仏教を本気で学ぶ 私も私 それぞれが自分の中に自分を持つように心の中に母もいれば父もいる心の中のお母さんはどんな人ですか心の中のお父さんはどんな時に現れますか好きな人嫌いな人意識した人は心の中の住人になるそれは現実のその人とはちょっと違うかもしれないけれど重ねて見ているそうやって住人を認識しているそうやって私も誰かの心の中に知らず知らず住んでいる誰かの心が生んだ私も私<< 戻る 2020.09.10 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 五蓋(ごがい) 五蓋とは、貪欲、いかり、心のしずむこと、心のそわそわすること、疑い、この5つの煩悩の総称をいう。蓋は巴語で nīvaraṇa /ニーヴァラナといい、認識を覆う障害のこと。瞑想(禅定)を邪魔する5つの障害を意味する。これらは心の明らかな働きを覆いかくして蓋(かさ)のようになり、善を生ぜしめない五つの覆いとなっています。①貪欲、むさぼり、情欲②いかり、瞋恚③心のしずむこと、心くらく身も重く、眠り込んだようなものうい状態④心のそわそわすること、心がざわざわして高ぶる働き、心を悩ませる後悔⑤疑いためらうこと・「五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをと... 2020.09.08 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 想念(そうねん) 想念とは、思慮し思考すること。次の例では、心の静まった修行者には、思慮分別はいらないことを示している。「想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。」(スッタニパータ 7偈) 2020.09.08 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ お守り お寺や神社で手に入るお守り仏様や神様の前で約束したことをお守りしますその証がお守り宇宙兄弟の南波六太が月に向かうとき日々人のことを思い出す二人で宇宙飛行士になる目標を先生や友だちに現実的でないと思われて諦めかけ心の中の夢として隠していたことがあった心は移り変わる目標に向かい動き続ければ心はいつもそこにあるお守りの形は様々気持ちを形にして生きていこう<< 戻る 2020.09.08 仏教を本気で学ぶ
人物 アーラーラ・カーラーマ(阿羅邏迦蘭) アーラーラ・カーラーマは、古代インドの思想家で、お釈迦様が出家直後、悟りを得る前に師事した人物の1人です。アーラーラ・カーラーマのもとを訪れ「無所有処(ākiñcaññāyatanaṃ)」(空無辺処)の教えを聞くと、間もなくその境地を証得したので、アーラーラ・カーラーマはお釈迦様が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子300人を共に率いていくことを要請しました。しかしお釈迦様はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、アーラーラ・カーラーマのもとを去り、次にウッダカ・ラーマプッタのもとへ行きました。『ブッダ最後の旅【 第4章 】17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅』にはアーラー... 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 スニーダ・バラモン スニーダ・バラモンは『ブッダ最後の旅【第1章】4、パータリ村にて』内に登場します。マガダ国の大臣で、お釈迦様を食事に招待します。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 アンバパーリー アンバパーリーは『ブッダ最後の旅【 第2章 】8、遊女アンバパーリー』内に登場し、ヴァイシャリに住むお釈迦様の女性の弟子(比丘尼)です。漢訳仏典には、菴摩羅、菴没羅などの音訳があり、㮈女、柰女、非浄護などの意訳も見られます。マンゴー林に捨てられた子であり、その番人に育てられたことから、「アンバパーリー」すなわち「マンゴー林の番人の子」と言われるようになりました。アンバパーリーは、遠くの町にまで名声が伝わるような遊女で、美貌と容姿、魅力に恵まれ、他にも踊りや歌、音楽も巧み、当然言い寄る客が引けを取らずとなって舞台等で莫大な稼ぎを得ていたそうです。お釈迦様に帰依し、みずからも出家し比丘尼となり、阿... 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 スバッダ(須跋陀) スバッダは、『ブッダ最後の旅【 第5章 】22、スバッダの帰依』に登場するお釈迦様の最後の弟子です。