窓宗印和尚に命じ、村人を指揮して戦傷者を収容し戦死者は各所に葬り代表的な場所として戦人塚を選定し引導焼香した。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 永昌院-山梨県山梨市 ・永昌院 曹洞宗 山梨県山梨市矢坪1088寺記によると、この寺の前身は真言宗でした。曹洞宗、龍石山永昌院としての開基は、甲斐守護職、武田信昌(文安4年(1447)〜永正2年(1505))とされ、現山梨県笛吹市一宮町の中山廣厳院開山、雲岫宗竜(うんしゅうそうりゅう)の高弟、同院二世一華文英(いっけぶんえい)を開山(初代住職)に迎え、開創されました。(リンク先より) << 戻る 1505.01.01 便り年表
便り 長徳寺-神奈川県横浜市都筑区 ・長徳寺のホームページ 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市都筑区牛久保西3-9-1山号及び寺号 弘願山 長徳寺御本尊 阿弥陀如来開山 永正年間 今から約500年位前の開山(リンク先より)※永正年間 1504年から1521年 << 戻る 1504.01.01 便り年表