スバッダは、クシナガラのバラモンであり、遍歴行者で、四ヴェーダに通じ、聡明多智で五神通を得て、非想非非想定を得ていましたが、それでも疑問に思っていることをお釈迦様に聞くことが出来、弟子になりました。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 年老いて出家したスバッダ スバッダは、『ブッダ最後の旅【 第6章 】25、遺体の火葬』に登場するお釈迦様の弟子です。ブッダ最後の弟子のスバッダとは別人だと考えられます。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 ドーナ・バラモン ドーナ・バラモンは、コーリヤ族出身で『ブッダ最後の旅【 第6章 】26、遺骨の分配と崇拝』に登場します。お釈迦様の遺骨をどうするかを仲裁したバラモンとして知られています。お釈迦様が荼毘に付された後、その遺骨を分けて欲しいと7種族が申し出ました。しかし、クシナガラに住むマッラ族は「我々の住む土地でブッダはお亡くなりになられたのだから、一部分をも分け与えない」と言いました。それに対して、ドーナ・バラモンが次のようなことを言いました。「我らのブッダは耐え忍ぶことを説くかたでありました。最上の人の遺骨を分配する為に争うのはよくありません。我らはともに喜び合って遺骨を八つの部分に分けましょう。多くの人々... 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 チャンナ チャンナは、『ブッダ最後の旅【 第6章 】23、臨終のことば』に登場するお釈迦様の弟子です。チャンナは、気難しく、かたくなで、仏教教団の内部にあっても他人と協力せず、摩擦や抗争を起こしたことから、清浄な罰ブラフマ・ダンダを受け、その後は人格も円熟したと言われています。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 ウッダカ・ラーマプッタ(優頭藍子) ウッダカ・ラーマプッタは、古代インドの思想家で、お釈迦様が出家直後、悟りを得る前に師事した人物の1人です。出家直後はじめに師事したアーラーラ・カーラーマのもとを去り、次にウッダカ・ラーマプッタのもとを訪れ「非想非非想処(Naivasaṃjñānasaṃjnayatana)」の教えを聞くと、間もなくその境地を証得したので、ウッダカ・ラーマプッタはお釈迦様が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子を共に率いていくことを要請しました。しかしお釈迦様はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、ウッダカ・ラーマプッタのもとを去り、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)へ行き6年間の修行が始まります。<< ... 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 ヴァッサカーラ・バラモン ヴァッサカーラ・バラモンは『ブッダ最後の旅【第1章】1、鷲の峰にて、および、2、修行僧たちに教える、4、パータリ村にて』内に登場します。マガダの大臣で、マガダ国王アジャータシャトル(阿闍世)の命令によりお釈迦様の所へ行きます。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 富商パーヴァーリカ 富商パーヴァーリカは『ブッダ最後の旅【第1章】3、旅に出る』内に登場するナーランダ村のマンゴー林の持ち主で、お釈迦様は旅の途中でそこに滞在しました。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
人物 プックサ(福貴) プックサは、マッラ族の人で『ブッダ最後の旅【 第4章 】17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅』に登場するお釈迦様の最後から2番目の在家信者です。プックサはお釈迦様が出家直後に師事したアーラーラ・カーラーマの弟子でした。<< 戻る 2020.09.08 人物仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 今日のキジ 外がざわついている何の音だろうかと家の裏を見るとキジの若鳥が足りまわっていた母キジは警戒音を出している若鳥のオスはトサカが少し赤い大人になるともっと大きく主張する赤になる若鳥のオス二羽で追いかけっこ元気そうで何よりだ毎日どこかで稲の刈り取りそういう季節だキジも人のスケジュールによってその日の活動範囲を変えているのだろう毎日でも来てくれていいんだよそう心に思って窓を閉じた<< 戻る 2020.09.07 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 須臾(しゅゆ) 須臾とは、「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味を持ち、時間の単位を表します。『大毘婆沙論』『倶舎論』では、牟呼栗多(むこりった)と表記されています。それによると、1昼夜 = 30牟呼栗多(須臾)1牟呼栗多(須臾) = 30臘縛(ろうばく)『摩訶僧祇律』では、1昼夜 = 30須臾1須臾 = 20羅予(らよ)1昼夜とは24時間で、1440分 = 30須臾よって、1須臾は約48分を表します。ただし、上記は一例で、この単位が表す時間の程度には使われ方によって幅があります。<< 戻る 2020.09.05 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 風と草 風が強く吹くと草が揺れる風が草の存在を教えてくれる 草が大きく傾くと風が当たっている草が風の存在を教えてくれる 風が私に当たると私の隙間を縫って吹き抜ける風が私の存在を教えてくれる 草を私が引っこ抜くと私の力が草に伝わる草が私の存在を教えてくれる<< 戻る 2020.09.04 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 広い世界 草抜きをしていると足元の世界に気付く草刈り機だと人の目線だから足元の世界は見えないだろうしゃがんでいると彼らの生きざまを見ることが出来る草を抜いたのに驚いたミミズが出てくるあっちに行けばいいもののこっちに向かってきたりする草に付いていたのかバッタが急にとび出すあっちの草にお引越しこっちが気付いていなかっただけ砂利の間から出てきたクモが動き回る隠れるのが得意こっちに来ることはほとんどない草を抜いて持ち上がった石の下からアリの巣が出現タマゴを抱えて右往左往コウロギも鈴虫も足元の世界で共存している人のように壁をつくったり決まりごとを決めたりそんなことをしなくても共存しているその方が広い世界で住めるの... 2020.09.04 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ キジの子育て 裏の麦畑刈られる前はキジの子育てが見られた母キジがちょっと高いところから首を長くして子どもたちに気を配っている子育て前は窓を開けるとちょっとした物音で逃げて行ったのに子育て中は子どもたちを見守り動かないたまに父キジも合流していた父キジは物音がしたら子育て中でも逃げる子どもたちも中くらいになると結構足が速い麦が刈られた直後には食べに来ていたけれど暑くなると姿を見せなくなっていた今朝少し離れた刈り入れ前の稲穂が実る田圃の畦道に中くらいのキジがいた彼らかな元気な姿を見られてよかったよありがとう<< 戻る 2020.09.04 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 太陽と月との共演 すっかり草抜きの季節を謳歌している夕べ雨が降った湿り気を帯びた土は草が伸びるのを促す今朝は太陽が山から顔を出す前に白い月が西へと歩みを進めていた日は上り太陽と月との共演だ毎日が天体ショーなんだな確かに毎日が本番だどうでもいい日は存在しない<< 戻る 2020.09.04 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 思い通りにならない世界から 掃除や片付けを進んでやるようになると時々自分ばかりやっていると感じてしまう何で置きっぱなしなのかな何で拭いていないのかなそんな風にそれはきっと掃除に疲れているそんなときやめてしまおうと思うかもしれない自分の思いと他人との違いを感じたとき思い通りになっていないそのことそれを知れば十分だやめなくていい他人の手癖も包み込む自分が置いたときのように自分が濡らしたときのように自然と続きをはじめてみてもいいしそのまま任せてもいいどんなこともはじまりはここ終わりはそこというものは一人ひとり違っている掃除がはじまりの人もいれば掃除が終わりの人もいるそれさえも包み込む思い通りにならない世界からなるならないを包み... 2020.09.03 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 満月 夜食器の洗い物を終えると小さな窓の網戸越しに月が見えた満月だ網戸を開け妻を呼ぶ妻は子を呼ぶ山から上る満月はオレンジ色時間が経つにつれ輝きを増していくこの日の満月を誰が名づけたかハーベストムーンというらしい満月という方がしっくりくる満月だと感じた時にはそれしかない誰かに伝えるとき誰かと共有したいときはじめて満月という言葉になるそのものがはじめで情報は後からついてくる<< 戻る 2020.09.03 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 山 朝山の描線が美しく見えた台風が大陸に向かう風が雲を追いやったのだろう空と山の境界線いつもある境界線ここからは見えたり見えなかったり時間が経つとその線は姿を消した人が消したのならば苦情が来るだろう美しかったのにとそんな世の中だ苦言は人と人の間だけそんなもんだ自然には通用しない言ったって仕方ない人も自然の一部だ言ったって仕方ない美しいかどうかも自然にとっては構うもんじゃないそこにいつもそうやってある気付くか気づかないかはこっちの話<< 戻る 2020.09.03 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 自分をともしびとして お釈迦様は最後の旅の途中このような言葉を残している自灯明法灯明自分をともしびとして仏法をともしびとして生きていく自分が照らさなければ仏法は見えない仏法を照らすことで自分の姿が見える必要だから見えてくるともしびで照らし合って生きていくきのうの私は誰かを照らしていましたか?明日の私は誰かを照らしていますか?今私は生きている<< 戻る 2020.09.03 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 他人の行動 他人の行動を変えることは難しいまずは他人を気にしないことそれでも一緒に住んでいたり一緒に働いていたり多くの時間多くの場所を共有していると否応なしに見えてくる自分ならこう動くけど他人のもの他人の行動に手を出せない見て見ぬふりでいいのか他人が気にしていないならそれでいいのかもしれない他人はそれがそのようにあるのに見ていない重要でないものになっているそれは動かせない事実だ自分が見えているものと他人が見えているものは違うだから他人の行動を変えることは難しい<< 戻る 2020.09.03 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ メダカ メダカだよと言ってこどもが二匹持ってきた小さな魚図鑑で見比べ網目があるのが特徴と書いてある網目はあるけど胸びれの形はどうだろうと覗き込む懸命に優雅に泳いでいるメダカじゃないかもしれないじゃあ何なんだろう?細かく細かく特徴を見ていったら分類は人の勝手な型だと分かる形にはまるかどうか分からなければ分からないまま懸命に優雅に泳ぐ姿を愛でたい<< 戻る 2020.09.02 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 一呼吸 いつも元気にあいさつああなりたいないつも一言多いああはなりたくないなないたい自分もなりたくない自分も意識すれば探し出す無意識の内に見つけてしまう自分のも他人のもああはなりたくないなを積み重ねてもストレスがたまりそうああはなりたくないなを鏡に映してみればああなりたいな一呼吸置いて微笑みを<< 戻る 2020.09.02 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 来客とお経 夏のある日お寺の呼び鈴がなる弟子が出ると名乗った上でよろしくお願いしますとだけ言われお布施を差し出されるお師匠さんに来客を告げると顔だけだしお墓の前でお経を読んできなさいと弟子に言う急いで衣を整え携帯用の木魚と鈴を手に持ち境内墓地へあるお墓の前で般若心経を読む読経と回向が終わると来客が般若心経を読み始めたお師匠さんの読み方とも違いCDか何かを再生しているようなそのような印象で横で聞いていて上手いなと感じつつ気まずい気持ちの方が大きかっただろう後でお師匠さんに聞くと交通事故のその相手のお墓だったのだ毎年命日にお参りに来るとのことそういうことは先に言ってほしいとは弟子はお師匠さんに言えない聞いてい... 2020.09.01 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 掃除 掃除をしていると自分の内面も掃除される台所の洗い物が終わると水が飛び散っている布巾でそれを拭くシンクであってもタイルであっても拭いておけば水垢は残らないそれどころか輝いて見える大切にしたいものは濡れたままにせず拭き取るこれで元通り輝いて見えるのは自分の内面にも大切にしたいものを置いているから拭いて磨いて手を掛ければ大切なものが大切なままでいられる大切なものがよく見えるようになる片づければ良いという訳ではないそんな掃除をしていると自分の内面も掃除される<< 戻る 2020.09.01 仏教を本気で学ぶ